作品タイトル不明
強欲の証明5
「アハハハッ! さあ、踊りなさいな、醜い泥人形たち!」
紫の煙に包まれた瞬間、俺に襲い掛かっていた分体たちの動きが、ピタリと止まった。
否、止まったのではない。分体たちは苦しげに喉を掻き毟り、その皮膚がドロドロと溶け始めたのだ。
「ギ、ギェェェェ……ッ!」
さらに、煙を深く吸い込んだ分体たちは、突如として狂乱し、隣にいる別の分体へと牙を剥いて殺し合いを始めた。
猛毒と、理性を焼き切る魅了の魔法の複合スキル。
わずか数十秒の間に、あれほど俺を苦しめていた無数の分体たちは、自壊と同士討ちによって全滅してしまった。
「す、すげえ……」
「ウフフ。よそ見してる暇はないわよ、誠くん? あのデカブツの相手は、あなたにお任せするわ」
麗奈の援護により、俺と異形の怪物の間にあった障害物は完全に消え去った。
「ああ、助かるッ!」
俺は再び地面を蹴り、丸腰となった怪物へと肉薄した。
今度こそ、誰の邪魔も入らない。
俺はトラ子のナビゲートに従い、怪物の大振りの攻撃を最小限の動きで回避しながら、怒涛の連続攻撃を叩き込んでいく。
ドォォッ! バキィッ!
『存在強奪、連続発動! 15%……20%……30%……! マスターのステータスが敵を完全に上回りました!』
奪い続けた力は、ついに俺を奴以上へと押し上げていた。
怪物の攻撃はもはやスローモーションのように見え、俺の放つ一撃は、怪物の分厚い装甲を易々と貫通して致命傷を与えていく。
「グ、オォォォ……ッ」
ついに、怪物が膝をついた。
紫色の魔力は霧散し、肥大化していた肉体が急速に萎み始めている。
限界を超えたブーストの反動と、俺に力を奪われ続けた結果、その命の灯火が消えかかっているのだ。
そこへ、チャイナドレスの裾を揺らしながら、麗奈が悠然と歩み寄ってきた。
彼女は、血と泥に塗れて這いつくばる怪物――かつての兄であった左京玄弥を、氷のような冷たい目で見下ろした。
「……私が見ていない間に、よくも私のシマを荒らしてくれたわね、玄弥お兄様」
「ア、ァ……」
玄弥は異形となった喉を震わせるが、もはや言葉を紡ぐことはできない。
麗奈は煙管の先を、玄弥の頭部へとそっと向けた。
「お父様をこんな目に遭わせたこと、絶対に許さないわ。……それじゃ、これでお終いね。兄妹ごっこ、楽しかったわよ」
麗奈の煙管から、ひときわ濃密な紫の炎が噴き出した。
炎は玄弥の身体を優しく包み込み、そして、彼の肉体を音もなく灰へと変えていった。
――視界が、白い。
左京玄弥は、崩れゆく己の肉体の中で、なぜか酷く澄み切った意識を取り戻していた。
燃え尽きていく指先と、感覚が消えていく四肢。
圧倒的な力の奔流に呑まれ、狂気の中に沈んでいたはずの脳が、死の淵に立ってようやく静寂を取り戻したのだ。
(……ああ。俺は、ここで終わるのか)
痛みはなかった。
ただ、深い徒労感と、取り返しのつかない虚無感が胸を支配している。
ふと、走馬灯のように、短かったがかけがえのない記憶の欠片が、脳裏に浮かんでは消えていった。
――幼少期の記憶。
母と二人で暮らしていた小さなアパートに、時折やってくる、背が広くて不器用な『おじさん』。
彼はいつも、玄弥の頭を乱暴に撫で、おもちゃやケーキを買ってきてくれた。
玄弥にとって、その『おじさん』と過ごす時間は、何よりも楽しく、待ち遠しいものだった。
だが、玄弥が十歳になったある日。
病床に伏した母が、掠れた声で真実を告げたのだ。
『玄弥……あのおじさんはね、あなたの、本当のお父さんなのよ……』
黒犬のボス、柊宗一郎。
それが、ただの優しいおじさんだと思っていた男の、真の姿だった。
(親父……。俺は、あんたに認めてほしかったんだ)
母が亡くなった後、玄弥は誰の力も借りず、一人で裏社会を生きていくことを決意した。
柊の家へ転がり込むことなど、プライドが許さなかった。正妻の子供たちに笑われるのも、親父のコネだと思われるのも嫌だった。
だから玄弥は、『黒犬』の末端中の末端の組織に、ただの下っ端として志願した。
泥水を啜り、殴られ、蹴られ、時には命の危険に晒されながら。
玄弥は持ち前の知略と、誰よりも強い野心だけで、着実に組織の階段を駆け上がっていった。
出来ることは何でもやった。
裏切りも、策謀も、血に塗れることも厭わなかった。
すべては、いつかあの偉大な『親父』と肩を並べ、自分の実力を認めさせるため。
そして、十年後。
幹部候補として、ついに宗一郎との対面を果たした日のことだ。
薄暗い倉庫での極秘の顔合わせ。
玄弥は、驚愕に目を見開く宗一郎に向かって、誇らしげに笑いかけた。
『おじさん、俺やったよ! ここまで来れた!』
『…………』
宗一郎は、言葉を失っていた。
最近、下部組織で凄まじい勢いで頭角を現している『左京』という若者がいるとは聞いていた。
まさかとは思いつつも、こうして目の前に現れた青年の姿は、かつて自分が愛した女性の面影を色濃く残していた。
『……玄弥。なぜ、お前がここにいる。言ってくれれば、それ相応のポストを用意してやったというのに』
宗一郎の言葉に、玄弥は首を横に振った。
『なんで最近、会ってくれなかったの?』
『……色々あってな。お前から言い出さない限りは、裏社会などとは無縁の、平穏な生活を送ってほしかった。それだけだ』
宗一郎の不器用な優しさ。だが、玄弥が求めていたのは、そんなものではなかった。
『俺は、貴方に憧れ、この世界に入った。
あなたのような人になりたいんです、ダメですか……っ!』
玄弥の真っ直ぐな瞳に、宗一郎は深くため息をついた。
七美(母親)がすべてを話したのだと悟ったのだろう。