軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第28話 王妃陛下への請求

「王妃陛下ですわ」

レイベルナが答えると、青い前掛け姿の男はみるみる青ざめた。

「……今、私は王妃陛下に印刷代を請求しかけましたか……?」

「ええ。かなり危ない請求でしたわ」

男は差し出していた手を胸元へ戻した。

「いつもの癖でございます。代金をいただくときには、つい手が前に」

「次からは相手を見てから出してくださいませ」

周囲の貴婦人たちは、先ほどまでの軽い笑みを失っていた。

実際に人が現れた。しかも、呼ばれる直前の姿そのままで。

噂で聞くのと、目の前で見るのとでは違う。

庭の入口からセドリックが近づき、レイベルナの少し後ろで足を止めた。

「まあ、近衛の方まで……」

「物騒ですわね」

「でも、あの方、立っているだけで絵になりますわ」

小さなささやきが円卓の間を通り抜けていった。

セドリック本人は、まったく気づいた様子がない。

レイベルナは男の手元の券束へ視線を落とした。

「あなたのお名前は?」

「マルク・ベインです。王都西通りで刷り屋をしております」

「この鑑賞券を刷ったのは、あなたですか」

「はい。確かに刷りました。ただし、王妃陛下へ代金を請求するためではございません。本当です」

「そこは分かりました。では、この依頼はどこから?」

「王宮茶会進行係、という名で店に届きました。淡い青の封筒に注文書と文面が入っておりまして……」

リディア侍女長の表情がわずかに変わる。

「王宮にそのような係はありません」

「……ありませんか」

「ありません」

マルクは一瞬だけ空を見た。

「私は存在しない係の仕事を、王宮からの依頼だと勝手に思って引き受けていたのですね」

「そのようですわね」

「私はもう店をやっていけません。すぐに店を閉めます」

「まず話してくださいませ」

マルクは券束を抱え直した。

「最初は、茶会の記念に添える小さなカードだと聞いておりました。文面も『銀鈴記念会』という、よく分からない名前だけで」

「鑑賞券ではなかったのですね」

「はい。ところが三日ほど前、同じ封筒で差し替えの文面が届きました。『王妃陛下のお茶会にて、呼び鈴の令嬢による特別披露を拝見できます』――この文面に変えて、鑑賞券として刷ってほしい、と」

庭がざわめいた。

フィーランド侯爵夫人は、扇を動かしたまま微笑みを保っている。

「まあ。熱心な方がいらしたものですわね」

「ここで王妃陛下のお茶会の名が使われていましたか」

レイベルナが言うと、夫人の扇がほんの少しだけ止まった。

王妃は静かにこちらを見ている。

「続けなさい、レイベルナ嬢」

「承知いたしました」

レイベルナはマルクへ向き直った。

「その券はどこへ納める予定でしたか?」

「注文書には、届け先がいくつも並んでいました。紫薔薇サロン、白檀サロン、霞蝶会、七弦会……王都の貴婦人たちが開く茶会や慈善の集まりへ、何十枚かずつ届けるように、と書いてありました」

いくつかの円卓で、貴婦人たちの顔色が変わった。

フィーランド侯爵夫人の紫薔薇サロンだけではない。

王都の名のある茶会や慈善会に、同じ券が束で回されていたのだ。

「ご覧の通りですわ」

フィーランド侯爵夫人は、困ったように笑った。

「王都中で出回っていたものです。わたくし一人を責めるのは、いささか早いのではなくて?」

「まだ責めておりません」

レイベルナは静かに言った。

「責任の通り道を見ております」

その言葉に、夫人の扇がわずかに止まった。

そのとき、近くの円卓にいた若い令嬢が、不安そうに手を上げる。

「あの……わたくし、その券を案内されたとき、一緒に小さな紙も渡されました。良い席を確保するための協力金だと説明されて……」

令嬢は折り畳んだ淡い銀色の紙を取り出した。

そこには、細い文字でこう書かれている。

――鑑賞席協力金……金貨二枚。

庭の空気が、また変わった。

「金貨二枚?」

「私も支払いましたわ」

「席を整えるためだと聞きました」

「王妃陛下のお茶会だから、必要なものだと……」

マルクが慌てて手を上げた。

「念のため申し上げます。私が刷ったのは鑑賞券だけです。その案内紙も、金貨二枚も、私の店ではありません」

レイベルナは案内紙と鑑賞券を見比べた。

券を刷った者。

王宮には存在しない王宮茶会進行係。

複数のサロンへ配られる流れ。

そして、鑑賞席の協力金。

誰かが王妃陛下のお茶会を、王宮の催しに見せかけて売っている。

「リディア侍女長。この茶会の席は王宮側で決めているものですか?」

「はい。招待状と同じく、王妃陛下の侍女室で管理しております」

「では、鑑賞席という名でお金を集めた者は、王宮の席に、勝手に別の価値をつけていたことになりますわ」

レイベルナは案内紙に書かれた金貨二枚の文字を見下ろした。

「協力金を受け取る者を呼ぶ前に、まず確認します。本当に良い席などというものが作られていたのかを」

王妃が静かに頷いた。

「わかりました。私の茶会の席を、誰がどのように扱ったのか確認なさい」

「承知いたしました」

レイベルナは銀の鈴を持ち上げた。

「この茶会の席を、呼び鈴鑑賞用として見え方まで整えた責任者を、お呼びしますわ」

――チリン。

銀の音が、東庭に落ちる。

次の瞬間、茶会の中央に男が現れた。

男は地面に這いつくばっていた。

しかも、出てきた位置は王妃陛下の席のすぐ手前。

顔は地面すれすれ。

片手には細い定規。

もう片方の手には、座席の配置図らしき紙を握っている。

「違う……この角度では手元が見えにくい……」

ぶつぶつ呟いてから、男はようやく異変に気づいた。

目の前に、王妃陛下のドレスの裾がある。

少し離れて、貴婦人たちも座席に座っている。

男は顔を上げかけた。

「上げないでください」

レイベルナの声に、男はぴたりと止まった。

「す、すみません!」

「そのままの姿勢で名乗ってください」

「わ、私は、茶会座席演出士、オルベルト・カインでございます!」

リディア侍女長が短く告げた。

「そのような役職は、王宮にはありません」