作品タイトル不明
下っ端ミックは祈りだす
船は大変な騒ぎになっていた。それもそうだろう、数多の船が一斉にシャンティから逃げ出そうとしているのだから、その騒ぎが通常の出港と異なり、ひどく騒々しいのは当たり前だ。
どの船も多少は後ろ暗いところがある海賊船なのだし、向かってくる軍船の一団体は神殿関係ともなれば、彼ら海賊船の多くが持っている拿捕船の印の証書も役に立たなくなる可能性があった。
海賊船というのは略奪の限りを尽くすと思われがちだが、実際には私拿捕船の証書を持ち、どこかの国に属しているのだという言い訳を持っているものなのだ。それを持っているか持っていないかで、場合によっては処罰の重みが変わってくる。
私拿捕船というのはよくある話だと、その証書を与えた国の敵国の船を襲う、という事で略奪などの行為を認められている船であり、証書を与えた国の中でなら、正当な行為としてお咎めを受けずにすむのだ。
それ故大体の海賊船は私拿捕船としての証書を持ちたがり、その証書の主の国が極めて小さい国でも、証書を持っているのだからと大きな顔ができるのだ。
それくらいに待遇の違いがあるのが、証書の有無なのである。
だが神殿関係の軍船にそれは通用しない。神殿関係というのは、一番海賊たちが嫌う一団なのだ、何しろ神の名前のもとに行動するため、私拿捕船の証書があろうとなかろうと、神の正義に基づかない行為を行っているのが見えた瞬間に、砲台を向けてくる連中だ。
そして神の名のもとにというのはとんでもない数の人間を集める事でもあり、基本的に数の多さは比べ物にならないから、真っ向勝負で挑みたくない相手なのだ。
その神殿関係の軍船の集団がなんの目的で、わざわざ海賊の集まる隠し島に来ているのかは謎だ。
そういった情報を集めようにも、集まらないのが神殿関係者のいる場所のありふれた話だ。宗教というものはなかなか謎の多い事になりがちなのである。
「どれくらいでこの海域を抜けられそうだ」
「なかなか遅々として進まない。この海流を使って逃げようとする船が、わらわらと集まってきているだろう」
「違いない。どの船も早くこのシャンティの海域から出たいからな」
「おまけに今日は運が悪い、風も向かい風だ」
「こんな時に限ってって話だな」
キッドの船でもそんな会話があちこちから聞こえている。ミックはとにかく船が早くマシなところまで進んで欲しかったわけだが、そんな簡単に話は進まない。人間は自然に勝てるわけがないのだ。そして自然のあれこれこそ、人間は時折運命と呼ぶのであろう。
それを天災というかどうかは、その時の人間の捉え方次第である。
「全く、もっと早く準備をしていればってのは、言えないけれど言いたくなる話だな」
「この船はマシな方だろう。何しろ他の船よりも先に、軍船の群れに感づいたわけだ。積荷その他も十分に補給できているわけだし、その点でいうと他の船よりは恵まれている」
全くだ、と誰が言うのか賛同する。長い航海を当たり前とする海賊稼業にとって、補給が十分かどうかは命に関わる重大なものだ。
そしてそれを采配する事に長けている、それが海賊の船長の最も重視される能力の一つでもある。
キッドはそれがとても上手いのだ。それだけは誰も否定しないし、否定しないからこそキッドは若いながらも船長なのだ。
「前の船は足が遅い、抜かすにもこの状態では抜かせないな」
「あの船はさっきから見ていて危なっかしい、きっと積荷の詰め込みを急がせすぎて、しっかり積めなかったんだろう」
「あっちの船の騒ぎはひどいな、おいおい、あの状態で内輪揉めしているぜ」
キッドもベッグもその他も、船を進めたいと思いながら、海流の関係と群れなすような海賊船の多さ故に、思うような進路を取れなかったその時だった。
トップマストの見張り台に、今日も今日とてよじ登ったミックは、その時に感じたのだ。
嵐が来るという気配を。その嵐が、天の神様の支配する嵐ではなくて、人間が起こす嵐だという事を。
だからミックは鐘を鳴らした。近い内に、敵が来るという印の鐘の回数を。そして、その近いうちの時刻の推定を。
「おいミック! 向こうさんが来るのはわかってんだ、鐘を鳴らなくてもわかる!」
