作品タイトル不明
第四三話 天文十二年七月中旬『第三次安祥合戦その壱』滝川一益SIDE
「ふん、鬨の声こそ耳をつんざかんばかりの勢いだったが、その割には随分と動きが鈍いな」
三の丸に建てられた隅櫓の上から、矢盾の影に隠れながらじりじりと近づいてくる今川勢を見据えつつ、滝川一益はふんっと鼻を鳴らす。
敵接近ということで急行したはいいものの、肩透かしもいいところである。
とは言えまあ、よくある手ではあった。
城攻めは、当たり前ながら防御施設のある守兵側が圧倒的に有利だ。
圧をかけ、守兵たちの精神を揺さぶり、耐えきれず暴発するのを誘っているのだ。
ちょっと兵法をかじっていれば実に見え透いた罠ではあるのだが、これが存外、効くのである。
なにせ戦に参加している大半は、戦を専門にしている武士ではなく、普段は百姓をしている者たちなのだから。
「まだだ、絶対にまだ射るんじゃないぞ! 射った奴は厳罰だからな!」
一益は左右の手下たちを見回し、大声で注意喚起する。
殺意と凶器を持った敵が、大軍で押し寄せてきているのだ。
近づけさせまいと矢を射かけたくなるのが人情である。
が、この距離ではまず当たらない。矢盾も並べられては牽制にもならないだろう。
矢玉も無限にあるわけではない。
弓兵の体力もだ。
ここで無駄打ちしていざという時に射れなくなっては、それこそ敵の術中にハマってしまうというものだった。
とは言え、何もしないのも兵に不満を溜めさせてしまう。
ならば――
「おいおい、なにとろくせえことしてんだよ! 盾の後ろでびくびく縮こまりやがってよぉ! 今川勢に漢はいねえのかぁ!?」
御返しとばかりに、つやから支給された拡声器を使って、盛大に煽ってやる。
我ながら安い挑発だ。
これで相手が乗ってくるとは元より思っていない。
だが、
「それでも金玉ついてんのか!? 母ちゃんの腹の中に置いてきたのかぁ!? まったく今川の男は腰抜けばかりだな!」
こうやって相手の矜持を傷つけ続ければ、逆に兵の不満は溜まっていく。
塵も積もって、やがて暴発に発展することもしばしばだ。
さらに言えば、味方の不満解消にもなり、士気を鼓舞できる。
まさに一石二鳥。
槍や弓を合わせることだけが戦ではない。
兵たちの精神力を削り合う心理戦もまた、れっきとした戦なのだ。
(まあ、そういう意味では、この拡声器ってやつは便利だな)
口合戦は結局、内容や大義があるほうが勝つのではない。
声の大きさ、勢いで相手を呑み込んだほうの勝ちなのだ。
「舐めるなぁ! 貴様らこそ城の中で縮こまっている臆病者ではないかぁっ!」
早速、敵勢からも大喝が返ってくる。
見ればなんと、矢盾の前に一人の武士が進み出ていた。
「当てれるものなら当ててみるがいい! お前らのごときへなちょこの弓では、到底無理だろうがなぁ!」
こうやって勇気を示すことで味方の士気を鼓舞しているのだ。
この距離でこの声量はなかなかのものである。生まれつき強い喉と通りやすい声をしているのだろう。
これなら大いに味方を奮い立たせることができるだろう。
また、なかなかに小賢しくもある。
城門から今川方の先陣まで、距離はざっと五〇間(約九〇メートル)より少し遠いぐらいか。
かの日ノ本一の弓使い、那須与一ですら、扇に当てた時の距離は七段(七六メートル)から八段(八七メートル)ほどだったという。
それより遠いのだから、まだまだ到底狙って当てられる距離ではないことまで、計算の内なのだろう。
だが――
「南無八幡大菩薩!」
掛け声とともに、一益は弓に矢をつがえ、矢継ぎ早に四本射放つ。
流れるような所作でありながら、射る直前にはぴたりと一瞬止まり、彫像のごとき美しさがある。
後世、鉄砲の達人として知られる滝川一益であるが、弓に関しても達人であることがこれだけでもわかった。
矢はまっすぐ今川勢の下へと飛んでいき――
「わわっ!?」
まさか一射目からしっかり狙いを定めてこられるとは思ってもいなかったのだろう、矢盾の前に進み出ていた男が、慌てて身をかがめて矢をかわす。
だが、それだけにとどまらない。
そのかわしたところを狙いすましたように矢が飛んできて、男は思わず後ろにのけぞり尻もちをつく。
その股の間に矢が刺さり、さらにその両脇を矢が疾り去っていき矢立てに突き刺さる。
左右下、どこに避けても追撃がかかるのが、一益の巧妙さである。
その事がしっかり男にも伝わったのだろう、
「ひ、ひぃっ!」
情けない悲鳴とともに、獣のように四つん這いで駆け、矢盾の後ろに引っ込む。
大口を叩いていただけに、実に滑稽極まりなく、
「「「「「あっはっはっはっはっ!!」」」」」
どっと城兵たちから大爆笑が巻き起こる。
「さすが筆頭。まさしく今与一でございますな」
そう言って笑ったのは、小姓衆副頭に昇格した浅野長勝だ。
弓においては下河原織田家の中でも五指に入るであろう腕前を誇る名人である。
そんな男から、与一並みと褒められて悪い気はしなかったが、
