作品タイトル不明
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「気安く僕の妻について語らないほうがいい、人間。本体が僕を通じて聞き耳を立ててる」
底冷えするような眼差しでルシェルが笑う。
向けられるのは憎しみにも似た怒りだ。世界を滅ぼし尽くしてもまだ足りないような、底のない怒り。
「気をつけたほうがいいよ。特に君は本体を刺激しがちだ。本物の聖剣の乙女じゃなく、魔剣の乙女だしね。そんな中途半端な聖剣じゃ本体に勝てるわけもないし」
「……中途半端? しかも魔剣の乙女って、その呼び名」
「聖剣を奪った子のことをそう呼ぶんだよ。今はもう残ってないのかな?」
まあどうでもいいけど、とあっさり切り捨ててルシェルは続けた。
「本体は僕と違って話なんか通じないからね。ま、どうせそのうち聖剣に削られた魔力は回復する。そうしたらクロードを魔界に強制送還させて、おしまいだ。つまり、僕は負けてないんだからな!」
ふんと鼻を鳴らし仁王立ちするルシェルは、まさかそれが言いたかっただけかという周囲の視線に気づいていないらしい。一瞬で緊迫した空気をわざとほぐしたのかもしれないが。
嘆息まじりに、クロードがつぶやく。
「僕は強制送還など受け入れない」
それをルシェルが冷徹さと憐れみを同居させた眼差しで見おろす。
「じゃあクロード。本体の封印がとけたらお前、どうするの」
「……それは」
「本体が怒ってるのはお前だって感じてるでしょ。本体の誓約は言ってしまえば呪いだ。そろそろ現実に影響が出たっておかしくない。――お前、本体にのっとられて、あの子を食い殺してもいいのか」
はっとクロードがアイリーンを正面から見た。
その顔を見て、アイリーンは膝の上で拳の形に手をにぎる。チェス盤が爆発した瞬間、てのひらに浮かんだ汗はもう乾いていた。
「あらわたくし、クロード様に食べられるならやぶさかではありませんわ」
ぎょっとした周囲に反して、ルシェルが眉をひそめる。
「君がよくてもクロードが嫌でしょ、まったくこれだから人間は」
「お義父さま。クロード様が本体にのっとられるということは、すなわち魔物になるということですわよね? なら、わたくしの聖剣で人間に戻すことはできるのでは?」
「無理でーす。さっきも言ったでしょ、聖剣が中途半端!」
「では聖剣を完全にする方法は?」
「知らないよそんなもの。君じゃクロードを守れないってことだけは確かだ。だからクロードを魔界に戻すって僕は言ってるの! そうすれば本体は、人間界に出るためにクロードをのっとろうとはしないから」
「わかりましたわお義父さま! 今まで大変失礼致しました」
すくっと立ちあがったアイリーンは、指先まで完璧な仕草で優雅に一礼した。
「わたくし、確かに至らない嫁でしたわ。お義父さまをぶちのめすことばかり考えて」
「えっ、何、突然。気持ち悪い」
「お義父さまは立派なクロード様の父君でいらっしゃいます。わたくし、今、それを完全に理解致しました……!」
ルシェルがおののいたようにあとずさる。その手をがっしりとつかんで、逃がさない。
「今までのことお詫び致します。ええ、難癖をすべて余裕で片付けてしまったこともチェスで圧勝の限りを尽くしたことも、駄目父だと思っていることも小馬鹿にしていることも」
「思っているとかしているって現在進行形じゃないかな!?」
「ですからどうか、教えてくださいませ。どうしたら本体の怒りがとけるのか」
ルシェルが瞠目した。その目をしっかり見つめながら、アイリーンはにっこり笑う。
「そうしたらクロード様は魔界に帰らずにすむのではなくって? お義父さまの話を総合するとそうなります」
疑問は山のようにある。
エルメイア皇国が建国されたのだから、ルシェルの言う妻はアメリア・ダルクのはずだ。聖剣の乙女と讃えられている彼女に関して語ることが、どうして本体の怒りを買うのか。聖剣の乙女エンドの場合、魔界に魔王という自分自身――おそらくルシェルが本体と言っているのはそのことだろう――を封印し、人間としてアメリアと結婚、死後は神に戻るルシェルがどうしてまだ魔王として復活しているのか。
ルシェルが魔王であるという点だけなら、ひとつ思い当たることはある。女王エンディングと呼ばれる別ルートの存在だ。あちらならば、女王の道を選ぶアメリアといつか結ばれる未来を夢見て、ルシェルは魔王の道を選ぶ。だが、あちらであっても結局ルシェルは人間として復活し、アメリアを迎えにいくはずなのである。
ルシェルが魔王のまま復活するルートなど、ゲームの展開ではあり得ない。
だがそんなことを推理しても、しかたない。なんらかの原因で本体が怒っており、その封印がとけかけていて、それにクロードが巻きこまれそうになっているのが問題なのだ。
「お義父さまが心配なさっているのは、クロード様が本体にのっとられることですわよね。そしてのっとられてしまっては、現状だと、もう戻る手段がない」
「……そうだけど」
「では本体にのっとられないよう考えましょう。先ほども言ったとおり、お怒りならその怒りをとくのが最善だと思いますわ」
「それはそうかもしれないけど、そんなあっさり……」
