作品タイトル不明
強欲の証明6
『……分かった。お前の意志は尊重しよう。
しかし、玄弥。ここは裏社会だ。遊びじゃない。その覚悟は、本当にあるのか?』
『……はい!』
そう答えた時の玄弥の心は、希望に満ち溢れていた。
頂点を目指す。
そして、親父の右腕として、この黒犬をさらに大きくしてみせる。
その純粋な野心こそが、左京玄弥という男の原動力だったのだ。
そう、あの日までは。
――数年が経った頃。
玄弥は、久しぶりに宗一郎と二人きりで食事に行く約束を取り付けていた。
子供の頃のように、親父と二人で酒を酌み交わす。
それだけで、玄弥は天にも昇るような心地だった。
しかし、その約束は当日の夜になって、唐突にキャンセルされた。
『すまん、玄弥。急用ができた。……まどかの件だ』
柊まどか。
それは玄弥と同じ、宗一郎が外で作った『妾の子』。彼女が他組織とのトラブルに巻き込まれそうになり、宗一郎は自ら事態の収拾に向かったのだ。
ぽつんと取り残された高級レストランの個室で、玄弥の心に、どす黒い染みが落ちた。
(なぜだ……。俺と同じ境遇の妾の子なのに。あいつは柊の庇護下で、安全な場所で甘やかされている。
……だが、俺は? 泥水の中を這いずり回って、やっとここまで来たのに……俺は、養子にも認知すらされない存在のままじゃないか)
少しずつ、少しずつ、玄弥の心は濁っていった。
親父に振り向いてもらうため、すべてを犠牲にして奮闘した。
派閥を拡大し、シノギを増やし、冷酷なマシーンのように働き続けた。
そして迎えた、幹部昇格の儀式。
玄弥は、ついに親父に認められたのだと、胸を躍らせて柊本家の会合へと向かった。
だが、そこで彼が見てしまった。
『おお……まどかぁっ! よくぞ無事に戻った! 道中、龍牙の放った薄汚い刺客に襲われたと聞いたが、怪我はないか!? 顔色が少し悪いぞ、ちゃんと肉は食っているのか!? 今すぐ極上のステーキを焼かせようか!?』
まどかに向かって、宗一郎がこれ以上ないほど優しく、慈愛に満ちた笑顔を向けている姿だった。
玄弥には決して向けられたことのない、本物の『父親』としての顔。
その瞬間、玄弥の中で何かが完全に壊れた。
(……許さない。俺の居場所を奪う奴らは、全員排除してやる)
目障りな龍牙も、麗奈も。そして、無駄に親父の愛情を引いているまどかも。
俺がすべてを奪い、俺こそが黒犬の頂点に立つ。
その歪んだ承認欲求が、彼を最悪の毒へと導いたのだ。
(だが……結局、俺は手に入れられなかった。結城誠……あの男のせいで……)
走馬灯の光景が、ゆっくりと暗闇へと溶けていく。
灰となって崩れゆく視界の中で、玄弥は、自分の人生が何だったのかと自嘲した。
「……あァ、もう……終わりか……」
声にならない声が漏れる。
完全に意識がブラックアウトしようとした、その時。
「玄弥……!」
ズリッ、ズリッ、と砂利を引きずる音が聞こえた。
薄れゆく視界の先に、満身創痍の身体を引きずりながら、必死に手を伸ばして這い寄ってくる男の姿があった。
柊宗一郎だ。
「ク……クルナ……」
玄弥は、残されたわずかな力で、近寄ろうとする宗一郎を拒絶しようとした。
こんな惨めな姿を、親父に見られたくない。俺は、あんたを超えられなかった敗北者だ。
だが、宗一郎は玄弥のすぐ目の前までやってくると、その血塗れの腕で、灰になりかけている玄弥の身体を、強く、強く抱きしめた。
「親、父……」
「……すまなかった。本当に、すまなかった、玄弥」
宗一郎のしゃがれた声は、震え、むせび泣いていた。
目から、大粒の涙がこぼれ落ち、玄弥の崩れゆく頬を濡らした。
「今まで、お前をしっかりと見ることができず……本当にすまなかった。お前は……何でも一人でできた。
俺の力を借りずとも、自分の力で這い上がってくる強さがあった。
だから俺は……お前に目をかける必要がないと、そう思い込んでいたんだ」
宗一郎の後悔に満ちた言葉が、玄弥の胸の奥底に染み込んでいく。
「それが、間違いだった。お前の強さに甘え、お前の心の孤独を掬い上げてやれなかった。……俺が、お前をこんな風に追い詰めてしまったんだ。本当に、すまない……っ!」
宗一郎の嗚咽が、庭園に静かに響き渡る。
それを聞いた玄弥の歪んでいた心が、不思議と、スッと軽くなっていくのを感じた。
(……なんだ。親父は、俺を見ていてくれたんじゃないか)
放置されていたわけじゃなかった。
ただ、不器用な親父は、俺の強さを信じすぎていただけだったのだ。
その事実を知ることができただけで、俺の泥に塗れた人生は、決して無駄ではなかったと思えた。
「……あり、がとう……親、父……」
玄弥の灰になりかけた瞳から、一粒の涙が、すうっと頬を伝い落ちた。
「俺に、とって……あんたは……最高、の……親父だった、よ……」
それが、左京玄弥の遺した最後の言葉だった。
宗一郎の腕の中で、玄弥の身体は完全に灰となり、夜風に乗って、虚空へと優しく消えていった。
血塗られた野心と、孤独な男が見た夢は、こうして哀しくも静かな終焉を迎えたのだった。