軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

砕けた刃と、英雄のマント

目の前で、勇者レオナルドが嬉々として聖剣を構え直した。

その全身から立ち昇る魔力と闘気は、先ほどまでの比ではない。

完全にスイッチが入っている。

(……はぁ)

俺は深く、短く息を吐いた。

不思議と、恐怖は消えていた。

パニックも、焦りも、逃走心も、肺の空気と共にすべて吐き出したからだ。

手加減も、降参も許してくれない。

ならば、選択肢は一つしかない。

(死なないためには、殺す気でやる)

相手は人類最強に近いであろう化け物だ。

出し惜しみや躊躇は、即ち死に直結する。

俺の意識が急速に冷えていく。

視界がクリアになり、会場の歓声が遠ざかる。

俺は腰のベルトの裏に手を回し、仕込んでいた投擲用のナイフを三本、指の間に挟み込んだ。

「行くよ!」

レオナルドが地面を蹴る。

ドォン! という爆発音と共に、勇者の姿が掻き消えた。

速い。

視覚で追える速度ではない。

だが、今の俺には「線」が見える。

殺気が濃密すぎて、動く軌道が手に取るように分かるのだ。

俺はバックステップで後退しながら、腕を振るった。

ヒュンッ!

三本のナイフが、異なる軌道を描いてレオナルドの顔面――両目と喉へと殺到する。

牽制ではない。

当たればタダでは済まない、必殺の投擲。

「おっと!」

レオナルドは足を止めず、聖剣を軽く振るってナイフを弾き飛ばした。

金属音が響く。

その一瞬の減速。俺が欲しかったのはそれだ。

俺は足元の土砂を思い切り蹴り上げた。

ザバッ!

舞い上がった砂塵の幕が、レオナルドの視界を覆う。

「目潰しか!」

レオナルドは咄嗟に左腕で顔を庇う。

俺はその隙を見逃さず、彼の死角である右斜め後ろへと滑り込んだ。

狙うは膝裏の関節。

人体構造上の弱点へ、愛剣を叩き込む。

ガィィンッ!

硬い手応え。

レオナルドは視界を塞がれたまま、背後の殺気に反応して聖剣を背中に回し、俺の斬撃を受け止めていた。

「くっ……!」

俺は即座に剣を引き、距離を取る。

レオナルドが砂塵を払って笑った。

「暗器に目潰し、関節狙いか。なりふり構わないね……最高だ!」

勇者の瞳が輝いている。

綺麗事のない、泥臭い殺し合い。

それを彼は心から楽しんでいた。

観客席では、その異様な光景にどよめきが走っていた。

「おい、なんだあの動き……」

「勇者様と互角に渡り合ってるぞ!?」

最前列で見ていたクリスが、拳を握りしめて身を乗り出す。

「……信じられない。あの勇者相手に、一歩も引いていません」

クリスの声が震える。それは恐怖ではなく、純粋な畏敬だった。

「ただの剣技だけじゃない。地形、道具、相手の心理……ありとあらゆる要素を使って、埋められないはずの『力の差』を埋めている。……師匠、貴方は本当に」

その隣で、ロウェナが小首を傾げた。

彼女には、エドの緊迫した駆け引きの詳細は分からない。だが、その背中がいつもより余裕がないように見えた。

「ねえ、ミネルヴァ。ぴえろ、あんなに汗かいて……だいじょうぶ?」

ロウェナの純粋な問いかけに、ミネルヴァは彼女の頭を優しく撫でた。

「平気よ。ピエロさんは強いもの」

言葉ではそう言いながら、ミネルヴァの瞳は、祈るようにリング上の二人を見つめていた。

(……笑えないわね。あの男、本気で『殺す』つもりで戦ってるわね。そうしなきゃ一瞬で殺されると理解しているから)

エドの戦い方は、綱渡りだ。

一度でも足を踏み外せば、奈落の底へ落ちる。

ミネルヴァは固く手を組んだ。

リング上。

攻防のレベルが一段階上がった。

「これならどうだい?」

レオナルドが聖剣を振るう。

バチバチッ!

刀身に青白い雷光が纏わりついた。雷の付与だ。

ただでさえ速い剣速がさらに加速し、触れただけで感電必至の凶器へと変わる。

(……厄介だな)

俺は今までの人生で、魔獣や盗賊とは何度も戦ってきた。

だが、魔法を使えるとまともにやり合うのはこれが初めてだ。

理屈は分からない。

だが、あの光に触れれば、剣越しでもタダでは済まないことだけは本能が告げている。

つまり、受け流しが使えない。

金属同士が接触した瞬間に雷が伝わってくるからだ。

「レオ! そこまでだ! やりすぎだぞ!」

リングサイドで控えていた勇者パーティの一人――巨斧を背負った大男が叫んだ。

他のメンバーたちも、危険を感じて止めに入ろうと腰を浮かす。

だが。

「――――ッ!!」

俺と勇者が放つ凄まじい闘気と、ぶつかり合う圧力の風圧に、彼らは足を止めた。

誰も近づくことができない。

この領域には、もはや当事者以外、誰も踏み込めない。

レオナルドが踏み込む。

雷鳴のような刺突。

俺は足元の石片を蹴り上げた。

バチュウゥッ!

