作品タイトル不明
閑話 IF 夏の思い出6
少し高めの波が来た瞬間、トラ子の足が海底から浮き、彼女の姿がスッと海面下へと消えた。
「トラ子ッ!?」
俺は慌てて海に潜り、沈んでいくトラ子の腰を両手で掴んで、一気に水面へと引き上げた。
「ぷはっ! ケホッ、ゲホッ……!」
「大丈夫かトラ子! ったく、無茶しやがって……」
俺はトラ子を抱きかかえるようにして、足の着く浅瀬まで運んだ。
普段は冷静沈着なトラ子が、俺の腕の中で小刻みに震え、両手で俺の首にしがみついている。
『……し、死の概念を、擬似的に体験しました……。
マスター、申し訳ありません、お手数をおかけして……』
「気にするな。泳げないなら、浮き輪を使って浮かんでいればいいさ。ほら、つかまれ」
俺はエク子が持ってきていたシャチのフロート(浮き輪)を引っ張ってきて、トラ子をそこに乗せてやった。
シャチの背中にしがみつきながら、トラ子はパレオの裾をギュッと握りしめ、赤くなった顔を逸らした。
『……感謝します、マスター。
……少し、恥ずかしいですが、この視点からの海も、悪くありませんね』
「ああ。無理せず楽しもうぜ」
トラ子のフォローを終えると、今度は葵が遠くから泳いで戻ってきた。
「誠さん! 私と競争しましょうよ! あの黄色いブイまで、どっちが早く着くか勝負です!」
「おっ、いいぜ。俺をただのペーパードライバーだと思ったら大間違いだぞ。冒険者としての脚力、見せてやる!」
俺と葵は横に並び、「よーい、ドン!」の合図で一斉にブイへと向かって泳ぎ出した。
葵はクロールで綺麗な水しぶきを上げながら、ものすごいスピードで進んでいく。
俺もステータスに任せた力技の平泳ぎで追いかける。
「やった! 私の勝ちです!」
「ははっ、負けた負けた。葵は水泳得意なんだな」
「えへへ、昔少し習ってたので!」
ブイに掴まりながら、二人で笑い合う。
ふと視線を岸の方へ戻すと、しずくが少し深くなってきた場所で、寄せては返す波に足を取られ、おぼつかない足取りで立っていた。
♦︎
「きゃっ……」
少し大きめの波がしずくの胸元を打ち、彼女がバランスを崩して後ろに倒れそうになる。
俺は咄嗟に海中を蹴り、しずくの背中に手を回して彼女を支えた。
「わっ……!? ま、誠さん……」
「大丈夫か? 波が少し高くなってきたな」
俺の胸に背中を預ける形になったしずくが、ハッとして顔を真っ赤にした。
水に濡れた黒髪が肌に張り付き、すぐ目の前で彼女の鼓動が伝わってくるような距離感。
「あ、ありがとうございます……。私……波に持っていかれそうになって、少し怖かったです」
「慣れないうちは怖いよな。ほら、手、貸してやるよ。浅瀬の方に戻ろう」
俺が手を差し出すと、しずくは戸惑いながらも、その小さな手で俺の指をそっと握りしめてきた。
「……はい。誠さんが手を引いてくれるなら、怖くありません」
波の音に消え入りそうな小さな声。
しずくの顔は、照りつける太陽のせいだけではない熱を帯びていた。
俺もなんだか無性に気恥ずかしくなり、視線を逸らしながらゆっくりと浅瀬へと彼女を引いて歩いた。
◆
一時間ほど海で泳ぎ回り、体力を使った俺たちは、砂浜のパラソルの下へと戻ってきた。
『マスター! お腹すきました! 塩分を摂取したせいか、甘いものが食べたいです!』
「よし、じゃあ海の定番イベントをやろう。リゾートの売店で『アレ』を買ってくる」
俺が買ってきたのは、巨大なスイカと、一本の木刀だった。
レジャーシートの上にブルーシートを重ねて敷き、そこにスイカを鎮座させる。
「おおー! スイカ割りですね!」
「私、やってみたかったんです!」
葵としずくが目を輝かせる。エク子とトラ子に至っては、スイカという球体フルーツに興味津々だ。
「よし、誰からやる? 目隠しして、周りの声だけを頼りにスイカを割るゲームだ」
「私からやります!」
最初に名乗り出たのは葵だ。タオルで目隠しをし、木刀を構える。
俺の合図で、葵がその場でクルクルと十回、回転させられた。
「うわあああ! 目が回るーっ!」
「葵、右です! 右に三歩!」
「葵ちゃん、そこからまっすぐ! あ、行き過ぎです!」
フラフラと千鳥足で進む葵に、しずくとエク子が好き勝手な指示を出す。
葵は「ええいっ!」とヤケクソで木刀を振り下ろすが、スイカからは1メートル以上離れた砂浜を思い切り叩き割った。
「あーっ! 外れちゃいましたー!」
続いて、しずくの番。
目隠しをしたしずくは、木刀を剣士のように両手でしっかりと構え、ゆっくりと、しかし確実にすり足で進んでいく。
「しずく、そこだ! まっすぐ振り下ろせ!」
「はいっ! ――『一の太刀・水面斬り』!!」
「いや、スイカ割りに剣術の技名叫ばなくていいから!?」
ヒュンッ! という鋭い風切り音と共に振り下ろされた木刀は、スイカの横をかすめ、砂浜に当たる。
「あぁ、おしい!」
『次は私の番ですね。マスター、タオルをお願いします』
三番手はトラ子だ。
目隠しをされたトラ子は、微動だにせず、木刀を杖のように持った。
『……周囲の音の反響、砂の沈み込みのデータ、および皆様の足音から、スイカの正確な座標を特定しました。座標X145、Y32。誤差ゼロです』
「お前、目隠ししてるのに頭の中でレーダー(エコーロケーション)使ってないか!?」
『システム権限を利用した最適化です。行きます』
トラ子は迷いのない足取りでスイカに近づき、木刀を高く振り上げた。
――が、その瞬間。
彼女が踏み出した足元にあった、先ほどしずくが木刀で掘ったへこみに足をとられ。
「あ」
『きゃっ……!?』
バタンッ! と、トラ子は綺麗に顔から砂浜にダイブしてしまった。