作品タイトル不明
店舗物件を探しに
「王室御用達か……」
パージが、低く呟いた。
「そのためには、まず王都で人気の店にならなきゃ。王室の目に留まるくらいに、ね」
私は、花飾りから伸びたリボンを帽子に結びながら答えた。指先が、勝手に動く。こういうとき、手を動かしていると、頭のほうも勝手に片付いていく。
「じゃあ、どんどんいい商品を作って、ニッキーさんに売ってもらいましょうよ」
ミシェルが、床で靴の底を合わせながら言った。
「うーん、それでもいいんだけど……」
私は帽子を持って、立ち上がった。
「やっぱり、私たちも自分の店を持ちたいわ」
「え?」ミシェルが顔を上げる。「でも、商品はカートライト商会に独占販売権を渡してるんじゃ……」
「うん。だから、ニッキーには保証料を払う」
「なんでえ」パージが眉を寄せた。「わざわざ金を払って、自分で売るのか。損が出るじゃねえか。販売はニッキーに任せときゃいいだろ」
もっともな言い分だ。私は帽子を壁にかけ、みんなのほうを振り返った。
「ねえパージ。ブレンナールのあの店、どうして当たったと思う?」
「そりゃ……お前さんの作るもんが、良かったからだろ」
「それだけじゃないのよ」
私は、ナタリーに目をやった。
「私の店先の売り口上、ナタリーの接客、棚の並べ方、包み紙の畳み方——その全部がはまって、あの店は『行きたい店』になった。商品の良さなんて、入口にすぎないの」
卸すだけなら、私たちはただの“仕入れ先”だ。けれど自分の店を持てば、お客様は商品ではなく、『ガブリエルの店』に会いに来る。
「だから王都でも、人が並ぶ店を作る。王都でいちばんの店になれば——その店の品を、王室だって無視できない」
遠回りに見えて、自前の店こそが、御用達への一番の近道。そこが本筋なのだ。
パージが、しばらく私を見ていた。それから、ふっと肩の力を抜く。
「……わかった。そっちは、お前さんに任せるよ」
「俺らは、とにかくいいモンを作るぜ」
「はい!」ミシェルの声が、弾んだ。
「じゃあナタリー、私たちは物件を探しましょう」
「はい」
◇ ◇ ◇
初夏の街を、二人で並んで歩いた。王都の朝は、ブレンナールより少し遅く動き出す気がする。
「どこで探すんですか? 確かニッキーさんたちは、駅前にこだわってましたよね」
「うん。でも私たちは——」
私は、街並みの向こうへ目をやった。白い王城の塔が、朝の光に浮いている。
「貴族の住む土地に、店を出すわ」
「えっ。ニッキーさんと、逆ですね」
「ニッキーは、これからは平民が力をつけると言ってる。たぶん、正しい。あの人の国——アルビオン共和国では、もうそうなんでしょうね」
「じゃあ、どうして……」
「でもね、ナタリー。私が品を売る相手は、“これからの世の中”じゃないの。“今年、何が美しいか”を決める人たちよ」
足を止めずに、私は続けた。
「このベルリアは、まだ王様と貴族の国。何を着るべきか、何が上品かは、お城のそばに住む奥様方が先に決めて、それが下々まで降りてくる。流行の水源は、いつだって貴族なの」
「水源……」
「そこさえ押さえれば、流れは勝手についてくる。ニッキーは未来を見ていて、私は流行の出どころを見ている。見ている場所が、違うだけよ」
ナタリーが、感心したように頷いた。それからしばらく黙って歩いてから、
「……そういえば」と、私はふと思い出したふりをする。「ミシェルとは、どうなの?」
「な、何のことですか!?」
「付き合ってるんでしょう」
「えっ、なんでわかったんですか!」
「なんとなく、見てればわかるわよ」
ナタリーが、耳まで真っ赤になった。私は笑った。仕事と関係のない笑い方をしたのは、ずいぶん久しぶりだった。
◇ ◇ ◇
まずは、カトリーヌ夫人に紹介してもらったお屋敷を訪ねた。管理を任されているという婦人が、私たちを中へ通す。
「お貸しできませんね」
書類に目を落としたまま、彼女は言った。
「あの、理由を伺っても?」
「ガブリエルさん。あなた、離縁なさっているでしょう」
背筋を、冷たいものが通った。
「離縁した元・貴族夫人は、もう貴族とは言えません。王城の周りを借りられるのは、王侯貴族だけという決まりですの。カトリーヌ夫人のご紹介でも、これは曲げられません。——お引き取りを」
外に出ると、日差しだけが、変わらず明るかった。
「だ、大丈夫よ」私はナタリーに言った。「お屋敷を一軒ずつ、直接当たってみましょう」
一軒目。扉の隙間から、首を振られた。
二軒目。「離縁」と口にした瞬間、相手の目の温度が、すっと下がった。
三軒目。四軒目。
断られるたび、私は顔に張りつけた笑みを保ったまま、次の扉へ向かう。ただ、ぼんやり打ちのめされていたわけじゃない。一つひとつの断り文句を並べて、私は壁の“形”を測っていた。
——金の問題じゃない。品の質でもない。私が「貴族の仲間」ではない。ただ、それだけ。
つまり、正面から借りにいくかぎり、この壁は絶対に開かない。
私に必要なのは、貸家じゃないのだ。この塀の内側にすでに住んでいて、それでいて——貴族のしきたりに、恩も義理も感じていない、そんな協力者。
そんな都合のいい人が、はたしているだろうか。
夕方になると、空が橙色に傾いていた。
「やっぱり、どこも貸してくれませんね」ナタリーの声が、疲れている。「王城の周りは、もう諦めませんか。貴族の方はそもそも商売を嫌がりますし、ここは商売に向いていないのでは……」
「いいえ」
私は、足を止めた。
「貴族の買い物好きは、私がいちばんよく知ってる。きっと、どこかに——」
そこで、言葉が途切れた。
——それにしても。離縁した女ひとりに、貴族社会というのは、こんなにも冷たい。
自分の立っている場所の輪郭が、いやにはっきりした。貴族でもなく、平民でもない。商人でもなく、妻でもない。どこにも収まらない、宙ぶらりんの場所。
その宙ぶらりんの場所から、ふと、通りの向こうへ目が向いた。
黒い服の女性が、ひとり、立っていた。喪服だ。背筋はまっすぐ通っているのに、その肩には、疲れの重さが乗っている。まだ若い。三十にもなっていないかもしれない。
未亡人。若くして、夫を亡くしたのだ。
その瞬間、頭の中で、火花が散った。
——あの人も、きっと、私と同じ側にいる。
夫を失った女は、貴族の家に居場所を残したまま、その輪の真ん中からは、そっと外されている。塀の内側にいて、けれど、しきたりには守られていない人。それは、私が一日じゅう探し回って見つからなかった「協力者」の、姿そのものだった。
理屈じゃない。同じ場所に立たされた者だけにわかる、匂いのようなものだった。
一日ぶんの「お引き取りを」が、まだ耳の奥で鳴っている。それでも——いや、だからこそ。この細い、細い糸に、賭けてみる価値はある。
「あの、もし——」
気づけば私は、駆け出していた。