軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

礼儀作法という名の戦場

冒険者ギルドのギルドマスター室。

重厚な執務机の上に、一通の封筒が置かれていた。

上質な羊皮紙に、赤い蝋で封がされている。

見るからに高貴で、そして面倒くさそうな代物だ。

「……気が進まないな」

エドは腕を組んで溜息をついた。

「そう言うな、エドウィン君。これは領主の縁者である『ゼフィール男爵』からの招待状だ。君のAランク昇格祝いの晩餐会を開きたいとおっしゃっている」

ギルドマスターが拝むように手を合わせる。

「男爵はギルドの大口スポンサーなんだ。君が断ると、私の立場というか、ギルドの予算に関わる。顔だけでいい。美味しい料理も振る舞われるそうだ」

「……料理か」

その単語に、俺の心が少し揺らいだ。

それに、スポンサーの機嫌を損ねてギルドに居づらくなるのも困る。俺は頭を掻いた。

「分かった。……行けばいいんだろう」

その夜、家のリビングで緊急家族会議が開かれた。

「……というわけで、明後日、男爵の屋敷へ食事に行くことになった」

「やった! パーティー!」

ロウェナが目を輝かせる。

俺は頷き、クリスを見た。

「招待状には『ご家族、またはご友人も同伴可』とある。……クリス、お前も来い。俺一人だと間が持たん」

「承知しました、師匠。……ですが、その様子だと、 礼儀作法(マナー) の準備は?」

「ん? 衛兵時代に警備で立っていたことはあるが……客として振る舞うとなると、勝手が違うな。ナイフとフォークを使う順番くらいは分かるが」

「それは『食べる』だけであって『食事』ではありませんね」

クリスは呆れたように首を振り、そしてロウェナを見た。

「ロウェナちゃんは?」

「わたし、ナイフでお肉を切るのは得意だよ!」

「……なるほど。これは特訓が必要ですね」

クリスは背筋を伸ばすと、どこから取り出したのか、指示棒をピシリと鳴らした。

「いいですか。貴族の晩餐会は戦場です。無作法は丸腰で敵陣に飛び込むのと同じ。今のままでは、お二人は会場に入った瞬間に『野蛮人』認定されて笑い者ですよ」

こうして、地獄のマナー講座が始まった。

「師匠、背筋が曲がっています。スープは音を立てずに、手前から奥へ」

「……面倒だな。胃に入れば同じだろう」

「毒が入っていた時に気づくための作法とも言われていますよ。……はい、ロウェナちゃん、パンはナイフで刺さない。手でちぎって」

「こう? ……あ、粉が落ちちゃった」

「大丈夫、慌てずに。……師匠、ワイングラスの持ち方が違います。それはエールのジョッキを持つ手です」

クリスの指導は的確で、そして容赦がなかった。

俺は衛兵時代、遠目に貴族を見ていたので多少の知識はあったが、実際に自分がやるとなると細かい所作がボロ負けだ。

ロウェナに至っては、全てが一からのスタートだ。

「……お前、なんでそんなに詳しいんだ? ただの本好きってレベルじゃないぞ」

あまりに堂に入った指導に、俺は思わず尋ねた。

クリスは一瞬だけ動きを止め、ふわりと微笑んだ。

「昔、大きなお屋敷で下働きをしていた時期がありまして。その時に叩き込まれたんですよ」

「……へえ」

屋敷勤めか。

俺はその嘘を追及せず、大人しくスープスプーンを持ち直した。

そして当日。

男爵の屋敷は、領都の一等地に建っていた。

煌びやかなシャンデリア、生演奏の音楽、着飾った貴族たち。

「うわぁ……キラキラしてる……」

ロウェナは新調したワンピースを着て、緊張した面持ちで俺の手を握っている。

俺もレンタルの礼服に袖を通し、窮屈さで肩が凝りそうだった。

一方、クリスは俺たちと同じく招待客としての礼服を着ているが、まるで着慣れた皮膚のように自然だった。

「ようこそ、エドウィン殿!」

出迎えたのは、恰幅の良いゼフィール男爵だった。

好々爺といった風情だが、その目は値踏みするように俺たちを見ている。

「お招きいただき感謝します、男爵」

俺はクリスに叩き込まれた通りの角度で礼をした。

ロウェナも、ぎこちないながらも可愛らしくカーテシーを決める。

「ほう! 冒険者と聞いていたが、なかなかどうして、洗練されているではないか」

男爵は満足げに頷いた。どうやら第一関門は突破したらしい。

パーティーが始まると、俺たちは「戦場」へと放り出された。

次々と挨拶に来る貴族たち。

俺が無愛想に相槌を打つ横で、クリスが絶妙なタイミングで助け舟を出し、相手を気分良くさせていく。

「エドウィン殿は武勇に優れるだけでなく、素晴らしいお仲間をお持ちだ」

「恐縮です。エドウィン殿の剣には及びませんが、我々も精一杯支えております」

クリスの完璧な言葉遣いと対応。

嫌味を言いに来た若手貴族も、クリスの教養ある返しに毒気を抜かれて引き下がっていく。

俺はその隙に、ロウェナの皿にローストビーフを切り分けてやった。

「……おいしい!」

「静かに食えよ。……よし、俺も」

俺は分厚い肉を口に運び、咀嚼した。

……美味い。

この苦労に見合う味だ。

宴もたけなわとなった頃。

上機嫌でワインを飲んでいたゼフィール男爵が、ふとクリスの方を見て首を傾げた。

「……ん? 君、どこかで……」

男爵が目を細めて近づいてくる。

俺とロウェナの横に立っていたクリスに、その視線が固定された。

「その顔立ち……もしや、西方の名家……いや、まさかな」

男爵の言葉に、場の空気が少し凍る。

クリスは表情一つ変えず、恭しく一礼した。

「人違いかと存じます、男爵様。私はしがない冒険者に過ぎません。よく『どこにでもいそうな顔』と言われますので」

「……ふむ。そうか? いや、確かにあそこのご子息はもっと幼かったはずだが……」

男爵はブツブツと呟きながら、狐につままれたような顔で引き下がった。

クリスは俺の方を見て、「やれやれ」といった風に小さく肩をすくめて見せた。

屋敷からの帰り道。

俺はネクタイを緩め、大きく息を吐いた。

「……二度と御免だ」

「お疲れ様でした、師匠。ロウェナちゃんも、よく頑張りましたね」

「うん! お肉、すっごく美味しかった!」

ロウェナは満面の笑みだ。

まあ、こいつが喜んでいるなら良しとするか。

「しかし、最後のアレは何だったんだ?」

俺は夜空を見上げながら、何気なく尋ねた。

男爵の反応。

あれは単なる見間違いにしては、随分と意味深だった。

「さあ? 貴族の方は他人の顔を覚えるのが苦手な方が多いですから。きっと誰かと勘違いされたのでしょう」

クリスは涼しい顔ではぐらかす。

その横顔には、月明かりの下でも隠しきれない気品が漂っていた。

俺はそれ以上聞くのをやめて、ロウェナの手を引いて歩き出した。

「……まあ、いいさ。帰ったら飲み直すぞ。あの高いワインより、家で飲むエールの方が百倍美味い」

「ふふ、そうですね。おつまみを作りましょうか」

俺たちは戦場を後にし、平和な我が家へと足を速めた。