作品タイトル不明
王室御用達
会議室に、朝の光が斜めに差し込んでいた。
テーブルを囲む顔ぶれを、私は少し離れた席から見ていた。カレン、マルコス、ジュリアン、アリア。それぞれが、自分の仕事と、自分の言葉を持っている。私はまだ、この部屋の空気の作り方を知らない。——だから、今日ここに座っている。見物のためじゃない。
「駅前の用地買収は、進みそうか」
ニッキーが、地図の上に指を置いた。汽車のなかで「これは運命ですね」なんて軽口を叩いた、あのニッキーとは別人のような声だった。低くて、迷いがない。これが、商人としての彼の顔なのだろう。
「あまりいい状況ではないね。足元を見て、地主たちが吹っかけてきている」
マルコスが腕を組む。
「駅前はやめて、王城近くの土地はどうですか。あの辺りは貴族が多く住んで、客の質もいい」
カレンが資料を広げた。
「いいや。駅前だ」
ニッキーが顔を上げた。声に、迷いが一切ない。テーブルの向こうで、カレンがわずかに体を引いた。
「これからは平民が、どんどん力をつける。そのとき、交通の要となる駅前を押さえていなくて、どうするんだ」
カレンが押し返す。ニッキーが上回る。マルコスが数字を放り込み、アリアが地図の角を指で叩く。声が重なり、室温が上がっていく。
私は黙って、その応酬を追っていた。ただ、ぼんやり眺めていたわけじゃない。誰がどの理屈で押し、誰がどこで引くのか——この部屋の力の流れを、一筋ずつ手繰っていた。この人たちの言葉には、骨がある。正しいかどうかより先に、信じているものがある。ブレンナールの仲間とも、ジャックとも違う、別種の熱だ。そして、いつか私が、味方につけなければならない熱でもあった。
「いやー、白熱してるね〜」
隣で、ジュリアンが肩をすくめた。
「毎回、あんな感じですか?」
「いや、今日は特別かな」
彼が、少し声を落とす。
「ガブリエルさんの前で、いい格好しようとしてるのかも」
「そ、そうなんですか?」
「おい、フェリクス! 変なことを言うな!」
ニッキーの声が、議論の熱ごと飛んできた。ジュリアンが「おっと」と首をすくめ、私は思わず笑いをこらえる。
やがて議論がひと区切りつくと、ニッキーがこちらへ歩いてきた。
「いきなりこんな会議に参加させて、すみません」
「いいえ。勉強になりました」
「ガブリエルさんにも、聞いてもらいたくて。——いま我々が何の話をしていたか、わかりますか」
「いいえ。ぜひ」
「デパートですよ」
その言葉が、空気のなかに落ちた。
「デパート……」
聞いたことだけは、あった。アルビオン共和国や、大陸の東のほうに、そういう商業施設があるという。ただ、この国では、誰も見たことがない。
「我々はこの国で初めての、デパートを作る。たくさんの店が一つ屋根の下に集まった、巨大な建物です。そして——」
ニッキーが、私をまっすぐ見た。
「あなたのガブリエル商店を、その店子に迎えたいんです」
一拍遅れて、言葉の意味が届いた。
そして、ほとんど同時に、頭のなかで算盤が回りはじめる。
王都のど真ん中。この国にまだ存在しない建物。その中に、私の店が入る。ブレンナールで四年かけて育てた帽子と靴と日傘が、そこに並ぶ。——昨日、辻馬車の窓から眺めた、あの貴婦人たちの目の前に。
これだ。これこそ、私が手がかりを探してこの会社へ飛び込んだ、その当のものだ。
「想像できませんか。このベルリアの王都に、そびえ立つビルディングを」
できた。嫌というほど、鮮明に。
突然、マルコスが立ち上がった。
「ビルのなかには、ありとあらゆる店と商品が溢れる」
ジュリアンが、椅子を蹴るように続く。
「人々が、欲しいものを求めて、王都じゅうから集まってくる」
カレンが、資料をテーブルに広げた。
