作品タイトル不明
203 海の見える場所
「あははっ。あたしの忘却スキルが、こんな風に役に立つなんてね」
アマスフィアとユドミラの姿を見ながら、ブローケが自虐的に笑い肩を竦める。
「――彼女には、これが一番よかったかもしれないな。歴代教皇たちの魂が、こんな風に消えてしまうなんて誰も想像していなかっただろう」
万感を込めて言うウルファネの前で、ブローケがひらひらと手を振る。
「あたしをダンジョンに捨てるからだよ。自業自得。でも、こんなにあっさり終わるなんて、呆気ないなぁ」
「終わりじゃありません。ここからが始まりです」
リゼットが言うと、ブローケは目を丸くする。
「……ははっ、そうだね。これからが第三の人生だよねー。楽しみたいなー」
「そうそう簡単には行かねえみたいだぜ?」
ディーが呟いた直後、唯一の出入口から教会騎士たちがぞろぞろとやってくる。
神の座があるこの場所は、限られたものしか知らない上、道中は複雑な迷路となっている。異変に気付いた教会騎士たちがようやく到着したのだろう。
「……この状況、もしかしなくてもまずいですよね」
教皇の記憶を失ったアマスフィアと、彼女を抱きしめる審問官ユドミラ。
床に大きく空いた穴に、天井に大きく空いた穴。
怪しい冒険者たちの集団に、怪しいエルフ。
「大変です。怪しさしかありません」
教会騎士たちは鎧を鳴らしながら、教皇を守るように動く。
リゼットたちを見る目は警戒心に溢れていた。
張り詰める緊張感の中で、アマスフィアは無垢な瞳でリゼットをじっと見つめていた。
「女神様――」
あどけなさを残す声が、小さく――だが強く響く。
「えっ?」
教会騎士たちまで驚愕している中、アマスフィアはごく自然な動作で床に膝と両手を着き、深く頭を下げて額を地面に当てた。
「なんて神々しい光でしょう……空から私たちを救いに来てくださったんですね、女神様……」
「はい?」
リゼットは間の抜けた声を上げ続けてしまう。
いったいアマスフィアの目に何が映っているのか。先ほどまで魔力を使い続けていた余韻で、身体が輝いてでもいるのだろうか。
教会騎士たちもアマスフィアに倣い、リゼットへ頭を下げ、平伏し始めた。
リゼットの背中にぞっと冷たいものが走る。
――まずい。これはまずい。
「リゼット――」
レオンハルトの目配せに、リゼットは頷いて答えた。
「逃げます」
「だよなぁ」
このままここにいれば、聖女どころか女神扱いされかねない。
「そうしたほうがいいね。あたしたちのことは心配しないで。うまくやるから」
ブローケがあっけらかんとしながら小さく手を振る。
リゼットがメルディアナの方を見ると、ダグラスに守られながら笑顔でリゼットに手を振っている。
「さようなら、お姉様」
「メルディアナ、ダグラスさん、元気で――」
――走り出す。
リゼットはレオンハルトとディーと共に、平伏した教会騎士たちの群れを突っ切って走る。
ユドミラが、涙にぬれた顔で微笑みながらリゼットを見送っていた。
「女神様、お待ちください」
背中にかかる声を振り切って、神の座から飛び出した。
大聖堂の地下はひたすら暗い。そして迷宮となっている。
灯火の魔法で自分たちと視線の先を照らし、ディーの案内に従って走る。
地図も見ていないのに、その足取りはまったく迷いがない。
「この道で合ってるのか?」
「何度も通ってりゃ覚える」
後ろから鎧の音が聞こえる。
アマスフィアの命令で、教会騎士たちが追いかけてきているのだろう。
最早アマスフィアには教皇の記憶のなく、命令ではなく純真無垢な少女の願いだろうが、教会騎士たちはそんな事情は知らない。
出口を目指して走っていると、進行方向に人影が現れる。
「――こっちだ」
「ケヴィンさん!」
そこにいたのは審問官のケヴィンだった。
そのままケヴィンに案内されて走る。
「こんな時のために抜け道がある」
「お前はこんなことして大丈夫なのかよ?」
ディーが聞くと、ケヴィンは苦笑いする。
「ま、なんとかなるさ。ダンジョンから連れ出してきた美女たちも、妹も騎士も、おれもユドミラも、なんとかなる」
「ケヴィンさんがそう言うのなら安心です」
「そりゃ光栄の極みだな」
ケヴィンはある場所で足を止めると、横の壁を思いっきり蹴り飛ばした。
その衝撃でガコンと重い音がし、石壁に隠された扉が開く。
「こんなもんまで作ってんかよ」
「内緒な」
扉の中に入ると、真っ暗な部屋の床に、淡く光る魔法陣が描かれていた。
「転移魔法装置だ。繋がっているいくつかの場所に選んで飛べる」
大聖堂には転移魔法のための部屋がある。
これもその一部なのだろう。
「流石の設備ですね。これを使って色んな土地に行くんですか?」
「そういうことだ。向こうに飛んだら魔法陣を破壊しろよ。そうなりゃ誰もそう簡単には追いつけねえ――さあ、どこへ行きたい?」
「それでは――海の見える場所へ!」
「了解っと」
ケヴィンが魔法陣の前に片膝を着き、文字を書き加える。魔法陣の色が白から青に変わる。
「よし、繋がった。じゃあな。元気でな」
