軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

兄の慟哭、奇跡の滴

「……美桜ッ!!」

ICU(集中治療室)の静寂を、俺の絶叫が切り裂いた。

血と氷の入り混じったドロドロのジャージ姿で、俺はベッドに横たわる妹の元へ駆け寄る。

「誰だ君は! 部外者は出なさい!」

「邪魔だ、どけッ!!」

狼狽する医師を腕一本で突き飛ばし、俺は美桜の細い肩を掴んだ。

温かいはずの美桜の身体は、氷点下のダンジョンから帰ってきた俺の指先よりも冷たく感じられた。

「おい、美桜! 戻ってきたぞ! お前の欲しがってた……最高の薬を持って帰ってきたんだ! 目を開けろ、美桜!!」

何度も、何度も揺さぶる。

だが、美桜の顔からは見る間に赤みが引き、透き通るような白へと変わっていく。

モニターの線は、無慈悲な水平を保ったままだ。

「……もう、止めてください。心肺蘇生は全力を尽くしました。……残念ですが、彼女はもう、旅立ちました」

医師の沈痛な声が、俺の耳を素通りしていく。

嘘だ。そんなはずがない。

俺はこのために、地獄を這いずり回って、竜の心臓までぶち抜いてきたんだ。

「誠……誠、あんた……っ」

後ろから、崩れ落ちた母親が俺の背中に縋り付いてきた。

「なんで……なんでこんなことになるまで来てくれなかったんだい! ずっと美桜はあんたを待ってたんだよ! ずっと、ずっと……!」

母親の拳が、俺の背中を弱々しく叩く。

その痛みさえ、今の俺には何も感じられなかった。

「……でも、ありがとう。誠。あんたが必死に稼いで、延命の費用を払ってくれたおかげで……美桜は今日まで、あの子なりに精一杯頑張れたんだよ。

……もう、休ませてあげよう」

母さんのその言葉が、俺の心を粉々に打ち砕いた。

休ませる? ここで終わらせるのか?

俺が、俺がもっと早く、あと一時間早くダンジョンを出ていれば。

俺が、俺が無能じゃなかったら。

「ッ…ああああああああああああああッ!!!」

ICUの天井が震えるほどの、魂を削るような慟哭。

俺は膝をつき、冷たくなった美桜の手を自分の額に押し当てた。

「何のために……何のために俺はあんなところまで行ったんだよ!! 才能もないのに、ヤケクソになって、バケモノを食らって……! 結局、一番大事な一人すら救えないのかよッ!!」

己の無力への、激しい嫌悪。

絶望の闇が、俺の意識を飲み込もうとした、その時だった。

『――何、勝手に諦めてるんですかッ!! このバカマスター!!』

脳内に響いたのは、いつもの能天気な声ではない。

鼓膜が破れるほどの、怒りと涙に満ちたエク子の絶叫だった。

『見てください! まだ美桜ちゃんの細胞は、マスターが来るのを待って死にきれずに堪えてるんです! 特級エリクサーは、蒼竜の生命の源そのものなんですよ! 億が一、兆が一でも可能性があるなら、黙ってそれを使ってくださいッ!!』

ハッとして、俺は顔を上げた。

そうだ。俺の手には、まだ『奇跡』がある。

「……美桜、死なせない。絶対だ」

俺は震える手で、黄色いドドンキの袋から、蒼く輝く水滴型の宝石――『特級エリクサー』を取り出した。

「な、なんだその光は……!?」

驚愕する医師たちの視線を無視し、俺は宝石を美桜の青白い唇の上に翳した。

俺の魔力を込めて宝石を砕くと、中からサファイアのような透明な液体が、一滴、美桜の口内へと滑り落ちた。

その瞬間。

ICU全体が、視界を焼き尽くすほどの蒼白い光に包まれた。

神話の竜の生命エネルギーが、奔流となって美桜の体内に流れ込んでいく。

「光が……!? 目が、開けられない!」

嵐のような魔力。

俺はその中心で、ただひたすらに美桜の手を握り続けた。

頼む!戻ってきてくれ!

俺の命なんていくらでもやるから、美桜だけは。

やがて、眩い光がゆっくりと収束していき、室内を静寂が支配した。

一秒。

二秒。

――ピッ。

無機質だったモニターが、力強く跳ねた。

――ピッ。ピッ。ピッ。

「……脈拍、再開! 血圧、急速に上昇しています! なんだ?!……信じられない速度で再生している!?」

医師の叫び声。

俺が目を開けると、美桜の顔に、見る間に薔薇色の血色が戻っていくのが見えた。

死相の浮いていた肌に艶が戻り、冷たかった指先が、じんわりと温かくなっていく。

そして。

美桜の長い睫毛が、微かに震えた。

「……ん、……う……」

ゆっくりと、水晶のように澄んだ瞳が開かれる。

美桜はぼんやりと天井を見つめた後、視線を動かし、俺と母さんの顔を捉えた。

「……おか、あさん……。……おに、い……ちゃん……?」

掠れた、けれど確かに生きた人間の声。

「美桜……美桜ぉぉぉッ!!」

「あぁ、よかった……よかったぁ、美桜……!!」

俺と母さんは、我慢できずに美桜の身体を抱きしめた。

今度は、温かい。生きている。

鼓動が、俺の胸に確かに伝わってくる。

「……夢……? おにいちゃん、怪我……だらけ……だよ……」

「気にするな、こんなの擦り傷だ! 美桜……お前、治ったんだぞ! もう痛くないんだぞ!」

俺は、情けないほど涙を流しながら笑った。

神様なんて信じていなかった。

才能なんて呪いだとしか思っていなかった。

でも、あの日、ヤケクソになってダンジョンに突っ込んだ俺の選択は、間違いじゃなかったんだ。

「ありえない……心肺停止から数分。

脳へのダメージも考えられないほど、数値が完全に正常化している。

……奇跡だ。これは、現代医療の枠を超えた奇跡だ……」

医師が呆然とモニターを見つめながら、震える声で呟いていた。

「マスター……よかった……本当によかったぁ……っ」

『……フン。……泣いてなんかいません、これは結露です』

エク子とトラ子がそれぞれ(彼女たちなりのやり方で)泣いて喜んでいた。

最愛の妹の命を繋ぎ止めた、竜殺しの夜。

結城誠という男の、どん底からの逆転劇は、ここに見事なフィナーレを迎えた。

♦︎

……だが。

俺にはまだ、やらなければならないことが残っている。

俺の帰りを信じ、今も暗い地下室で耐えているはずの、もう一人の恩人のために。

俺は美桜の温もりを噛み締めながら、瞳の奥に、再び激しい闘志の火を灯した。

「……美桜、母さん。少しだけ、行ってくる。……やり残した仕事を、片付けに」

本当の『 撃滅(デリート) 』は、ここからだ。