軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

旅路の足音と、思い出のリュート

朝の光が部屋に差し込む中、私は制服に着替え、鏡の前に立った。

領都の学校の制服は、動きやすいけれど、どこか頼りないほど軽い布でできている。

ふと、机の上に目をやる。

そこには、丁寧に手入れされて鈍い光を放つ『革の腕当て』と、『 青剛鉄(ブルースチール) のすね当て』が置かれていた。

一番最初にエドに買ってもらった腕当て。

そして、エドとクリスとお揃いで作ったすね当て。

どちらも、あの長い旅の間、ずっと私を守ってくれた大切な宝物だ。

「ロウェナちゃん、準備はいいですか?」

部屋を覗きに来たクリスが、優しく声をかけてくる。

「うん。……あ、でも」

私は机の上の防具に手を伸ばしかけて、引っ込めた。

学校に、魔物はいない。

だから、これは置いていかなくちゃいけない。

「……今日は音楽の授業があるから、こっちを持っていくね」

私は部屋の隅に立てかけてあったリュートを背負った。

先生が「得意な楽器がある人は持ってきていい」と言ってくれたのだ。

「ええ。いってらっしゃい、ロウェナちゃん」

「いってきます!」

私は元気よく玄関を飛び出した。

すね当ての重みがない足は、まるで羽根が生えたみたいに軽かった。

一限目は体育の授業だった。

内容は、運動場のトラックを何周も走る持久走だ。

「よーい、ドン!」

先生の合図と共に、クラスのみんなが一斉に走り出す。

私は慌てず、真ん中あたりにつけて走り始めた。

(……すごい。地面が平らだ)

走り出してすぐに、私は感動していた。

学校の運動場は綺麗に整備されている。

泥沼もなければ、足を引っかける木の根もない。

転がり落ちてくる岩もなければ、突然飛び出してくる魔物もいない。

それに何より、いつも足に着けているあの重いすね当てがないのだ。

(軽い……! これなら、どこまでだって走れそう!)

黒葉の森を逃げ回った時の必死さや、ヴァイデへの山道をエドの後ろについて歩いた日々に比べれば、ここはまるでフカフカの絨毯の上みたいだ。

五周、六周と走るうちに、周りの男の子たちが「ぜぇ、はぁ……」と息を切らし始めた。

ペースが落ちていく中、私だけは息ひとつ乱れず、一定のリズムで走り続けた。

「はぁ、はぁ……なんで、お前、そんなに平気なんだよ……」

クラスで一番足が速いガキ大将のトムが、苦しそうに顔を歪めて聞いてきた。

「え? まだ準備運動くらいだよ?」

「なっ……!?」

私は不思議に思いながら答えた。

エドとの旅では、朝から晩まで歩き通しなんて当たり前だった。

このくらいで疲れていては、次の街にたどり着く前に野垂れ死んでしまう。

結局、私は最後までペースを落とすことなく、涼しい顔で完走した。

先生が目を丸くして、私の足元を見ていた。

「……ロウェナさん、君は本当に体力があるんだね」

「うん! たくさん歩いてきたから!」

私は胸を張って答えた。

待ちに待ったお昼休み。

中庭のベンチで、友達のアンナとお弁当を広げた。

「いただきまーす!」

私が包みを開けると、ふわっと香ばしい匂いが広がった。

出てきたのは、パンからはみ出るほど分厚いカツが挟まった、特製サンドイッチだ。

「うわぁ、すごーい! ロウェナちゃん、それ全部食べるの?」

アンナが目を丸くしている。

周りの女の子たちは小さなサラダや薄いパンを食べているのに、私のは明らかにサイズがおかしいらしい。

「うん! クリスが作ってくれたの。お肉、大好きなんだ!」

私は大きな口を開けて、ガブリとかぶりついた。

サクッとした衣と、ジューシーなオーク肉の旨味が口いっぱいに広がる。

「ん~! おいしい~!」

幸せすぎて、思わず頬が緩む。やっぱりクリスの料理は世界一だ。

「ねえ、ロウェナちゃん」

アンナが少し声を潜めて聞いてきた。

「ロウェナちゃんの家の人って、あの『鬼教官』のエドウィンさんなんでしょ? ……家でも怖いの?」

どうやら、エドのスパルタ指導は生徒たちの親を通じて噂になっているらしい。

私はサンドイッチを飲み込んで、首を横に振った。

「ううん。エドは優しいよ。どんな魔物が来てもすぐに倒してくれる、世界で一番強いの!」

「ふふ、そっか。ロウェナちゃんがそう言うなら、本当なんだね」

私の言葉に迷いがないのを見て、アンナも安心したように笑った。

五限目は音楽の授業だ。

音楽室に移動し、先生が言った。

「今日は、家から楽器を持ってきている人がいれば、発表してもらいましょう」

私は真っ直ぐに手を挙げた。

背負ってきたリュートをケースから取り出すと、クラスのみんなが「おおー」と声を上げた。

使い込まれて艶の出た木目。

私の旅の相棒だ。

私は椅子の前に立ち、軽く弦を弾いた。

ポロン、と優しい音が教室に響く。

「聴いてください」

私が弾き始めたのは、教科書に載っている行進曲ではない。

旅の途中、街道沿いの宿屋で吟遊詩人が歌っていた曲。

そして、星空の下、焚き火の前でクリスが口ずさんでいた旋律だ。

指先が弦を弾くたびに、私の心に景色が浮かぶ。

風の音。

草の匂い。

雨の日の冷たさと、その後に食べたスープの温かさ。

どこまでも続く道と、隣を歩くエドの大きな背中。

決して上手ではないかもしれない。

でも、この音には私の見てきた「世界」が詰まっている。

最後の一音を弾き終えると、教室は一瞬シーンと静まり返り――次の瞬間、割れんばかりの拍手に包まれた。

「……すごい。なんか、景色が見えるみたいだった」

トムが呆然と呟いた。

先生も優しく微笑んで拍手をしてくれた。

「素晴らしいわ、ロウェナさん。本当に長い旅をしてきたのね」

私は少し照れくさくて、でも誇らしくて、リュートをぎゅっと抱きしめた。

放課後。

校門を出ると、人だかりが割れている場所があった。

その中心に、腕を組んで仁王立ちしている強面の男がいた。

周りの生徒たちはビビって遠巻きにしているけれど、私には一番安心できる姿だ。

「あ、エド!」

私は駆け寄り、その太い腕に飛びついた。

「おう。終わったか」

エドはいつもの仏頂面だけど、その目が優しいのを私は知っている。

エドは私の鞄をひょいと持ち上げてくれた。

「今日ね、かけっこで一番だったよ! それからリュートも弾いたの! みんながすごいって!」

帰り道、私は今日あったことを夢中で話した。

「ほう、そいつはすごいな。……重いすね当てを着けてないから、体が軽かったか?」

「うん! でもね、明日は学校お休みだから、また着けていい?」

学校での身軽な私も楽しい。

でも、あの重い防具を着けて、エドやクリスと一緒に歩く自分も、私は大好きなのだ。

あれは、私たちが家族である証だから。

「ああ。明日は久しぶりに手入れでもするか」

「うん! あとね、今日の夕飯はお肉がいい!」

「……昼も食っただろ。まあ、いいか」

夕日が私たちの影を長く伸ばす。

家にはクリスが待っている。

私はリュートを背負い直して、エドの手を握った。

学校も楽しかったけれど、やっぱりこの瞬間が一番幸せだ。