作品タイトル不明
第四二話 天文十二年七月中旬『高みの見物』
「市江川の再来って感じねぇ」
安祥城本丸南に建てられた櫓から、わらわらと展開する今川勢を見下ろし、わたしはやれやれと嘆息する。
正直、もう二度と見たくはなかったけど。
武装し凶器を携えた万単位の兵とか、普通に恐怖でしかない。
「再来ならば恐るるに足らず。鳳翼の一閃、間近でぜひ見物させていただきとうござりますな」
一益がニッと口の端を吊り上げ、意味深な視線を送ってくる。
退屈が大嫌いな彼としては、面白いものが見れそうだと期待しているのだろうが、
「期待を裏切るようで申し訳ないけど、同じ手は使えないからね? 矢作川の上流は敵に押さえられてるし」
「勿論、それは承知しておりますが、女孔明と謳われる姫様ならば、かの敵どもを一網打尽にする秘策がおありなのでは、と」
「そんな都合いいものがそうそうあってたまりますか。ふっつーに籠城して、信秀兄さまの後詰めを待つだけ、です」
「……左様にござりますか。まあ、それが堅実ではござりますな」
頷きつつも、その顔は明らかにつまらなさそうである。
だが、すぐに気持ちを切り替えたらしく、
「ふむ、ならば織田の鳳雛の采配の妙、とくと拝見し学ばせてもらうと致しましょう」
言って、一益はうんうんと頷く。
二〇〇〇対一二〇〇〇。六倍の兵力差でも余裕しゃくしゃくにそんな悠長なことを言っていられるのは、まったく頼もしい限りだった。
ただまあ、
「それも無理な相談ね」
「……ほう、某ごときでは妙は解せぬ、と仰せで?」
言葉こそ不穏だが、その口元には楽し気な笑みが浮かんでいる。
それほどのものならば見てみたいといったところなのだろうが、
「いえ、単にわたしは采配なんて振るわないから、よ。勝家殿」
「はっ!」
「今回は城主である信広殿直々にわたしが陣代を任された以上、わたしの名で指示は出しますが、基本的な采配は全て貴方に任せます」
恥も外聞もなく、わたしは丸投げする。
責任放棄? いやいや、大勢の命もかかってるし、素人のわたしが指揮するほうが無責任極まりないだろう。
前世の知識がある分、多少頭を巡らせる方向では、わたしもけっこうアドバンテージを活かして立ち回れてるとは思う。
でもこと 戦(いくさ) ってなると、正直わたしには才能がまるでないんだよなぁ。
先の戦いで思い知ったが、成経や勝家殿のように野生の勘がまるで働かないし、彼らに見えているものがわたしにはまるで見えていない。
刻一刻と状況が変わり臨機応変さが求められる戦場では、この鈍感さはけっこう致命的である。
餅は餅屋、ここには後の織田四天王の筆頭がいるのだ。
適任に放り投げるのがどう考えても最適解というものだった。
「承知つかまつりました」
全く動じた様子もなく、粛々と勝家殿が頷く。
前回もだったし、多分こうなることは想定していたんだろうな。
「勝家殿に任せるおつもりでござるか?」
一益が問いつつ、眉をひそめる。
「つや姫様のご決定に何か不満でもあるのか?」
「いいえ、適任だとは思いますぜ。ただまあ姫様のほうが面白いものが見れそうで、残念なだけです」
ジロリと勝家殿が睨めつけると、一益は苦笑とともに肩をすくめる。
わたしに相対する時に比べるとけっこう砕けてはいるが、それでも一応は敬語なあたり、その実力はしっかり認めてはいるのだろう。
牛一相手とか、直属の上司なのに辛辣だったしね。
「一益、貴方には遊撃大将を命じます。小姓衆を率い、戦局に応じて臨機応変に動いてもらいます」
安祥城は、南側に大手門、北側に搦手門として二門ある縄張りだ。
敵も現状、三手に分かれ、包囲するようにそれぞれの門から少し離れたところに陣取っている。
今のところ、敵がどこに攻めてくるかはわからないけど、基本的には敵の戦力が集中しているところに駆けつけてもらうことになるのかな。
それだけ危険と隣り合わせな役とも言えるけど、後に『進むも退くも滝川』と謳われるほどに戦局を読むことに長ける男なら適任だろう。
「へえ、随分と手前の事を買ってくださってるようで、有り難い限りでござる」
ニッと口の端を吊り上げて、悪戯っぽく問うてくる。
実際、まだ仕官して二か月の若造には大抜擢も大抜擢と言える。
ただまあ、あくまで一益的には冗談めいた軽口といったところだったのだろうけど、
「ええ、そうとってもらって全然かまわないわ」
わたしは大真面目に返す。
なんせ後の織田家四天王の一角だからね!