「――ケヴィンさん、ありがとうございます」
ケヴィンは清々しい笑顔でぐっと親指を立てる。
教会騎士たちの鎧の音が近づいてくる。
「行こう、リゼット」
差し伸べられたレオンハルトの手を取り、反対の手でディーの手を取る。
そしてそのまま転移魔法陣の中に飛び込み、女神教会本山に別れを告げた。
◆ ◆ ◆
空間を飛び越え、誰もいない部屋に出る。
木の匂いが満ちる部屋にあるのは床の魔法陣だけ。家具も、窓も、何もない。
「どこかの屋敷のようだ」
薄暗い中、レオンハルトの声が響く。
「人の気配はねぇな。扉開けるぞ」
ディーが唯一の扉を開く。鍵はかかっていなかった。
廊下の方の窓から差し込んでくる光が、室内をわずかに照らす。
「女神教会の管理しているお屋敷でしょうか」
「――の割には使ってねぇみたいだぜ」
人の住んでいる気配がない。主も使用人もいないようだ。だが、掃除は行き届いている。
長く人が来ていないのか、少しだけ埃っぽいが、どこも壊れている様子もない。
レオンハルトは手で床の魔法陣を払っている。魔法陣が乱れることで、淡い光も消えてただの床の模様となる。
「よし。これでもう転移先としては使えないはずだ」
これでもう誰も追ってこられない。
リゼットは壊れた魔法陣を見つめた。
「皆さん大丈夫でしょうか」
「なんだかんだでうまくやるだろ。特に妹。本当に次の教皇になっててもおかしくねーよな」
ディーが笑いながら言う。
「そうですね。メルディアナは昔から要領がよかったですから」
リゼットの代わりに聖女となったことのあるメルディアナだ。
すぐには無理でも、少しずつ力を蓄えて、いつか教皇になっていても不思議ではない。
「……もっと、たくさん話したかったです」
「いつか機会はある。お互い生きているんだから」
「――はい」
レオンハルトの言葉に頷き、部屋から出る。
誰もいない屋敷だが、玄関には鍵がかかっていた。それをディーがピッキングツールで開けて、外に出る。
外は森になっていて、近くに家はない。
どうやら丘の上に立つ屋敷のようだ。
屋敷の庭や周囲もよく手入れされていた。定期的に訪れる管理人がいるのだろうか。
「無人なのに綺麗なもんだな。人間か獣が棲みついたり、荒らされたりしそーだけど」
「結界がかかっているんだ。入る方法を知る人間しか入れない」
「なるほど。それなら安全ですね」
それだけ転移魔法の出口が女神教会にとって重要だということだ。
――本当に壊してよかったのだろうか。
全員同じことを思っているのか、やや気まずい沈黙が広がる。
(……ケヴィンさんなら、なんとかするでしょう)
きっと。
「とりあえず人里を探そう。近くにあるはずだ」
そのまま下る方向へ歩いていくと、視界が開けた。
高いところから見える遠景に、リゼットは息を呑んだ。
遠くの空にかかる、不思議な青い境界線――それが太陽の光を受けてきらきらと白く輝いている。
空とは違う。地上とももちろん違う。
吹きつける風は未来の香りを含んでいて、森のさざめく音に、もうひとつ音が重なる。
「――もしかして、あれが海ですか?」
「ああ。これが、本物の海だ」
レオンハルトの声に、リゼットの胸が強く震えた。
「これが、海……」
ずっと憧れていた。
ずっと見てみたかった。
話に聞いていた通りの光景が、いま目の前にある。
なんて美しいのだろう。
どこまで広がっているのだろう。
あの果ての――境界線の先には、いったい何があるのだろう。
「すげえな……どこに繋がってんだこれ」
「世界中に繋がっている」
「そりゃまたスケールのでけえ話だな」
――世界中。
地図でも知らない途方もない広さに、何故か涙が溢れてくる。
「――私、海の向こうに行きたいです」
境界線の向こう側へ。
知らない地へ。
「もっと、もっと、この世界を見てみたいです」
「ああ、そうしよう」
レオンハルトに当たり前のように賛同されて、リゼットは驚く。
思わず振り返り、顔を見上げる。
「いいんですか?」
「もちろん。約束しただろう?」
レオンハルトは嬉しそうに笑っていた。
ノルンのダンジョンでの海の約束を、彼も覚えていた。
そう思うと、嬉しさが込み上げる。胸が熱くなり、鼓動が早まる。
「海の向こうねぇ……ま、それも悪くねーか」
「ディーもいいんですか?」
レオンハルトは海の向こうの国からやってきたが、ディーはリゼットと同じくこの大地に生まれ、外に出たことはないはずだ。
海を渡れば、そう簡単に帰ってくることはできないだろう。
ディーはにやりと笑って、指でゴールドのマークを作る。
「オレがいないと、お前ら金ねぇだろ? 冒険には先立つもんがねーとな」
リゼットもレオンハルトも、ブローケたちに手持ちのゴールドをすべて渡したので、先立つ資金がまったくない。
リゼットは思わず笑い出し、三人で笑い合う。
「レオン、ディー、ありがとうございます。行きましょう。海の向こうへ」
リゼットたちは海の方向へ向けて歩き出す。
新しい冒険、新しい世界へ向けて。
仲間と踏み出す一歩一歩が、かけがえのない宝物になる。そう確信しながら。