軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

行きの馬車

翌朝。

連合商務調整局本部の前には、すでに馬車が停まっていた。

視察用としては質素だが、長時間の移動を前提にした、揺れを抑える造りだ。

――本部の人間が使う馬車だ。

エルフリーデがそう判断したところで、背後から声がかかった。

「おはよう」

振り返ると、ルーカスが外套を整えながら立っている。

赤い髪を一つにまとめ、いつものように糸のように細められた目。

「今日は一緒だね」

軽い調子だが、どこか含みがある。

御者が扉を開ける。

中を覗いた瞬間、エルフリーデは一瞬だけ言葉を失った。

――座席が、横並びだった。

向かい合わせではない。

しかも、思ったよりも間隔が狭い。

「……あ」

「うん、そうなるよね」

ルーカスは、最初から分かっていたように言う。

「大人数用は別件で出ちゃっててさ。結果、これ」

言い方は軽いが、悪びれた様子はない。

彼が先に乗り込み、奥へ詰める。

自然と空いたのは、隣の席だった。

「どうぞ」

断れる雰囲気ではない。

エルフリーデは一拍置いてから、馬車に乗り込む。

扉が閉まり、車輪が動き出す。

揺れと同時に、距離の近さを意識させられる。

外套の布が触れ、肩が、ほんのわずかに当たる。

(……近い)

その感覚に気を取られた瞬間、香りが届いた。

焚きしめた香。

書庫で書類を取ってもらった時に、微かに感じたものと同じだ。

「……香、気になる?」

ルーカスが、思い出したように言う。

声は低く、こちらを覗き込むでもない。

気づいたから確認した、という距離感だ。

「いえ」

「ならよかった」

即答だった。

「強いのは、苦手な人も多いから」

どこか、経験談のような言い方。

エルフリーデは視線を前に向けたまま答える。

「前の職場で、慣れていますから。お気になさらず」

「なるほど」

それ以上は踏み込まない。

馬車が段差を越え、少し大きく揺れた。

身体が傾いた瞬間、ルーカスの手が自然に伸び、背に添えられる。

支えるだけの、短い接触。

指は長く、余計な力が入っていない。

「大丈夫?」

声は低いが、余計な色はない。

「……はい」

答えると、手はすぐに離れた。

距離は戻る。

だが、さっきまでよりも、互いの存在を意識せずにはいられない。

しばらく、沈黙。

外の蹄の音と、車輪のきしむ音だけが流れる。

「緊張してる?」

唐突だが、探るような言い方ではなかった。

「……仕事自体は」

「うん」

続きを待つだけ。

「問題ありません」

「そう」

満足とも不満ともつかない声。

「地方はね」

独り言のように続ける。

「書類より、人の方が厄介なんだ」

少しだけ、笑う。

「肩書きより、態度を見る人が多い」

エルフリーデは、何も言わなかった。

王宮で、何度も聞いた言葉だ。

そして、何度も実感してきた。

馬車は街を離れ、郊外へ向かう。

エルフリーデは窓の外を見ながら思う。

――距離が近いだけで、

こんなにも気になるものなのだろうか。

隣の男は、特別なことをしていない。

声を荒げるでもなく、踏み込むでもなく。

ただ、自然にそこにいるだけだ。

それが一番、厄介だった。