「――でないとこのままではお義父さま、クロード様に嫌われますわよ」
痛いところをつかれたらしく、ルシェルが胸を押さえた。
ここ数日で、ルシェルがどれだけクロードを可愛いと思っているのか、数々の難癖から身にしみてわかっている。そこにつけこんでアイリーンはにたりと下から笑った。
「さあお義父さま、わたくしと手を組みましょう……?」
「……そ、そういうことなら……まあ、考えなくも……」
「なんかアイリちゃんが詐欺師に見えるんだけど、俺」
「ウォルト、不敬だ」
背後で失礼なことを言っている護衛は無視して、アイリーンはルシェルに優しく微笑む。
「さぁ教えてくださいなお義父さま。本体は何にお怒りなの?」
「ああ、それはね。魔王の誓約にクロードが従おうとしないからだよ」
「誓約?」
「そう。いわゆる運命の相手をさがそうとしないから――」
ふっとルシェルの姿が突然消えた。
微妙な沈黙が広がる談話室で、アイリーンはゆっくりとクロードを見る。聖剣で魔力を削ろうがエレファス並に魔力があるルシェルを強制転送できるのは、夫くらいしかいない。
「クロード様。運命の相手ってつまり女性のことですわよね? 女性じゃないとびっくりですけれども」
「僕の運命の相手は君しかいない、アイリーン」
「女性なのですね? いつどんな誓約を? 結婚するとか? この流れだと完璧にそれですわよね」
「……アイリーン、何か君は誤解をして」
「ひどいクロード、お父さんを強制転移するなんて! 噴火口に落ちたじゃないか!」
ちょっと焦げて帰ってきたルシェルに、クロードが舌打ちした。
「お帰りなさいませお義父さま! さあ先ほどの話の続きを、具体的には運命の相手の名前と住んでいる場所と経歴を教えてくださいな」
華やかに笑って迫るアイリーンに、ルシェルがあとずさる。
「えっそんなのわかんないけど――ク、クロードは一目見たらわかるはずだよ!」
「まあクロード様ならおわかりになるはずだと、そう……」
「今度は溶岩の下に沈めてやる」
「クロード、なんでそんな子になったの!?」
「キース様、もうそろそろ止めたほうがいいのでは……」
「面白いんで放っておいたらいいんじゃないですか?」
「クロード様! おられますか!?」
修羅場寸前の談話室の扉が突然開いた。あからさまにほっとした顔でクロードが振り向く。
「ゼームス。どうした」
「――も、申し訳御座いませんが、ご足労願えますか」
勢いよく駆けこんできたわりに、ゼームスは部屋を見渡すなり言葉を濁した。チェスの駒を置いて、クロードが立ちあがる。
「わかった、行こう」
「クロード様、逃がしませんわよ」
「仕事なのだからしかたないだろう。そうだろう、ゼームス?」
「話がよく見えませんが、急ぎの案件です」
ゼームスの進言にアイリーンが渋々引こうとしたそこへもうひとつ、声が加わった。
「そういう気遣いはうちの娘にいらないよ、ゼームス君」
「……お父様?」
この国の宰相である父ルドルフの姿にアイリーンはまばたく。ゼームスが迷いつつもルドルフに道をあけた。
「舅退治ははかどっているかな? アイリーン」
「退治だなんて。それより利用したほうがいいと方針転換を考えているところです」
「うん、さすがうちの娘だね! じゃあもうひとつくらい対処できるね?」
「はい?」
まさか、ゼームスが気遣ったのは、自分か。
くるりとルドルフがクロードに向き直った。
「クロード様。ハウゼル女王国の女王試験についてはご存じですね?」
ここで報告を受けるしかないと感じ取ったのか、クロードが椅子に座り直す。
アイリーンも運命の相手だのなんだの騒げる空気ではないことを察して、口をつぐんだ。
「ああ、確かもうそろそろ最終試験だろう。――まさかもう女王が決まったのか?」
ハウゼル女王国の女王に誰がなるかは、他国のことだと呑気に構えていられない。アシュメイル王国の一件を考えれば、魔王が次期皇帝となるエルメイア皇国に何か含むところがあるのは、確実だ。
だが、次の女王の方針によってはまた話が変わってくる。
「いいえ。最終試験はこれからで、試験内容が今朝、発表されたところです」
「試験の内容? 何かうちと関係があるような内容だったのか?」
「ええ。試験は『魔王と愛を育むこと』だそうです。聖なる力が強い女性しか魔王との間に子どもを作れないだとかで、あけすけに言えば、皇太子殿下の御子をさずかることだと」
紅茶を飲もうとしていたクロードがそのままむせた。
「そういうことで、ただいま皇城めざして花嫁行列がまっすぐ向かってきております。もちろん、いらっしゃってるのはハウゼル女王国の女王候補の方々です。ハウゼル女王国より正式に通達もきております」
「……あちゃあ、やっぱり誓約の力が働いて、運命の相手のほうからきちゃったかぁ……」
片手で顔を覆うルシェルの嘆きに、アイリーンはぴくりと眉を動かす。
ルドルフが朗らかに応じた。
「運命。なるほど、ハウゼルの女王陛下は予知ができるという話ですからねえ。言い得て妙ですな。アイリーン、気合いを入れなさい」
ルドルフがアイリーンに目配せした。
娘の苦難を見るのが好きな父は、今日も非常に機嫌がいい。
「全員、クロード様の愛妾をめざすそうだ」
つまり、アイリーンの困難の始まりである。