軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

4-6

狭く入り組んだ場所を、追いかけられながら走る。

捕まれば殺される。

それはクインにとって原初の記憶だった。

生きるために必要だったのだ。庇護されず、愛されもしない、独りで生きてきた〈街路の子〉であった彼女にとって、盗みこそが原初の生計。

誰にもバレないのは難しい。人間の視野は思っているより広いのだ。

ならば、狭隘にして複雑な地形を駆使して逃げ回り、とろくさい大人が疲弊するまで走り続けるのが最善だった。

「こっちこっち」

それによって生き延びてきたことの証明として、彼女は施設の中を走り回っていた。

背後に無数のゾンビを引き連れて。

マイセリウム・メサイアを滅ぼすための物理キー、それを持っているエドワード・ウッド所長が逃げ込んだパニックルーム前には、警備のために大勢が集まっていたのか、それに正比例してゾンビが滞留していたのである。

動死体に斃された者は、菌糸に侵されて再起する。その理屈に従えば、重要人物を守るために作った防衛線が瓦解すれば、その名残がゾンビの群れに化けるのは当然だ。

しかし、今の一党に、これだけのゾンビを駆逐する力はない。なにより、弱点がほぼ存在しておらず、小口径高速弾では足止めが精一杯の相手。

そうくれば、現場から引き剥がすしかない。

そして今、はしっこく立ち回るのはクインの独壇場であった。

『クインさん、次の角を右に』

「ん」

妙に綺麗なフォームで全力疾走する疲れ知らずのゾンビから、子供故の加速度の速さと、鍛え抜いた持続力で逃げ続けるクインは角が近づくと大きく飛んだ。

そして、曲がり角へ垂直に一瞬だけ張り付き、弾け飛ぶように床へ。一切減速することなく、そして素早く曲がるために身に付けたテクニックで多くのゾンビを散らばらせた。

すると隔壁が勝手に降りていき、群れからはぐれた個体は隔離される。

クインはただ、逃げ回っているのではない。今後の探索に邪魔になりそうな群れを一塊に集めて、一気に封印してしまう作業を行っているのだ。

「クォロロロロロロロロロ!!」

奇妙な喉を鳴らす声。反射的にクインが小柄な体を縮めれば、その真上を影が飛びすぎていく。

脚部が異様に発達したゾンビだ。他のゾンビが走るのだとすれば、それは飛びかかる。そして、押し倒した相手を滅多打ちにして抵抗する力を奪い、じっくりと胞子を侵食させるのだ。

「うすのろ、わんぱたーん、ばーかばーか」

クインは既に、この特異個体の攻撃を三度躱していた。何故か攻撃態勢に入る前、ご丁寧に叫んでくれるから気配を読みやすい。

そして、的が小さい己が回避すれば、勢いに任せて飛んでいるだけのゾンビは虚空を抱きしめるのだ。

そして、勢い余って滑っていく体の上を飛び越え、トップスピードから落とすことなく走り続ける。後ろを走るゾンビは飛びかかって転がった個体に引っかかったり、角を曲がりきれずぶつかったりして倒れ、どんどんと数を減らしていく。

そして、走りに走り続け、流石に疲れてきた時に目印が見えた。

緑色のケミカルライトが置かれた交差路。幾つか用意されたゴール地点の一つ。

「トリニティ、しめて」

『ですが、距離が……』

「まにあう、へーき」

安全マージンを取って計算していたトリニティだが、ハジメが言われた通りにやってやれと指示すれば、四つ辻の隔壁が全て締まり始める。これで監視カメラによって得られた映像データに基づけば、パニックルーム前に屯していた全てのゾンビを封じ込めることができる。

四隅から隔壁がせり上がり、どんどんと蓋をされていく。

だが、閉まる速度までは制御できないのか、幅は容赦なく狭まっていく。その上、四隅からレンズのファインダーが絞られるように閉じていく構造上、ギリギリ下を潜るという伝統の展開は不可能だ。

