作品タイトル不明
4
「――一応、報告には聞いていたが……」
「クロード様! おかえりなさいませ」
昼食も掃除も雑務も無事すませた昼下がりのお茶会の場所は、古城の談話室だ。
そこへ顔を出したクロードに、ぱっとアイリーンは顔をあげる。
「昼食はとられました?」
「実は今からだ。夕方まで少し時間があいたから様子を見にきたんだが……」
「では、すぐに食べられるものを用意しましょう。レイチェル」
アイリーンが目配せすると、レイチェルがすぐに心得た顔で軽食の準備を始める。
一人がけのソファに座っているアイリーンの髪に、クロードが指先をからめた。
「何か困ったことはないか?」
「聞いてよクロード! アイリーン、ひどいんだよ!?」
アイリーンとチェス盤をはさんで対峙しているルシェルが、聞かれてもいないのに泣き言を言い始める。
「僕の昼食の皿にしびれ薬を盛ったんだ!」
「……。よくあることだ」
「よくあるの!?」
「まったく。手っ取り早くすませようとするのは君の悪い癖だ、アイリーン」
「反省しておりますわ。やはり、そう簡単に始末できないようです」
「ちょ、クロード、この女のせいで倫理観がおかしくなって――いたっ」
チェスの駒を入れ替えようとしたルシェルの手の甲をつねりあげてやった。
涙目でにらまれたが鼻で笑って、アイリーンは盤面をさす。
「ずるは見逃しませんわよ。さ、次はお義父さまの番です」
「やだよもう勝負ついたよ君の圧勝だよ! ひどい、優しさがない!」
「まあ、わたくしがお義父さまに勝てるわけがありませんわ! 逆転勝利の一手を早く!」
「すっごい嫌みだね!?」
「……ずっとこの調子か?」
クロードが背後のキースに尋ねる。
クロードの上着を脱がせながら、キースが穏やかに頷き返した。
「おかげで、大変仕事がはかどっております。アイリーン様の指導のもと、古城の清掃・補修からルシェル様のお部屋の改装まですべて手配済み、近日完了予定。ついに嫌がらせが思いつかなくなって、昼食後からずっとチェスで勝負を挑まれているようで」
「勝敗は?」
「わたくしの全勝ですわ! お義父さまが優しいから手を抜いてくださってますの! 勘違いなさらないでくださいませクロード様、ルシェル様は決して激弱とかではありませんのよ」
よい妻は義父をたてるものだ。盤面をにらんでいるルシェルは涙目になっている。きっとアイリーンの気遣いに感動しているのだろうと、鼻で笑ってやった。
護衛についてきたウォルトとカイルが、それぞれ複雑な笑みを浮かべる。
「うっわあ、アイリちゃんまさかの完全勝利……心配する必要、皆無だった」
「ウォルト、口をつつしめ。アイリーン様も無傷なわけでは……ない、たぶん」
「ま、これでアシュメイル王国お疲れ様会は無事開催できそうかな」
オーギュストが言っていたのは、そんな内容の呑み会になったらしい。
ひそかに聞き耳を立てていたら、ルシェルがぱっとそちらへ視線を動かした。
「え、なになに? クロードのお友達が集まってるのかな? それはご挨拶しないとね、お父さんだからね! 君、なんていったっけ。ウォルト君? 僕もつれてってよー」
「え、ええー……いやそれは」
「お義父さま、話をごまかして勝負を投げ出されるおつもりですか」
「クロード、頼んだよ! お父さんのカタキをとってくれ!」
そう言ってルシェルは、クロードの両肩をつかんで無理矢理アイリーンの前に座らせた。
そしてアイリーンににいと下卑た笑みを浮かべる。魔王というより魔王の手下の顔だ。
「まさか、クロードに恥をかかせたりしないよねえ……?」
ふうっとアイリーンは深呼吸した。レイチェルがそっと紅茶をつぎ直してくれる。
