軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三四話 天文十二年三月下旬『失敗』

「なんか雲行きが怪しいわねー」

縁側から空を見上げつつ、わたしはずずっとお茶をすする。

午前の執務が終わったので、今はここでいつものように成経と将棋を指しているところである。

「ああ、雨の臭いからして、おそらく四半刻もせぬうちにザーザー降りでしょうね」

盤面を真剣な顔で睨みつつ、成経は言う。

「へええ、雨の臭いだけでそこまでわかるの?」

わたしは感嘆の声をあげる。

雨が降ってたらそりゃわたしもなんとなーく、「あ、雨の臭いがする」とかわかるけれど、降ってない内から、あとどれぐらいでどんな感じで降るかまではわからない。

それを空模様さえ見ずにこいつは……。

相変わらず、とんでもない嗅覚してるなぁ。

「あ~、すんません、今考えてるんであまり話しかけないでほしいっす」

「はいはい」

しかも本人は将棋盤に夢中の片手間だという事実に、わたしはもう苦笑するしかない。

ああいや、片手間だからこそ、変な意識をせず、無意識だけで、すなわち『勘』で判断ができたんだろうな。

「よし、ここだ! これなら……」

「はい、残念」

熟考の末に出した成経の一手を、わたしは即座に潰す会心の一手を繰り出す。

まんまとわたしの罠にハマったようだねぇ、成経くん。

「ああ、ちくしょう! その手があったか!」

がりがりがりっと成経が頭を掻きむしる。

考えに考え抜いたはずの一手が、あっさりと戦況をむしろ悪化させてしまった。

それはまあ、悔しいし、歯がゆいだろうなぁ。

「ふふっ、これはもうわたしの勝ち確かな」

「……そうみてえっすね。はああああ、な~んか嫌な予感はしてたんだがなぁ」

成経はばたんっと後ろに倒れ込み、溜め息まじりにぼやく。

「その予感に従えばよかったのに」

勘の鋭さ、嗅覚の鋭さこそ、成経の真骨頂なのだが……

実はここずっと、その辺りで彼は精彩を大きく欠いていた。

将棋に限らず、戦闘面でも、明らかに以前より弱くなっている。

いわゆるスランプってやつだ。

まあ、理由はわかっている。

さすがに看過できず半年ほど前に問いただしたところ、ちょうど勝家殿と守山に行った時に、彼に感情だけで判断をするな、とたしなめられ、以来、即断即決をせず、一度立ち止まって考えるようになったらしい。

こう聞くと、一見良い事のようではあるが……

「そう言われてもよぉ。どれが勘でどれが感情なのか、もう何がなんだかまったくわからねえんだよ! 理屈で考えても全っ然当たらねえし」

すっかり困り切った様子で、溜め息をつく。

ほんと重症だなぁ。

元々なんとなく感性でやっていた人間が、いきなり考えて物事をやろうとすると、得てしてこういう感じで大きくバランスを崩して不調になってしまうのよねぇ。

この辺を危惧したからこそ、わたしも清州の戦いの折にはそのままにしていたのだ。

(かといって、勝家殿を責めるのもお門違いだしなぁ)

