軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

二つの鉄と、決意の炎

木箱と麻袋が積まれた居間には、少し埃っぽい匂いが漂っていた。

窓から差し込む午後の陽光が、宙を舞う細かい塵を白く照らし出している。

出発を数日後に控えた俺たちの家は、すでに生活感が薄れ、どこかよそよそしい空間へと変わりつつあった。

俺は窓際の椅子に腰掛け、油を染み込ませた布で一本の剣を拭き上げていた。

王都を脱出する際、ミネルヴァの親父であるガルドから譲り受けた『軍の将校の鉄剣』だ。

装飾の一切ない黒塗りの刃は、分厚く、そして重い。

雪山で巨大なアーマード・パイクの鱗を叩き斬った時も、刃こぼれ一つしない頑丈な代物だった。

(……悪くない剣だ)

布を滑らせながら、心の中でそう毒づく。

悪くない。だが、最高ではない。

長く使ったが、刃の重みに振り回されないよう、手首の返しに常に意識を割かなければならない。

小回りの利く剣術には、どうしても一瞬の『タメ』が生じてしまうのだ。

「……エドさん。その荷物、もう詰めてもいいですか?」

床に座り込んで荷造りをしていたクリスが、ふと顔を上げた。

彼の手には、厳重に幾重にも巻かれた古い布の束が握られていた。

布の隙間から覗いているのは、使い込まれた革巻きの柄と、無残に半ばから砕け散った刃の根元。

五年前、王都の武術大会で勇者レオナルドの一撃を受け止めた際、自ら砕けることで俺を守ってくれた『かつての愛剣』だった。

「ああ。それは背嚢の奥に入れておいてくれ」

俺が短く答えて視線を鉄剣に戻そうとした、その時だった。

「エドさん。新しい旅にも、その鉄剣で行くつもりですか?」

クリスの声は、ひどく静かで、そして重かった。

俺は布を動かす手を止め、彼を見返す。

真っ直ぐに見つめてくる薄茶色の瞳には、弟子としての遠慮はなく、ただ純粋な問いかけだけがあった。

「その剣では、エドさんの反応速度に刃がついてきていません。教官としての立ち回りなら誤魔化せても……僕たちと一緒に旅に出る時は、一瞬の遅れが命取りになる事もあります」

「……」

痛いところを突かれた。

この五年間、誰よりも近くで俺の剣を見てきた弟子は、俺が無意識に押し殺していた『わずかな隙』を完全に見抜いていたのだ。

「ガルドさんからの貰い物だしな」

俺は視線を窓の外へ逸らし、口を開いた。

「それに、教官の仕事が忙しくて鍛冶屋に顔を出す暇もなかった。五年も使って、ようやくこの無骨な重さにも慣れてきたところだ」

並べ立てた言葉は、どれも嘘ではない。

だが、口に出せば出すほど、その響きは薄っぺらく、ひどく空虚なものに感じられた。

クリスは何も言わず、ただ静かに俺を見つめ続けている。

「……っ、ふん」

俺は鼻から短く息を吐き出し、自嘲するように口角を上げた。

「……いや、ただの言い訳だな」

手の中にある分厚い鉄剣を、作業台の上に放り投げる。

ゴトンッ、と無骨な金属音が鳴った。

「俺が『教官稼業なら、そこそこの武器でいい』って妥協してただけだ。平和に浸かって、自分を誤魔化してた」

立ち上がり、クリスの手から古い布の束――砕けた愛剣を受け取る。

掌にすっぽりと収まる革巻きの柄の感触は、五年という歳月を経てもなお、俺の手に完璧に吸い付いた。

「出発の予定を遅らせるがいいか?」

「……はいっ!」

俺の言葉に、クリスはパッと顔を輝かせ、力強く頷いた。

領都の裏通り。

賑やかな大通りから一筋入っただけで、むわっとした熱気と、石炭の焦げるツンとした匂いが鼻を突く。

カンッ、カンッ、とリズミカルな金属音が響く老ドワーフの武具工房。

重い木の扉を押し開けると、炉の熱気と共に、懐かしい鉄と油の匂いが押し寄せてきた。

「……おうおう、どこの誰かと思えば」

奥の炉の前でハンマーを振るっていた老ドワーフが、額の汗を真っ黒な手ぬぐいで拭いながら顔を上げた。

俺の顔を見るなり、深い皺の刻まれた口元がニヤリと歪む。

「ギルドの教官殿に出世してからこっち、支給品の安物ばっかりでウチにはちっとも顔を出さなかったくせに。……お前が来る時は、面倒な事しか言わねえって相場が決まってるんだ」

