作品タイトル不明
裏路地、黒犬探し
ネオンの毒々しい光が水たまりに反射する、夜の新宿。
表通りの喧騒から一本裏へ入ると、そこは法と秩序が曖昧になる薄暗い裏路地だ。
ダンジョンから産出される非合法な素材、脱税目的の現金、そしてワケありの冒険者たちが集まる吹き溜まりである。
俺は安いジャージ姿のまま、かつての記憶を頼りに迷路のような路地を歩いていた。
「マスター、さっきから同じ場所をぐるぐる回ってませんか? 治安も悪そうですし、変な人たちがジロジロ見てきますよぉ」
エク子が俺の肩の周りをフワフワと飛びながら、不安そうに周囲を窺っている。
彼女の言う通り、すれ違う柄の悪い連中が、俺の場違いなジャージ姿を値踏みするように見ていた。
「ああ。ギルド職員時代の記録から『黒犬』のダミー会社の住所を回ってみたんだが、どれもすでにもぬけの殻だった。……それにしても、ダンジョンを出てからどうも身体が重いな」
俺が肩を回して呟くと、エク子は「あっ!」と手を打った。
「説明し忘れてました! 【存在強奪】で得たステータスは、ダンジョン内部の『魔素』に依存して肉体を強化しているんです。
だから、魔素が薄い地上(現実世界)に出ると、システム外の環境エラーとみなされて、本来の『2割程度』の出力に 制限(デバフ) されちゃうんですよ!」
「2割……。通りで、あの万能感が薄れているわけだ。ダンジョンの中でなら軽自動車くらいなら持ち上げられそうな感覚だったが…」
「はい! それでも適性なしだった頃のマスターに比べたら、十分すぎるほど強靭ですけどね!」
なるほど、地上で超人のように振る舞えるわけではないらしい。
少し残念な気もするが、逆に言えば日常生活でうっかりドアノブを破壊したりする心配がないのはありがたい。
「まぁいい。……裏の顔役というだけあって、そう簡単には尻尾を掴ませてくれない。こういう時は、向こうから接触してくるのを待つのが一番だ」
俺はあえて、いかにも怪しげな裏カジノの入り口や、非合法のポーションを売り捌いている露店の前をうろつき、わざとらしく「黒犬に会いたい」と周囲に聞こえるように呟きながら歩いた。
カモになりそうな、世間知らずのおっさんを演じながら。
それから三十分後。
人通りの途絶えた行き止まりの路地裏で、俺の背後に複数の足音が近づいてきた。
「おい、そこのジャージのおっさん。さっきからウチの組織を嗅ぎ回ってるらしいな」
振り返ると、派手な柄シャツを着たチンピラが四人、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて退路を塞いでいた。
全員、首筋や腕にダンジョン用の安物のタトゥーを彫っている。
どうやらただの不良ではなく、底辺の冒険者崩れのようだ。
「……君たちは、黒犬の組織の人間か?」
「ハッ、質問してんのはこっちだぜ。
お前みたいな貧乏くせぇおっさんが、ウチのボスに何の用だ? あぁん?」
リーダー格の男が、チャキッ、とバタフライナイフを取り出して見せびらかすように回した。
「おい、オヤジ。ボスに会いたきゃ、まずは俺たちに『紹介料』を払いな。
持ってんだろ? その汚ぇポケットの中身、全部置いていけよ」
「マスター! 人間の敵対性エネミーです!」
エク子が警告するが、俺は小さく息を吐いた。
相手は人間だ。ここで【存在強奪】を使うわけにはいかない。
「……紹介料を払う気はない。
だが、君たちのボスには本当に用があるんだ。案内してくれないか」
「チッ、舐めやがって。痛ぇ目見ねぇとわかんねぇらしいな! やっちまえ!」
リーダーの合図と共に、二人のチンピラが殴りかかってきた。
一人が右の拳を大振りで顔面に、もう一人が俺の腹を狙って蹴りを放つ。
素人の喧嘩よりは少しマシな動きだ。
(……地上での制限がかかっていても、この程度の速度なら十分に見切れる)
俺は半歩だけスッと退がり、飛んできた右拳を手首ごとガシッと掴んだ。
制限下とはいえ、俺の筋力と耐久は格闘家レベルに達している。
そのまま手首を強引に捻り上げると、男は「ギャアアッ!」と悲鳴を上げてその場に膝をついた。
「なにっ!?」
腹を狙ってきたもう一人の蹴りに対し、俺は掴んだ男を盾にするように押し付ける。
二人はもつれ合って派手に路地裏のゴミ山へと転がり込んだ。
「テメェ……!」
残っていたもう一人が怯えながらも後ろから羽交い締めにしようと迫るが、俺は振り向きざまに鳩尾へ重い前蹴りを叩き込む。
ドスッ、という鈍い音と共に男はくの字に折れ曲がり、胃液を吐きながら蹲った。
わずか数秒。
ダンジョンの魔物との死闘を経験した俺にとって、彼らの動きはあまりにも直線的で単調だった。
「ひ、ひぃぃ……っ! く、来るな! 刺すぞ!」
最後に残ったリーダー格の男が、ガタガタと震えながらバタフライナイフを突き出してくる。
俺はゆっくりと歩み寄り、突き出されたナイフを躱して、男の刃を持つ手首を正確に打ち据えた。
「痛ぇっ!」
手からナイフがこぼれ落ち、カランとアスファルトの音を立てる。
俺は男の胸ぐらを掴み、そのままレンガの壁へと力強く押し付けた。
「あ……ぁ……」
男は完全に戦意を喪失し、顔を真っ青にして小刻みに震えている。
「さて、紹介料の代わりに少し痛い思いをさせてしまったな。謝るよ」
「ひっ、す、すんません! 俺が悪かったです! 金なら……!」
「いや金はいらない。俺が欲しいのは、黒犬の居場所だ」
俺が冷たく見下ろすと、男は何度も激しく首を縦に振った。
「あ、案内します! すぐ案内しますから、命だけは……っ!」
「よろしい。道案内、頼むぞ」
男を解放し、俺はジャージの埃を払った。
地上での制限があるとはいえ、一般人や冒険者崩れを圧倒するには十分すぎる力だ。
むしろ、誤って人を殺してしまうリスクが減る分、この制限は都合がいい。
「マスター、お見事です! 地上でも十分戦えますね!」
「ああ。元のただのおっさんだった頃を思えば、信じられないほど身体が動くよ」
エク子とそんな会話を交わしながら、重苦しい空気の漂う地下通路を歩くこと十分。
チンピラが立ち止まったのは、分厚い鉄扉で閉ざされた、看板もない怪しげな会員制クラブの前だった。
入り口には、明らかにプロの傭兵上がりと思しき巨漢の黒服が二人、鋭い眼光で立っている。
「ぼ、ボスの事務所はこの奥です……。俺はここまでで……」
「ああ、ご苦労だった」
チンピラが逃げるように走り去るのを見送り、俺は鉄扉へと向き直った。
この奥に、一億円への道に繋がる裏社会の顔役『黒犬』がいる。
俺は息を一つ吐き、ジャージの襟を正して、黒服たちの待つ入り口へと歩みを進めた。