「 弓胎弓(ひごゆみ) のおかげよ。それに与一ならば当てていたであろうさ」
ここは謙遜しておくのが吉というものだろう。
実際、当てるつもりで放ったが、まんまと逃げられてしまった。
これで与一に伍するとは口が裂けても言えなかった。
「いやいや、当てなかったからこそのあの醜態でしょう?」
「違いない」
思い出し笑いに肩を震わせる長勝に、一益も笑みを浮かべる。
一人殺せたかどうかなど、戦に与える影響は大したことではない。
むしろ敵の戦意を高めていたかもしれぬ。
だがあの醜態では士気など上がりようがない。
実際、今川勢も動揺したのか、その歩がすっかり止まっている。
逆に織田勢からは喝采が上がり、間違いなく士気は高まった。
ただの偶然ではあるのだが、当てるよりも良い結果だったと言えよう。
「これが牛一殿なら、空気を読まずに当てていたでしょうな」
「かもな」
確かにあの男ならば、当てていた可能性が高いと一益も思った。
空気を読まないこともだが、弓の腕前が尋常ではないのだ。
隊を率いる長としては全く認めておらず牛一への侮蔑を隠さぬ一益であるが、そこだけは素直に認めざるを得ない。
今与一の名に本当に相応しいのはあの男だ、と。
それほどまでに、彼の射撃は正確無比極まりないのだ。
「あ~、牛一殿と言えば、筆頭の件で姫様より説法されておったのだが」
「ほう」
「あの方、いったいおいくつなのだ? 知恵だけにあらず、肝の据わり方も人の扱い方も長い物の見方も、歴戦の大将と接しているかのようだった」
話す内容と見た目とのあまりの違いに、正直違和感が半端なかった一益である。
続けて、
「俺の実家は近江国甲賀の土豪でな、その縁で名君と名高いかの六角定頼殿と何度かお会いしたことがあるのだが」
「おお、江南の雄と謳われる方ですな。噂はかねがね」
長勝も目を瞠る。
六角定頼は、優れた内政手腕の持ち主で、様々な領内改革を行い、その居城である観音寺城下は今や大変な賑わいととみに評判である。
戦においても、長年争っていた北近江の浅井氏を服属させ近江国を統一し、また北伊勢にもその勢力を広げている。
足利義晴の一二代将軍就任に貢献した立役者であり、将軍からの信頼も厚く、機内でもまさに一、二を争う実力者だ。
「そう、その老獪極まる江南の雄と接している時と似たような感覚を覚えたのだ」
「わかりますぞ。わしも心胆寒からしめられたこと、一度や二度ではございませぬ」
「だよなぁ。あんなに見た目はかわいいのになぁ」
「ええ、普段は天真爛漫であどけなくあらせられるのに」
「不意にがらりと雰囲気が変わり、老獪にして豪胆、こちらを圧倒する威厳をまとわれる。まったく不思議なお方だ」
「ははっ、それは素戔嗚大神様の巫女、であらせられますからな。我々の尺度で測れるお方ではござりませぬ」
「そういうことなのだろうな」
一益は苦笑とともに肩をすくめる。
まったくとんでもない御仁に仕えたものだと改めて思う。
それと同時に、心が熱くなるのも感じる。
ついていけば、いったいどんな面白い風景が見られるのか。
今から楽しみで仕方がなかった。
「ああ、姫様でわしも思い出しましたぞ」
「ん?」
「先ほどの一射、まっこと申し分なしでございましたが、惜しむらくは掛け声がいまいちでござった」
「掛け声? ああっ!」
言われて、一益もピンとくる。
ニッと口の端を吊り上げ言う。
「そうだな。これからは『素戔嗚大神よ、ご加護を!』とでも叫ぶとしよう」
「それがよろしいかと」
長勝も、神妙にうなずく。
八幡大菩薩は武運の神として、弓の神として武家で広く信仰されている神ではある。
が、現世利益においては、今や八幡大菩薩より、素戔嗚大神が間違いなく上回っている。
実際、素戔嗚の巫女が発案した弓胎弓もそうだが、弓と矢に赤線を引いて目印をつけるという案は、なかなかに効果的だった。
弓術の基本は、常に同じように引いて同じように離す、である。
口で言うのは簡単だが、これほど難しいこともない。
人である以上、毎回、一分(〇・三センチ)のずれもなく引いて離すなど、どんな名人にも不可能である。
それこそあの那須与一ですら、だ。
それこそ何年も、何十年も繰り返し繰り返し、体に覚えこませその誤差を減らしていくしかないが、一益を含め下河原織田家の人間は若い人間が多い。
だが、矢と弓に目印を付けておけば、それを目安にして同じ動作がしやすくなる。
勿論、実戦でそれを見ている暇がない時も多いが、普段、これで練習していたことで 正しい位置(・・・・・) をより細かく把握しやすくなり、短い期間でそれを体に覚えこませることができた。
それが今回の正射につながったのだ。
一益が長年抱えていた空虚感を晴らしてくれたのも、また素戔嗚の巫女である。
まったく素戔嗚様様というしかない。
これで信心しなければ、それこそ罰が当たる。
こうしてつやの見知らぬところでまた一人、劔神社の氏子が誕生したのであった。