親父はカッカッカッと腹の底から笑い、分厚い手で煤けたカウンターをバンッと叩いた。

「耳が痛いな。……だが、今回はその中でもとびきりの面倒事だ」

俺は苦笑しながら、背嚢から取り出した二つの品――将校の分厚い鉄剣と、古い布に包まれた砕けた愛剣の柄を、カウンターの上に並べた。

「親父。こいつらを溶かして、一本に打ち直してくれ」

「……はぁ?」

親父の笑い声がピタリと止まり、二つの剣を見比べた。

「馬鹿を言え。性質の違う鉄だぞ」

親父は太い指で鉄剣の刃を弾き、次に砕けた愛剣の断面を撫でる。

「こっちの黒いのは、軍用の頑丈な鋼だ。硬くて重い。対して、お前さんの古い剣は、しなりを重視した柔らかい鉄だ。これを混ぜ合わせるだけでも至難の業だぞ」

「親父ならできるだろ」

「おだてるな。それに……お前さんのその『古い柄の握り心地』と『手首の返し』の絶妙なバランスを、この新しい鉄の塊で再現しろって言うんだろ? 五年も前の、お前の手の癖なんざ忘れちまったわ」

職人は忌々しそうに吐き捨て、腕を組んだ。

確かに、無茶な注文だ。

鍛治の事は専門外だとしても想像を絶する手間と技術が要求している事はわかる。

「頼む、親父」

俺はただ一言だけ言い、深く頭を下げた。

隣では、クリスとロウェナも並んで深く頭を下げている。

「……ちっ」

長い沈黙の後。

老ドワーフは盛大な舌打ちをし、カウンターの上の二つの剣を乱暴に引っ掴んだ。

「これだから素人は嫌いなんだ。出来上がりが気に入らなくても、金はきっちり貰うからな」

そう言い放ち、工房の奥――赤々と燃え盛る炉の方へと振り返る。

その横顔には、困難な仕事に対する職人としての獰猛な笑みが、確かに浮かんでいた。

「最高に面倒で、最高に面白ぇ注文だ。……三週間待て」

出発予定から、さらに三週間が過ぎた日。

俺は差し出された布張りの箱の蓋を開けた。

匂い立つような新しい鉄の香りが、鼻腔をくすぐる。

黒いベルベットの布の上に横たわっていたのは、一切の装飾を持たない、極めて実戦的な一本の剣だった。

「……」

無言で柄を握り、ゆっくりと持ち上げる。

刃は、軍用剣の頑丈な鉄とかつての愛剣のしなやかな鉄が幾重にも折り重なり、水面に落ちた波紋のような美しくも妖しい模様を浮かび上がらせていた。

そして持ち手は、かつての愛剣の形状が忠実に再現され、新しい革が固く巻き直されている。

鞘から抜き放ち、工房の空いたスペースで軽く振るってみた。

ヒュォンッ!!

空気を裂く、低く鋭い音。

軍用剣の重さは消え去り、かつての愛剣の軽やかさが戻っている。

いや、それだけではない。

刃の芯には確かな『重み』が残っており、斬撃の威力を底上げしているのが手首に伝わってくる。

振った後のブレが、全くない。

俺の筋力、腕の長さ、手首を返すタイミング。

五年という歳月のブランクを微塵も感じさせない、完璧な重心調整だった。

俺は前髪の奥で目を細め、フゥッと長く息を吐き出した。

掌にじんわりと滲む汗が、新しい革巻きの柄にゆっくりと馴染んでいく。

「……文句のつけようがねえ。最高の仕事だ」

俺が剣を鞘に納め、金貨の入った革袋を取り出そうとした時だった。

チャリンッ、と涼やかな音がカウンターに響いた。

「えっ?」

見れば、ロウェナとクリスが、俺よりも先に数枚の金貨をカウンターの上に並べていた。

「エド、これ、私たちから!」

ロウェナが満面の笑みで胸を張る。

「……これからの新しい旅への、護衛代の前払いです。僕たちがギルドの依頼で貯めたお金ですから、遠慮しないでください」

クリスもまた、柔らかな、しかし譲らない眼差しで俺を見つめてきた。

五年間、ギルドの裏方や簡単な依頼をこなし、俺に内緒で少しずつ貯めていたのだろう。

その重みを想像し、俺は差し出しかけた革袋を静かに懐へ戻した。

「……生意気になりやがって。ありがたく受け取っておく」

ガシガシと頭を掻きながら、俺は不器用に礼を言った。

老ドワーフが「へっ、いい弟子を持ったな」と、真っ黒に汚れた手で鼻の頭を擦る。

工房を出ると、空はすでに深い茜色に染まっていた。

石畳の上には、並んで歩く俺たち三人の長い影が伸びている。

予定より大幅に遅れた出発だ。

だが、誰の足取りにも焦りはない。

俺の腰には、過去の記憶と新たな決意が一つに鍛え上げられた、俺だけの『真の剣』が吊るされていた。

領都の冷たい夜風が、新しい旅立ちを急かすように路地裏を吹き抜ける。

歩みを早める俺の腰元で、生まれ変わった剣の鍔が、チリッと小さく澄んだ音を鳴らした。