護衛たる近習が主をほっぽり出して、自らの戦いに夢中など言語道断である。

あの時の成経は怒られて然るべきだった。

それに、なんとなくだけでは越えられない壁が、やっぱりある。

こうして考えることが大きな成長につながる一歩なこともまた確かなのだ。

とは言え、松平家との戦も始まった。

いつお呼びがかかるかわからない。

あんまり呑気な事は言ってられないのも確かである。

うん、いい頃合いかもしれない。

「良い事を教えてあげましょうか?」

「なんだ!? もしかしてコツでも知ってんのか!?」

わたしの言葉に、成経が飛び起きて食いついてくる。

まあ、彼もいい加減、不調を抜け出したくて必死なのだろう。

うん、これならいけるかもしれない。

わたしは鷹揚に頷き、

「ええ、知ってるわよ。『下手の考え休むに似たり』」

きっぱりと言ってやる。

ちなみにこの言葉は囲碁や将棋が語源なので、まさに今にぴったりだったりする。

だが、成経にはわたしの答えは大層ご不満だったらしく、

「ちっ、からかいやがって。こっちは真剣に切羽詰まってんのによぉ」

舌打ちとともに将棋盤の上に頬杖をつき、唇を尖らせる。

わたしは心外そうに目を瞠らせ、

「別にからかってないわよ? わたしも真剣に言ってるわ」

「はぁ? 嘘つけよ」

「嘘じゃないって。いい? 言葉で考えてる時点でもうそれは勘じゃないのよ」

「っ!」

まるで雷鳴にでも打たれたかのように、カッと成経が目を見開く。

何か琴線に触れるものがあったらしい。

「か、考えてる時点で勘じゃねえのか?」

オウム返ししてくる成経に、わたしは力強くうなずく。

「ええ、勘ってのは無意識の判断よ。ごちゃごちゃ考えてる時点で、そりゃもう勘ではないのよ。実際、あんた、前はそんなに考えてなかったでしょう?」

「あ~、まあ、確かにそうっすけど……」

「だいたい戦ってる最中に、言葉でいちいち考えてられる?」

「無理っすね、絶対」

「でしょ。あんたみたいな感覚派は、何かを判断する時、考えなくていいのよ」

きっぱりと言い切る。

色々考えるようになった人間に、これを言うのは酷とは思うが、真理というのはいつも残酷で、正解の裏にあったりするものなのだ。

「いや、でも、それだとやっぱ失敗するじゃねえすか……」

納得できないのか、口をとがらせつつ訊いてくる。

我が意を得たり、とわたしは成経の顔を指さし、

「まさしくそこよ!」

「あん?」

「人間なんだから、勘が、判断が間違うことは誰にだってある。だから自分がどういう時に、どういう失敗をするのか、まずはそれを考えてみなさい。判断するその時ではなく、ね」

「? 失敗を……スか?」

あまりピンとは来ていないようだった。

ん~、ちょっと角度を変えるか。

「どうせあんたの事だから、どの選択肢が正しいのか、とかで迷ってたんでしょう?」

「うっ、あ、ああ、その通りっす」

ズバリと言い当てられ、成経はしゅんと頷く。

やっぱりね。

まあ、わたしも昔はそうだったし、偉そうな事は言えないけど。

失敗なんかより、どうやったら成功できるのか。

そっちにばかり意識が向いていたもんだ。

そりゃ失敗した事なんて面白くもないし、向き合いたくもないし、ね。

「でも、あんたが考えるべきはそっちじゃないのよ」

前々世で四〇余年、前世でも三〇年弱。今生でも一〇年。

若い身体に引っ張られているのか心も若返ってはいるけれど、わたしにはのべ八〇年の人生経験がある。

その経験から学んだのは、人の成長ってのは『自戒』を持つこと、結局これに尽きるってことだ。

成経にも今まさに言った通り、自分はどういう時にどういう失敗をするのか。

それをリストアップし、パターン化し、 自覚(・・) をする。

そしてそれぞれに、対策も考えておく。

まあ、わたしだってそれを完璧にこなせているかと言えば、そんな事はない。

気を付けていたってミスはする。

でも、その辺の自覚と対策があるだけで、失敗は格段に減る。めちゃくちゃ減る。

そうやって 失敗(ミス) を減らしていく事が、結局は成功の可能性を高めるということにつながるのだ。

「むしろあんたはね、どういう時に勘が外れるのか、勘が働かないのか、そっちを突き詰めるべき、なのよ。なんか思い当たるとこはない?」

「…………あ~、感情的になってる時と、功を焦った時、っすね」

少し考えて、成経はぼそりと言う。

わたしはニッと微笑み、頷く。

「よくわかってんじゃない。じゃあ、そういう時だけ、勘を疑えばいいのよ。逆にそれ以外では勘を信じればいい。そんだけの事よ。単純でしょ」

「な、なるほど……」

いかにも目から鱗みたいな呆けた顔で、成経が言う。

どうやら彼なりにしっくりくるものがあったらしい。

だが、体感に落ちていくにつれ、不満げにまた口がとがっていく。

「ちぇっ、もっと早く教えてほしかったっすよ、それ。俺が悩んでたの知ってたでしょう?」

「何言ってんのよ。教えていたわよ、何度か」

まあ、さすがに今日ほどしっかり説明できた事はなかったけれど。

折に触れ、それとなーく 釣り針(ヒント) は出し続けていたのだ。

さすがにこんな状態じゃ戦になんて出せたもんじゃないし、ね。

正直、食いついてくれて、ホッとしたよ、マジで。

「へ? いや、嘘でしょ。初耳なんすけど」

キョトンとする成経。

ああ、やっぱり記憶すらされてなかったか。

まあ、なんとなくそんな気がしていたけど。

人間って興味関心を覚えたもの以外は、けっこう忘れちゃうからなぁ。

だから言ってやる。

「それはあんたが聞く耳を持ってなかっただけ。あるいは聞く準備ができていなかっただけ、かな」

「ん~? いや、別に聞いたじゃないすか、今」

「それはけっこう長く悩んで、それでも全然答えが見出せなかったから、でしょ。本気でやばいって思い出したから、話が聞けたんだと思うけど?」

「あ~~……まあ、そういうとこもあるかもしれねえ。いや、ある、な」

成経も苦々しげな顔で認める。

まあ、こいつ、変に意固地なとこあるからねぇ。

思い悩んでなかったら、突っぱねそうと自分でもわかったらしい。

でも、それをすんなり認められるあたり、失敗を振り返り糧にするってのを早速物にしてきたかな。

感心感心。

「しっかし、姫さん、あんたそんななりして、いったいいくつだよ? 正直、親父より上にすら感じるぞ」

うん、正解。

勘が復活してきたじゃないか。

でも、まだまだわかってないな。

わたしは人差し指を立て、

「成経、もう一つ良い事教えてあげる。女に年は聞くもんじゃないわ」

そして、そっと口元に寄せニッと悪戯っぽく笑ってみせたのだった。