「ついに、わたくしがクロード様にチェスで初勝利をおさめる日がきましたわ……!」
「えっこの盤面でクロードをぶちのめすの!? 悪いとか思わないの!? もうやだ、なんでこんな女と結婚したのクロード! お父さん理解できない!」
「かわいいじゃないか」
てらいのないクロードのひとことに、腕まくりをしていたアイリーンは固まったあと、いそいそと行儀よく座り直した。
皆の沈黙を狙ったように、レイチェルが軽食を配膳する。気の利く侍女が用意してくれたのは、チェスをしながらでも食べられる、サンドウィッチやスコーンだ。
ゆったりと背もたれに体重を預けて、クロードが考えこむ。
「しかしひどい盤面だな……食べる前に勝負がついてしまいそうだ。どうしようか?」
上目遣いで尋ねられて、慌ててそっぽを向く。
「い、いくらクロード様でも、もうひっくり返りませんわよ。わたくしが勝ったら、ひとつなんでも言うことをきいてもらいますから!」
「勇ましいことだ。だが僕は、夜のいじらしい君もたまらなく愛おしい。昨夜は独り寝にさせてすまなかった。今夜は戻れる」
「そ、そうですか。今夜は、お戻りに……」
「そう、今夜は」
意味深なひびきにそわそわしそうになる気持ちを引き締めるため、アイリーンは一度、紅茶を飲んだ。
「その手にはひっかかりませ――えっ?」
クロードの一手を確認して盤面を見渡して気づいた。
駒の配置が、先ほどと違う。
「すっ……すり替えましたわね!? いつ!?」
「心外だな。そんなこと僕がするはずがないじゃないか、最初からこうだったんだ。さて、僕が勝ったら君に何をしてもらおうか」
「クロード様! ずるいです!」
真っ赤になって怒っても、クロードは素知らぬ顔でスコーンにクリームをぬっている。
その背後で、ルシェルがよろめいた。
「……えっ僕の息子怖い……育て方間違えた? 放置してたから? ちょっと君、話聞かせてくれないかな」
「はあ、私めですか?」
「うん、君が一番クロードをよくわかってるって魔物達が言ってた」
「キース。お前も呑み会とやらに行ってくるといい」
むくれてサンドウィッチをもぐもぐしていたアイリーンは、クロードの許可に顔をあげた。
「……よろしいんですの、クロード様?」
「ああ。僕の面倒は君がみてくれるだろう?」
「そういうことではなくて、そこの駄目父をあまり自由にするのはどうかと」
「駄目父!? 今、はっきり聞こえたよ!?」
「大丈夫だ。彼は、僕に無理強いはしない。何せ、『お父上』らしいからな。それに大したこともできないはずだ」
静かなクロードの判断に、ルシェルが目を丸くしたあと、ふと唇をゆがめた。
ぞっとするほど美しい微笑は一瞬で消えたが、それを真正面から見たアイリーンは拳をにぎってしまう。
「うんうん、よくわかってるねえクロード。そうだよ、僕はお前が可愛いし魔王としての本体は魔界に封印されていてさらに聖剣に魔力をごっそり削られたカスみたいなものだ。だから僕がいくらわめいても泣いても、雨も降らないし地面もわれない。平和そのものだ。いつもこうならいいんだけど」
両手を広げて、大げさにルシェルが嘆いてみせる。
「魔界の気候が不安定なのは僕のせいだっていっつも怒られてたんだよねーつらいよねえ、クロード。雷や竜巻や噴火ごときで死ぬやつが悪いと思わない?」
「……。僕はそうは思わない」
「ふふ、そっかあ。お前はそういうとこ、お母さん似だね?」
「――そのお母様って、聖剣の乙女のことですわよね?」
ばんと音を立ててチェスの盤面が内側から砕け散った。
破片がひとつも飛ばなかったのは、クロードが咄嗟に魔力で壁を作ってくれたからだろう。
だが、目の前の相手が誰なのかを思い出すには十分だった。