作品タイトル不明
黒雲が湧き上がった頃
いにしえの魔神に対しての詳細な文献はないに等しい。そして魔神の記録は長い長い歳月の中に置き去りにされてしまい、まともなものはない。
残されている記述は皆、星の伝承の形である。つまりおとぎ話の世界のようなものばかりなのだ。
そもそもいにしえの魔神が何故に、世界を滅ぼそうとして、黄金の時代に神々に封印されたのか、その理由は今となっては誰も知らない事なのだ。それくらいに何者も知らない、名前ばかりが広まった存在、それいにしえの魔神なのである。
その個別の名前すら、誰も覚えては居ないのだ。
黒雲に包まれた小さな島。その島の周りの海は荒れ狂い、腕の確かな船乗りですら、その周りに近づく行為を拒絶する。
「あんなところに船を出したら一瞬で船が木っ端微塵だ、誰もあんな場所に向かいたくない」
それが自分の実力を知るまともな船乗りたちの意見で、それは実にごもっともな話だった。誰が好き好んで、沈んで溺れて果ては死ぬところに向かいたがるのであろう。
彼らの言葉は正解だ。実に正しい。
だが、それだけでは徐々に徐々に、済まなくなりつつあったのだ。
「やはり聖女の祈りの力に陰りが」
そう沈んだ声を漏らしたのは、聖女が生まれ育った国ながらも、王太子のあまりにも愚かな追放劇の結果、その聖女を遠くに失った国、アルケイア国の王のフェルダである。フェルダはなんとか魔物の跋扈するようになった国を立て直し、最悪の事態を収束させようとしていたのだ。
そして、こんな辱めを受けることになった聖女に心の底から深く謝罪をし、聖女から国としては、王としては、許されたという立ち位置まで、己等の社会的立場を復活させた名君であった。
聖女はそもそもこの王をとても慕っていたし、この王のためにと心を尽くしていたのだから、この王が心の底から謝罪し、詫び、どんな罰も受ける姿勢でいるのだから許したのである。これが事の始まりである王太子ならば、切って捨てている程度にはひどい辱めだったのは事実だ。
北の最も上に近い場所とされる神殿に去っていった聖女と、フェルダは穏やかに文通をするところまで関係が修復されていた。
そのためフェルダは、聖女のあれこれを他の王族よりも知る立場にあったのだ。彼がべらべらとあらゆることを吹聴しないという信頼も大きいであろう。
そのフェルダに送られてきた最新の手紙によると、神殿に所属する聖女は五名いるが、その五名全員の持つ神からの恩恵たる、祈りの力に陰りが出ていることが記されていた。
何かしらの問題が各国の神殿に起きたのではないかと、北の神殿は人を送り調べ始めているらしい。
だがそれではないだろう、とフェルダは考えていた。
彼のもとには報告が相次いでおり、その中に、たった一つだけの村が滅んだ小さな島の上空に黒雲が湧き上がった後に、その周辺の海が荒れ狂い、近海の魔物たちの強さが変わったという内容が知らされていた。
それと同時期に、聖女たちの力が衰え始めている。
この二つには何か、大きくはなくともつながりがある。
賢王フェルダはそんな事を考えて、そして、国中の者たちにお触れを出した。
【黒雲のわく小島に向かえる者がいるならば、国の勇士達を連れて行ってほしい。無事に往復できたならば、頭ほどの重さもある黄金を褒美として渡そう】
世界的に黄金の価値は計り知れないものがある。どこでも共通でやり取りできるのはそういった貴金属である。
このお触れを聞いた者たちはこぞって知り合いの船乗りたちに声をかけたものの、残念ながらアルケイア国には、それだけの技量の船乗りは一人も居ないのであった。
では他国の船乗りなら、と思うだろうが、他国の船乗りであっても、その黒雲のわく小島の周辺のことがわかるもののわかった船乗りたちは、首を縦に振ったりしない。
では海賊は?
そこであった。海賊たちはそのお触れを聞き、なんとその小島には国の王様が求めるほどの素晴らしい財宝か秘宝が隠されているのではないかと考え、我先にその秘宝を手に入れんと、荒れ狂う海に乗り出していったのだった。
ある日突然、手のひらから砂がこぼれていくように、体の中に巡る力が失せていくのを感じていた。
アルケイア国で育ち、アルケイア国から出ていった聖女であるデメテルは、己の手のひらをじっと見つめていた。
彼女は幼い頃から祈りに親しみ、祈りというもので神と交流を行っていた正しく聖女だったのだ。
神殿で戒律を守り、清らかに暮らし続けていた彼女は、なにゆえに自分の体の中から、神に祈りを捧げる際に感じていた力が、失せていくのか理解ができなかった。
それは他の聖女たちも同じであろう。デメテルよりも戒律を守っていなかった聖女たちは、自分の失敗だったのだ、自分が悪かったのだと神に赦しを求めているのだが、どの神もその祈りに答える気配がなかった。
デメテルでさえ、と神殿の者たちが思うくらいに、聖女たちから奪われた力の大きさは相当であった。
「何が起きているのかしら」
デメテルは静かに、神の声を求めて祈りを捧げているが、答えはでない。
彼女の信仰という強い柱はぐらぐらと揺れているが、まだデメテルはその柱をおる気はない。
「……神よ……お答えください……」
デメテルは今日も神殿の祈りの間で祈りを捧げる。他の聖女たちが同じように祈りを捧げる余裕がない中でも、彼女は清らかに祈りを捧げていた。
聖女の力が奪われたならば、彼女たちは何者になるのかと、神殿の関係者が喧々諤々の言い争いをしているが、デメテルはそれでも、祈り続けていた。神の答えをまちながら。
せかいなんてほろんでしまえばいいんだ。
なんにもわるいことをしなかったのに、あんなことをされるんだから、このせかいはくそなんだ。
そんなせかいなんてほろびてしまえばいいんだ。
せかいなんて、せかいなんて、せかいなんて
ほろべ ほろべ ほろべ
……いいや、ちがう。
暗闇に沈んだ思考回路がうっそりと嗤う
わたしがほろぼしてしまえば いいんだ。
ああなんてかんたんなんだろう。
いまここにそのちからはあるんだ。そのちからをかいほうすれば、かんたんなんだ。
せかいをほろぼすことなんて、このちからのまえにはぞうさもないんだ。
そうだ、おもいだした。
わたしは [せかいをほろぼすためにうみだされた]んだ。
わたしがうまれたのだから、それはきめられたことなのだ。
わたしをなぜかうみだしたものたちは、ひていしののしり、とじこめたりなんかしたけれど
わたしのちからを、せいじょたちに、すこしずつわけあたえて、さかえさせたりしたけれど
わたしのちからはほろびのちから、もうとまることなどありえない
優しい声が、名前を呼んで、手を伸ばすような、そんな甘やかな夢を見た。