空中に舞った石片に雷撃が吸い込まれ、爆散する。

さらに、俺は残りの投げナイフを、レオナルドの進路上の地面へと突き刺した。

(そこだ)

レオナルドがその横を通過しようとした瞬間、聖剣の雷気が、地面のナイフへと誘導され、青白い放電現象が走った。

「っ!?」

予期せぬ放電に、勇者の動きが一瞬だけ強張る。

俺はその刹那、勇者の懐へと飛び込んだ。

最短距離での斬撃。

キィンッ!

聖鎧の肩口を、俺の剣が浅く切り裂いた。

火花が散り、勇者がたたらを踏む。

『入ったァァァッ!! 仮面の剣士の一撃が、勇者を捉えたァァッ!!』

実況が絶叫し、会場が揺れる。

だが、俺に喜ぶ余裕などない。

(硬い……!)

俺の手には、嫌な感触が残っていた。

俺の愛剣は、領都の熟練鍛冶師に打ってもらった業物だ。

決して粗悪品ではないし、手入れも怠ったことは無い。

だが、相手が悪すぎる。

聖剣という神器と何度も打ち合い、勇者の硬い聖鎧を叩いたことで、刀身には無数の刃こぼれと、微細な亀裂が走っていた。

(……次で最後か)

俺は悟った。

この剣は、あと一撃しか持たない。

レオナルドもそれを感じ取ったのか、距離を取って構え直した。

その顔には、傷をつけられた屈辱ではなく、強敵への敬意が浮かんでいる。

「全力をぶつけるよ。君なら、受け止められるはずだ」

レオナルドが剣を上段に構える。

聖剣に全ての魔力が収束し、空間が歪むほどの圧力が放たれる。

逃げ場はない。

回避も、小細工も通用しない、純粋な破壊の質量。

(……上等だ)

俺は腹を括った。

逃げずに、迎え撃つ。

全身のバネを使い、壊れかけた愛剣に全ての体重と技術を乗せる。

二人の影が交差した。

「はぁぁぁぁぁッ!!」

「シィッ!!」

激突。

世界が白く染まるほどの閃光と、鼓膜を破るような轟音。

そして――。

バキィィィィンッ!!

高く、乾いた音が響き渡った。

俺の剣の中程から先が、粉々に砕け散り、宙を舞った。

聖剣の輝きが、俺の防御を食い破り、そのまま振り抜かれる。

ドゴォォォォォンッ!!

俺の体は木の葉のように吹き飛ばされ、リングの石床に叩きつけられた。

数メートル転がり、仰向けに倒れる。

「が、はっ……」

肺の空気が強制的に絞り出される。

全身の骨がきしむ音。起き上がろうとするが、力が入らない。

(……負けたか)

完全な敗北だ。

武器の性能差だけではない。

最後の一撃の重さ、速さ、すべてにおいて勇者が上回っていた。

ピキッ。

その時、俺の顔で小さな音がした。

衝撃に耐えきれなかった仮面に、亀裂が入ったのだ。

パキン、ポロ……。

仮面の破片が剥がれ落ちる。

右半分が露わになり、素顔が白日の下に晒されそうになる。

会場の数万の視線が、俺の顔に集中しようとしていた。

「おい! 仮面が割れたぞ!」

「顔が見えるか!?」

動けない。

隠す手も上がらず終わった、と思った。

バサァッ。

突然、視界が真っ白な布に覆われた。

温かい感触。

それは、所々に焦げたような痕があるが、勇者が羽織っていた純白のマントだった。

「……え?」

マントの隙間から、レオナルドの顔が見えた。

彼は俺の顔が見えないよう、覆いかぶさるようにして屈み込んでいた。

その表情は、とても穏やかだった。

「……顔、見られたくないんだろう?」

彼は小声でそう囁いた。

「あ、ああ……」

俺が掠れた声で答えると、レオナルドはニッと笑い、立ち上がった。

そして、観客席に向かって高々と右手を突き上げた。

「勝負あり! 僕の勝ちだ!」

ウオオオオオオッ!! と大歓声が上がる。

「だが、彼は最高の戦士だった! 僕も危なかった!」

レオナルドは俺を指し示した。

「彼は戦いの末、満身創痍だ。このまま静かに休ませてあげてほしい。……英雄の顔を暴くなんて無粋な真似は、僕が許さないよ」

勇者の言葉に、観客たちは「そうだ!」「勇者様が言うなら!」「いい試合だったぞー!」と賛同の声を上げた。

顔を見せろという野次は、波が引くように消えていった。

俺はマントの下で、砕けた剣の柄を握りしめたまま、大きく息を吐いた。

(……完敗だ。かっこよさでも負けたよ、ちくしょう)

強くて、優しくて、品格がある。

これぞ勇者。

俺のような日陰者が勝てる相手ではなかったのだ。

こうして、俺の短いようで長かった建国祭武術大会は、砕け散った愛剣と共に幕を閉じた。