穴はやがて成人男性が潜れないほどになり、遂には子供でも困難な大きさに。

「とうっ」

そして、直径50cmまで縮んだ穴に向かって、体を半分に畳みながらクインが飛んだ。

見事は幅跳びは服の背中と靴先が隔壁に触れるほどの限界を攻めており、彼女が着地をするころには、背後に迫っていたゾンビが手と頭を突き出すのが限界の大きさとなっている。

無情な音を立てて、閉まりきった隔壁がゾンビを切断する。暫くは藻掻いていたそれも、全身に張り巡らせた菌糸のネットワークから切断されたことによって動きを止めた。

「どんなもんだい」

何か合った時に備え、迎撃ポジションに控えていた四人は拍手を以てクインを迎え入れた。

彼女はただ、カンがよく気配に敏感だから信頼されているのではない。

誰よりも素早く、子供じみた外見に反したスタミナがあり、そしてその体躯故に可能な大人では不可能であるパルクールの腕があるからこそ、このクセが強すぎるが強力な一党にて、確実なポジションを得ているのであった。

「しかし、無茶するねお前も」

「できるからやった。いま、ハジメ、でかいだけだし」

「悲しくなるからやめてくんねぇかな」

何か言いたげで、しかし実際に言い返すのが難しいハジメは渋面を作ってシケモクの煙を吐いた。

何せ彼は、指が大きくなりすぎて、自分の煙草ケースすら上手く開けなくなったのだ。増強された筋力の制御が碌に利かず、開けようとして一瞬破滅的な音を立てかけたそれを、辛うじて壊さないで済んだのは運が良かっただけだろう。

今吸っているものはデルタに開けて貰い、トリニティが火を付けてくれたから吸えているだけで、一人では何本も煙草を無駄にしていただろう。咥え煙草でなければへし折ってしまいそうなのもあって、捨てる時にしか手を付けられない有様だった。

正に女性としては巨怪としかいいようのない体がもたらす弊害だ。生まれながらにこの体であったならば、繊細なバランスを身に付け、自分に合った道具を探すこともできただろうが、突然に変異してしまえば制御がままならないのは道理である。

「お手柄でしたわね、デルタ。世が世なら騎士位を進呈していましたわ。ウィストワラントあたりの荘園もつけてあげてよくってよ」

「そんなのより、アメか、チョコ」

「不敬な子ですわね……まぁいいですわ。参りましょうか。この悪趣味な施設の所長殿と会いに」

クインが自らを囮にした逃走によって封じ込められたゾンビ達を避けるように迂回し、一行はパニックルームへと辿り着いた。

そこには、大仰な防御線……いや、正確には、その名残があった。

幾つものキャビネットが横倒しにしてあってバリケードを成し、その合間にはポリカーボネイトや合金製の盾が針金で固定され、強固にゾンビの侵入を阻もうとした形跡があった。

キャッスル研究員の部屋と違って護りが厚かったのは、所長を最優先に守るような防衛プロトコルが組まれていたからであろうか。

しかし、その努力が無為に終わったことは、クインが誘引して閉じ込めたゾンビの数から明白であった。

「おーおー、贅沢だね。軽機関銃に擲弾発射機、これだけあっても止められねぇとは。真面に相手しなくてよかったぜ」

デルタが使える物はないかと遺留品を漁ってみたが、残念ながら二脚を展開して弾幕を張っていた軽機関銃は弾を撃ち尽くしたのか空っぽで、バリケードの中には足の踏み場もないほどに薬莢が転がっている。

