作品タイトル不明
81.目覚めのキス
ダガーは指輪をつけて、テーブルの上に指輪をつけた手を乗せた。
五本の指を開いて、リラックスした状態でテーブルの上に載せている。
その少し先に砂があった。
砂は何かしらの力が働いてて、刻一刻と――大体一秒ごとに自動的に形を変えている。
それは数字を表していた。
砂が自動的に、数字の形をしている。
「いい! これはいいぞ! これさえあれば研究がまた次の段階へ進むことが出来る」
「そうなの?」
俺は真後ろから、ダガーの肩越しにテーブルをのぞきこむようにして、きいた。
「ああ! いままでは心拍数を図るのに、なんだかんだで神経を集中させなくてはいけなかった。そのくせ心の中で計算を必要とした。しかしこれさえあれば心拍数の数値にもう頭を悩ませる必要もない」
「それってそんなにすごい事なの?」
「当然だ! 感謝するぞ」
「そっか。それならよかった」
俺は少しホッとした。
詳しい話を完全に理解している訳ではないけど、ダガーが満足している、いや大満足している事は分かる。
「じゃあ、今度はこっちの番だね」
「うむ?」
「陛下の事だよ。陛下の事を助ける為に来たって言ったじゃない」
「ああ、そういえばそうだったな」
ダガーは今更思い出したかのように、小さく頷いた。
それでこっちの要請に応えるのかとおもいきや、ダガーはじっと俺を見つめてきた。
何かを探るような目つき、なのはすぐに分かった。
何を探ってるんだ? と、不思議がっていると。
「せっかくだから、もうひとつだけ私の要求を聞いてもらおう。今度は――」
「ヘカテー!」
ダガーが言い終えるよりも早く、俺はぱっと振り向いて、手の平をつきだした。
俺の背後にはヘカテーとオノドリムが立っていた。
とりあえず自分達の出番はここまで、という感じで二人は少し離れた場所に立っていたのだ。
そのヘカテーが、さっき以上に険しい顔をしていた。
もはや視線だけで人を殺せそうな、そんなレベルの険しい顔をしていた。
「落ち着いてヘカテー」
「得心しております、神。今そのものには何も致しません」
「終わった後でも止めて」
俺はかなり本気でヘカテーをなだめた。
彼女は完全に切れていた。
ダガーはちょっとだけ調子に乗った感じだ。
俺の頼みごと、イシュタルを助けられるのが自分しかいないと理解して、更にもうちょっと俺から何かを引き出そうとした。
それをヘカテーは当然の如く不快におもった。
神との約束を破ろうとした、その上更に弱みにつけ込んでつけあがろうとした。
彼女のキレる理由が手に取るようにわかった。
「とにかくいいから」
「……わかりました」
ヘカテーは渋々引き下がったが、険しい顔はまったく収まっていなかった。
これ以上ダガーのペースに乗っかるのは絶対によくない。
俺はダガーに振り向き、ちょっと強めに交渉した。
「ダメだよダガーさん。約束だったよね、それとの引き換えに病気を治療してくれるって」
「うむ、そうだな」
「だったら約束を守ってくれなきゃ。もし陛下にもしもの事があったら、今後は一切協力出来なくなっちゃうよ」
「むっ、それは困るな」
ダガーは眉をひそめた。
こっちは純度百パーセントの、シンプルに「困った」表情だ。
俺がイシュタルの事でダガー以外頼れないのと同じように、ダガーも彼女の研究を効率的に進めるには俺の協力がなくてはならないと感じている所だろう。
いわば互いに弱みを握ってる状態だ。
それを俺が弱みとして使った、ダガーに効いた。
これが交渉上手な人間相手だとちょっとしたチキンレースになってくるような状況だが、ダガーは交渉が上手いということではなく、あくまで自分の研究優先だというのが今まで接してきた中でわかった。
それをすこし脅してやると、彼女はすぐに態度を変えた。
「しかたがない。なら、助けた後にまた協力してもらうぞ」
「うん、それならいいよ」
俺は頷き、ちらっとヘカテーをみた。
ヘカテーは少し落ち着き、無表情でしずしずと俺に一揖した。
神の決めたことでしたら――と無言なのに聞こえてきそうな反応だった。
「ならば、今から言う物を揃えてもらおう」
「これ以上何かをせびろうというのですか?」
ヘカテーはとげとげしさマックスにいった。
「何を言っている」
対して、ダガーは呆れたような表情をした。
「私は医者だ。医者が出来るのは診断と薬の調合のみ。まさか薬剤まで私に探しに行って来いなんていうんじゃないだろうね」
「……失礼しました」
ダガーの言いたいことを理解し、ヘカテーはまた無表情で引き下がった。
「えっと、何を用意すればいいの?」
「まずは母乳だな」
「ぼ、母乳?」
俺は驚いた。
まったく予想外のものを言われたからだ。
「うむ。成人の男だったな? ならば大樽一つ分あれば事足りるだろう」
「母乳って……どうしてそんなものを? しかもそんなに」
「うむ、私は患者を救えばいいのかな? それとも君たちの知識欲を満たせばいいのかな?」
