軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

路地裏の影と、立ちはだかる師匠

休日。

クリスはロウェナから渡された「お肉多め、あと甘いお菓子」という可愛らしいメモを片手に、市場へ買い出しに出ていた。

行きつけの肉屋で値段の交渉をし、八百屋で世間話をしてから新鮮な野菜を見繕う。

領都の生活に慣れ、随分と経った。

今ではこの騒がしくも温かい日常が、クリスにとって何よりの安らぎになっていた。

しかし、買い物を終えて人通りの少ない裏路地へ入った途端、背筋を撫でるような不自然な気配を感じて、クリスは足を止めた。

「お見事な市井への溶け込み方です。……お迎えに上がりましたよ、ウィリアムぼっちゃま」

振り返ると、そこには身なりの良い初老の男が立っていた。

ハイモア家に長く仕える家令のセバスチャンだ。

クリスは表情を硬直させ、手にした買い物袋の持ち手をぎゅっと握りしめた。

「……もう、その名で呼ぶなと言ったはずだ。僕はもう、家を出た人間です」

「そう冷たいことをおっしゃらないでください」

セバスチャンは、クリスの少し着崩した服や、背負っている槍を値踏みするように見た。

「貴族の嗜みである剣を捨て、そのような平民の武器を……それに、冒険者などという泥水のような生活は、ハイモアの嫡男には相応しくありません」

「余計なお世話だ。僕はこの生活に誇りを持っています。……用がないなら、失礼しますよ」

背を向けようとしたクリスの背中に、セバスチャンは冷徹な事実を突きつけた。

「家を出られて三年。……ご当主様が、病に倒れられました」

ピタリと、クリスの足が止まる。

「あなたが戻らねば、優秀すぎる弟君たちの間で家が割れます。……あなたが家を捨てることは、領民を見捨てることと同義ですぞ」

正義感と責任感。それがクリスの最大の弱点であることを、この男は熟知している。

胸の奥が冷たくなるのを感じながら、クリスは振り返って啖呵を切った。

「……あの優秀な兄上はどうしたんです? 彼がいるなら、何も問題ないはずだ」

クリスが継ぐはずだった王都の近衛兵という名誉ある地位。それをあっさりと奪い取った、完璧な長男。

彼が家を継げば、ハイモア家は安泰のはずだ。

しかし、セバスチャンは首を横に振った。

「アルベルト様は、王都で近衛騎士団の副団長に昇進されました。王家直属となられた以上、もはや実家に戻って家督を継ぐことは許されません」

「なっ……」

「つまり、残された正当な後継者は、正妻の次男であるあなただけなのです。ウィリアム様」

足元が、ぐらりと揺れるような感覚に襲われる。

家から逃げ出した結果、すべての責任が、一番避けたかった形で彼自身に降りかかってこようとしていた。

逃げ道が塞がれ、足がすくんで動けない。

その時だった。

「おい。買い物が長いと思ったら、路地裏で何油を売ってるんだ」

クリスの背後から、串焼きをかじりながらエドが姿を現した。

「し……師匠……」

セバスチャンはエドを「たかが冒険者風情」と見下すような目で一瞥し、冷たく言い放った。

「部外者は下がっていただきたい。これは、貴族家の問題です」

「……部外者?」

エドは手元の串焼きの最後の一口を咀嚼すると、持っていた串を無造作に、だが弾丸のような速度でセバスチャンに向かって放り投げた。

ヒュッ、と風を切る音。

セバスチャンの頬を掠めた串は、背後の建物の石壁に深々と突き刺さった。

「なっ……!?」

セバスチャンが驚愕に目を見開く中、エドはゆっくりと家令の前へ歩み出た。

「こいつは俺の大事な弟子で、家族同然のパーティメンバーだ。……道端でコソコソとうちの家族を嗅ぎ回るのは、感心しないな」

剣を抜いてすらいない。

声を荒げているわけでもない。

だが、エドから放たれる圧倒的な「殺気」——幾多の死線を潜り抜けてきた者だけが持つ、実戦のプレッシャーが路地裏を満たした。

無能とは程遠い家令であるセバスチャンも、本能的な恐怖から一歩、また一歩と後ずさる。

「……用があるなら、アポイントを取ってギルドの正面から来い。次、裏路地で待ち伏せなんかしたら……ただじゃ済まさないぞ」

静かで、冷え冷えとした警告。

セバスチャンは冷や汗をハンカチで拭うと、震える声で答えた。

「……本日はこれで引かせていただきます。しかし、必ず連れ戻しますからね」

捨て台詞を残し、セバスチャンは逃げるように路地から消えた。

張り詰めていた糸が切れ、クリスの膝から力が抜ける。

倒れそうになった彼の首根っこを、エドの太い腕が掴んで支えた。

「……すみません、師匠。格好悪いところを」

「気にするな。……ほら、帰るぞ。ロウェナが腹を空かせて待ってる」

そう言って歩き出すエドの大きな背中を見つめながら、クリスは自分の弱さを痛感していた。

同時に、もう逃げるわけにはいかないのだと、実家と真正面から向き合う覚悟が静かに固まっていくのを感じた。