そりゃ大いに期待するってもんでしょ。
まったく贅沢な陣容だと我ながら思うところである。
「して、戦の指揮を手前らに任せ、姫様は何をなさるおつもりで?」
まあ、当然の疑問ではある。
「特に何も。強いて言うなら……そうね。高みの見物かしら」
わたしは意趣返しとばかりに悪戯っぽく微笑み、ぱちりとウインクする。
さすがの一益もこれには呆気にとられたようにポカンと目を丸くするが、
「ぷっ、くくく、ははははっ!」
すぐに吹き出し、大笑いを始める。
わたしとしてはちょっとしたジョーク程度な感覚だったのに、まさかここまでの反応をされるとは。
ツボだったのかしら。
「一万を超える大軍に囲まれながら、高みの見物ですか! それは実に剛毅ですなぁ」
ああ、そういうことね。
まあ、確かに外から見たら、相当肝が据わって見えたことだろう。
わたし的には、織田四天王の内の二人もいて大船に乗ったつもりだったからこそ出た言葉だったんだけどね。
「なるほどなるほど。些事は手前ら二人にお任せください! 姫様は大所高所に立ち、ゆるりと今川打倒の大略を御練り遊ばしくださりませ」
「あ~……」
高見ってのを、そうとらえるちゃうかー。
ほんとに言葉のまま、無責任に後は全部任せて何もしないって意味でしかなかったのに。
ちらっと勝家殿のほうを見ると、彼もなんか、我が意を得たりとばかりにうんうんと頷いているし。
世間はともかく、家臣たちからのこの過大すぎる評価をどうにかしないと、後々、自分の首が締まりそうだなぁ。
なんてわたしがのほほんと今後の身の振り方を考えていたその時だった。
ぶおおおおおおおおお!!
突如、今川方より法螺貝が高らかに鳴り響く。
一拍置いて、
「「「「「おおおおおおっ!!」」」」」
鬨の声が巻き起こり、今川勢の前方にずらりと並べられていた矢盾が前進を始める。
ちょっ、もう攻めかかってくるわけ!?
普通、もうちょっと偵察とか工作とか戦準備とかに時間かけるもんなんじゃないの!?
……信秀兄さまの援軍が来る前に、多少の損害を被ってでもこの城を奪ってやろうってところか。
それだけ敵は急いでこの城を落としたい、ということなんだろうけど、げせないなぁ。
そんなことしたら消耗が激しくて、とても信秀兄さま率いる本隊と戦う余力とかとても残りそうにない。
そうなれば当然、せっかく奪った安祥城も守り通せない。
無謀な特攻で、あたら兵を失っただけ、となる。
だが、そんな馬鹿なことを意味もなく、あの太原雪斎がするはずもない。
何かしらの狙いが、きっとあるはずなのだ。
そこまで考えて、わたしはゾクリと背筋が震える。
なんかいよいよ、信広殿の推測が当たってるような気がしてきたなぁ……。
高みの見物とか言ってられなさそう。
ほんとやれやれである。
とにもかくにもこうして。
史実とは違う第三次安祥合戦の火蓋が切って落とされたのだった。