言ったのは船員の一人だ。ミックは鳴らさないのか、と思って手を止めた。そして前方を睨み、睨んで……外した眼帯の内側に眠っていた義眼に、意識を集中させた。
船の数はとてもたくさん、どれもこれも武装して、何かを探すように近づく船という船を足止めしている。
義眼は音を拾わない。だから音はわからないが、神殿関係の船が何かを血眼で探しているのは間違いなかった。
何を探しているのか。いや、船の人員をひとり残らず甲板に出している。探しているのは人間だ。でも何者を探しているんだろう。
わからない。音が聞こえれば。そんな事を考えても、ミックの魔道具は音を拾うようにはできていない。
少し悔しく思いながらも、ミックは前を向いていた。
そして、ずっと海面を睨んでいたその時だった。
「お頭!! この海流から大きく右にズレてくれ!!」
睨んで見つけたその海流の、一部の奇妙なズレに気づいて、ミックは見張り台から吠えた。高く澄み切った子供の声というよりも、女の声に近いその声に、船の誰もが一瞬耳を疑う。
耳を疑わなかったのは、キッドだけだ。
「何を見た!」
「右に、この渋滞を抜ける海流が走っているのが見える! 義眼で見えてる、間違いない!」
これを笑うに笑えないのが、船の人間だ。ミックの義眼は何度も言うが、それだけ段違いに高い能力を持つ魔道具だ。それが見せたなら間違いがないのだ。
ミックが偽りを述べない限りは。
「……右に舵を切れ!」
キッドは熟考しなかった。この緊急事態に熟考しないのは、仕方のない話である。とにかくこの海域からでなければ、面倒くさい神殿関係の大量の軍船に囲まれて、何が起きるかわかったものじゃないのだから。
「お頭!」
「あれは嘘を言う頭がない」
ミックだけを信じていいのか。舵を切る船員が船長を見ると、船長は全責任を引き受けるもの特有の声でそう言い放った。
お頭キッドにとって、ミックはこちらに嘘を言う人間として数えられていないのだ。間違いない。
船長がそういうのなら。船員は舵を切った。
他のどの船も、もともとの海流を外れる航路を取らず、右にはずれない中で、キッドの船だけそそくさと右にズレたのだ。
それを笑うような他の船の甲板の人間の声もあったが……キッドは前方だけを睨んでいた。他の舟の言葉など耳をかさない。
対して、見張り台から吠えたミックは、そこでぎゅっと両手を組んで、子供がするような祈りの姿勢を取って、とにかく、他の船はどうだっていいけれども、この船だけは逃げ切りたい、と祈る相手もないのに祈っていた。
風が、吹き始めていた。
「風が吹き出したぞ」
誰が言ったかわからない。だがキッドの船の帆は大きく膨らみ始める。他の船は膨らまない。つまり、後方から大きく風が吹き出したとは言い難い。
だがキッドの船は他の船が喉から手が出るほど欲しい、追い風を受け始めている。追い風を受けた海賊船は、するすると素早い動きをし始める。そもそも海賊船は機動力を重視するものが多いのだから、早く走れる条件が揃えば、そりゃあ軍船よりは早く走れるのだ。
「おい、なんであっちの船だけ」
他の船の甲板から、引きつったような声がかすかに聞こえてくる中でも、ミックはとにかく祈っていた。ばさばさと風が吹き出したのだ。吹き出した風がこのまま、この船を、厄介な勝ち目のない軍船から遠ざけてほしいと、それだけを祈って。
「待ってくれ、あの船、少し光ってないか」
「本当だ、かすかに光ってやがる」
「船全体にかけられるほどの大技なんて、ただの魔術師にはかけられない! あの船にそんなとんでもない魔術師が抱えられているなら噂になるはずだ、どうして!」
他の船が、一隻だけこの混沌の状態から立ち去ろうとするキッドの船に吠える。事実、キッドの船には淡い光がまといつき、ただの海賊船にはあるまじき状態になっている。それをおかしいと思える人間は多いし、船の中でも動揺は広がっていた。
「おい、誰だこの船に魔術をかけているのは」
「そんな新入り居ないだろう!」
「……おい、見張り台を見ろよ」
「は? ……まじかよ」
船の甲板に出ている人間達は、そんな事を怒鳴り合い。怒鳴り合って見張り台を見上げて、言葉を出せなくなっていた。
見張り台から、ただの魔術師には到底なし得ない術を使っているかのように、光が溢れだしていた。