そして、食い散らかされた体の一部と大量の酸化して黒ずんだ血。必死の抵抗も全力疾走型のゾンビには何の時間稼ぎにもならなかったようだ。

「……体がデカいと跨ぐのが楽で良いな」

「前だったら苦労してたろうな」

「うるせ……いったぁ!?」

文句を言いつつバリケードを乗り越えたハジメが悲鳴を上げる。

その巨大な足が何かを踏みつけて割ってしまったのだ。押しつけて尚大きな胸が、足下を遮ってしまい、見えなかったのである。

結局、彼の――今は彼女だが――巨大な足に適合する履き物はなく、予備のベッドシーツを裂いたものを巻いていたのが悪かったらしい。

こんなところで腐った血に触れて感染症になったり、地面の菌糸から感染しちゃ洒落にならんと慌てて足を上げるハジメ。

しかし、その足を覆う布は、緑色の液体で濡れていた。

「はえ?」

『いけませんハジメ! 何かの薬液を踏んでいます!!』

「げぇっ!?」

何とも運が悪いことに、ハジメが踏み潰したのは〝緑色の薬液〟が封入されたシリンダーであった。

隣に無針注射器が転がっていることからして、アイオーン・バイオメティクスが開発した何らかの薬品であることは明白。

つまり、碌なことが起きるはずもない。

「やばいやばいやばい!!」

ハジメはバリケードにされていたキャビネットに腰を下ろすと、その重量に耐えかねてスチールの本体が盛大に凹んだが、そんなことを気にしている余裕もないのだろう。彼は急いで靴代わりのシーツを引っ剥がし、足の裏を確認する。

すると、確実に傷が入っており、血が滴っている。

同時に、緑の薬液が滲んでいた。

「おい! またかお前!? いつものバカみてぇなツキはどうした!」

「知るか! でもこんな形でのお迎えは御免被るぞ!!」

「何とか出せ! 体に入ったら何が起こるか分かんねぇぞ!!」

顔色を蒼白にして傷口回りを押し、血を絞り出そうとするハジメ。デルタもそれを手助けしようとしたが、それをトリニティが押し出した。

そして、足の裏に口を付けたではないか。

「トリニティ!?」

『ご安心を! 弊機には感染すべき粘膜系がありません! このまま排除します!!』

傷口に毒が入った時、口で吸い出すのは緊急処置として知られているが、それはあまり褒められた方法ではない。一部の毒は経口摂取でも有毒であることに違いはないし、吸い出した側の口に小さな傷や炎症が起こっていれば、そこから二次被害に発展することもある。

だが、彼女は〈フラグメンテ・マキナ〉。その中でも陽電子頭脳を搭載された、個我と自我を確立させたガイノイド。形こそ人型をしているが、その構造は大きく異なる。

歌唱用ユニットの口は肉声に似せるため構造を人と同じくし、舌もあれば、ただ半鼻音を出すためだけの呼吸器も備わっている。

しかし、構造はまったく人間と違う。人間に重篤な変異を起こすようなものであっても、彼女には無害なのだ。

傷口に吸い付き、血を吐き出す。これを何度か繰り返した後、彼女は懐にしまっていたハンカチでハジメの傷口を縛った。

『体に異常は!? バイタルに変化はありません!』

「あ、ああ、特に何もないな……」

迅速な処置がよかったのか、それとも変異を決める何らかの運命が悪くない結果を出したのか。既に〈異形化〉したといってもいい肉体に、これ以上の変異は見られなかった。

『よかった……』

「助かった、トリニティ。今度クーラントの交換は私に奢らせてくれ」

『貴方を助けるのに理由も代価もいりませんよ。もっとマシな靴を探しましょう』

トリニティは他に危険な物が落ちていないか、足先で薬莢の山を払って地面を綺麗にして確認した。幸いにも、落ちていたアンプルはこれだけのようだ。

「何だったんだろうな、これ」

「ハジメ、ハジメ」

スェットの裾を引っ張られ、クインが指さす方向を見ると、バリケードの一部になっていたキャビネットの中に空のハードケースが幾つも転がっていた。真っ白で青い十字模様が刻まれたそれは、空のアンプルケースと無針注射器が雑に突っ込んであった。

どうやら彼は、運悪くそれの残りを踏んづけたらしい。

「クソッタレ、運がないな……」

「何の薬だ? 大量に使ったってことは治療薬とかコンバッドドラッグの類いか?」

「ポーションのようには見えませんわね」

『菌類に対する拮抗薬かもしれませんよ? ゾンビになってしまっていたので、効果があったか微妙ですが』

真相は分からないが、とりあえず大事がなくてよかったと胸を撫で下ろした一行は、パニックルームに踏み入った。本来設定されていたが、今まで空席であった上級監督官とやらのセキュリティ・クリアランスは相当に高かったらしく、内側からデッドロックされた扉でさえ開いてしまう。

そして、一行を出迎えたのは、首を括ったエドワード・ウッド所長であった…………。