「王都の人口から弾けば、その数はとんでもないものになります」
アリアだけが、腕を組んだまま首を振った。
「もちろん、商品がつまらなければ、誰も買いはしませんけどね」
「だけど」
ニッキーの声が、部屋の中心に落ちた。
「そこに、ガブリエル商店の商品が並んでいたら——」
全員の目が、私に向いた。
「……たくさん、売れる」
私が言うと、
「「「そう!」」」
笑い声が、会議室に弾けた。
胸の奥で、炭に最初の空気が当たったときのような、じわりとした熱が灯る。この人たちは、本気だ。本気で、この国の商売の形を変えにきている。
——なら、その船には、私が乗る。それも、誰よりいい場所に。
◇ ◇ ◇
夜の作業場は、ミシンの音と、なめした皮の匂いに満ちていた。
「——そんなわけでね」
ナタリーと並んでミシンを踏みながら、昼間の会議を話した。自分の声が、少し上ずっているのがわかる。
「みんな、やる気がすごいの。土地のことで、言い合いになるくらい」
「だったら、どんどん商品を作ろうじゃねえか」
パージが、木型を手に振り向く。「ですね」とミシェルが靴から顔を上げた。二人の顔が、ぱっと明るくなる。私が話すだけで、こんな顔になる。それが嬉しくて、だからこそ、次の一言は慎重に置いた。
「ただ——そんなに甘い話じゃないのよ」
パージの眉が上がった。
「店子に選ばれるには、もっと実績がいるの。しかも、決めるのはニッキーじゃない」
「ニッキーじゃ、ない?」
「店子の選定には、本社から幹部が来るんですって。海の向こうから、わざわざ私たちを品定めしに」
針を、止めた。海の向こうの、顔も知らない誰か。その人間が、ブレンナールあがりの女の店に「否」と言う理由を探しに、やってくる。
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
「ニッキーから、ひとつ道を示されたわ」
回想のなかで、ニッキーの声が、静かに響く。
——王室御用達の商品を、作ってください。
——あなた方の帽子、靴、日傘を、王室に納めたい。
——王室が使う品は、それだけで信用の証になる。これができれば。
「あなた方を、メインの店子に推薦できます」
作業場が、静まりかえった。
ミシンが止まる。槌が止まる。布を持ったナタリーの手が、宙で止まっている。
王室御用達。
この国で商いをする人間なら、誰もが一度は夢に見て、そのほとんどが口にする前に諦める言葉だ。ブレンナールの小さな洋品店から出てきた私たちが、それを正面から獲りにいくと言っている。
パージが、ゆっくりと息を吐いた。
「……でかく出たな」
「ええ」
「怖くねえのか」
私は、花飾りを帽子の縁に合わせた。レースの端が、灯りの下で細かく光る。
「怖いわよ」
正直に、言った。
「でも、面白いとも思ってる」
パージが私を見た。ミシェルが、ナタリーが、それぞれの顔で私を見ている。
「さあ、手を動かしましょう」
私は、針を持ち直した。
「王室に届けるものを、ここで作るんだから」
ミシンが回りだし、槌の音が戻ってくる。みんなが、それぞれの道具へ手を伸ばした。
——でも、本当のことを言えば。
針を動かしながら、私は、店子の話だけでは満足していなかった。
他人が建てたビルの、一区画を借りる。ありがたい話だ。足がかりとしては、これ以上ない。けれど、足がかりは、しょせん足がかりでしかない。
いつか必ず、この街のいちばんいい通りに、誰の軒先でもない、私だけの店を持つ。『ガブリエル商店』の看板を、この手で掲げてみせる。
窓の外で、王都の夜が、底光りしていた。
きらびやかで、大きくて——そして、まだ何ひとつ、私のような女に心を許してはいない街だった。
その街が、離縁した女に向ける最初の答えは、もう、目の前まで来ていた。