「あっ。えっと……」
「お任せ下さい、神」
ヘカテーは一歩前に進みでて、そういった。
「すぐに集めさせます。母乳だけでよいのですか? 何か他に条件は」
「厳密には出産間もない物の方がベストだが、それは量で補えるから気にしてなくても平気だ」
「では出産間もない母親達から集めさせます」
平然と受け入れるヘカテー。
そんなヘカテーを、ダガーはじっと見つめた。
「何か」
「それを軽く請け負えるのなら追加の注文も君にだそう。母乳を一時的に入れる容器だが、内側は純金でコーディングさせたまえ。99.99%以上が好ましい」
「承知いたしました」
ヘカテーはやっぱりあっさりと請け負った――が。
「だ、大丈夫なのヘカテー? 純金って結構高いし大変じゃない?」
「神のためならば」
ヘカテーはそういい、やっぱりあっさりと、事もなさげにうけおったのだった。
☆
半日程度で、純金の器も母乳もあつまった。
酒場でよくテーブル代わりに使われるような大きなタルに、その内側を純金で打ち壁をつくった。
そのタルの中になみなみと白い母乳がそそがれてから、密封されている。
今ここにあるのは、ぱっとみただの大きなタルだ。
ヘカテーの部下は全員下がらせて、ふたたび俺達――俺とヘカテーとオノドリム、そしてダガーの四人だけになった。
「うむ、ではそれをふりたまえ」
「振る?」
「そうだ、酒精飲料と果汁を混ぜた物をふって飲むことがあるだろう? そういう感じだ」
「えっと、どれくらい振ればいいの?」
「小一時間ほどだな。早く振ればその分短縮できるが」
「わかった」
俺は頷いて、タルと向き直った。
そして、タルを持ち上げた。
俺は海神ボディのままだ、タルの一つくらい、簡単に持ち上げられた。
俺はダガーに言われた通り、完全密封されたタルを振った。
上下にシャカシャカ、中にある液体が混ざって泡だっていくのを感じながらふった。
「すごいな、その巨大なタルをその速さで振れるのは」
「これでいいの?」
「うむ、その速さなら五分くらいで大丈夫だろう」
「そっか」
俺は頷き、そのまま振った。
まずは言われたとおりに、五分くらい振り続けようと思った。
「ねえねえ、なんで母乳をふるの?」
これでは五分間は出来る事が無い、だからなのか、オノドリムがダガーにきいた。
「生き物の乳はだな、赤子に飲ませて病気への抵抗を高める効果があるのだ。出産間もない乳ならその分効果が濃い」
「そうなの?」
オノドリムはヘカテーに向かい、聞いた。
ヘカテーは静かに答えた。
「はい。母乳で育った子供の方が体が丈夫になるというのは、半ば常識です」
「へえ。それを何でふってるの?」
「それは実際にみた方が早い」
ダガーはそういい、俺の方をみた。
なるほど成果をってことか。
俺は更に速く振った。
巨大なタルを、まるで小さなコップでするかのように、全力で上下にふった。
「もういいだろう」
「わかった」
おれは頷き、タルを置いた。
ダガーは近づいてきて、俺が置いたたるをあけた。
パカッと開いたたるの蓋――中をみて驚いた。
「水!? と、この固まりは?」
「それが母乳の精髄だ」
「精髄……」
「凝縮した物というわけだ。ああ、どうせきかれるだろうから答えておく、純金で内壁をコーディングさせたのは不純物を混ぜないためだ」
「あ、なるほど」
ダガーは追加で用意させて、小さな純金のコップをつかって、たるの中の小さな白い固まりをすくい上げた。
「さあ、患者はどこだ?」
☆
俺達は水ワープでイシュタル――皇帝の寝室にやってきた。
寝ている皇帝のまわりに使用人やら医者やらがたくさんいたが、やってきた瞬間オノドリムは彼らを全員眠らせた。
驚いてオノドリムを見ると。
「これ以上ごだつくのはね」
と、いたずらっぽい笑顔で答えた。
俺は彼女に心から感謝しながら、イシュタルに近づいた。
ベッドの上にイシュタルは静かにねていた。
ずっと眠りっぱなしで食事もできない状態だったから、頬がすこしコケている。
振り向いて、ダガーをみた。
ダガーは小さく頷いた。
俺は作ってきた小さな白い固まりをイシュタルの口の中に入れた――が。
「食べない……」
「寝ているからな」
「そっか、そういう病気なんだっけ」
俺はすこし考えて、手をかざした。
海神ボディから海水がでて、イシュタルにかかった。
海水をかけられたイシュタルは男から女へ、であった時に俺が思わず見とれてしまった、あの美しい女の姿になった。
俺はそのまま、彼女に口つけた。
背後からみんなが驚いているのが気配で伝わってきたが、スルーする。
俺はイシュタルに口をつけて、白い固まりを彼女に飲み下す手伝いをした。
白い固まり、薬をゆっくり喉の奥に送り込んでやって、口づけをとく。
そして、しばらくの間、彼女をじっと見つめる。
「……ま……て……お?」
イシュタルは、ゆっくりと目を開いて、至近距離の俺を不思議そうな顔で見つめてきたのだった。