軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第854話 霊獣攻略(1)

「第十二使徒マリアベル卿。貴方は今、完全に包囲されている。勝ち目はない。大人しく、投降して欲しい」

これは罠だ。

サリエルの姿を見て動揺しかけた頭でも、そう即座に思い至った。

マリアベルは、あの砂漠での無様な戦いぶりを決して忘れていない。次に見える時こそ、必ずサリエルを救い出すと決意して、このアヴァロンに残り力を蓄えることを選んだのだ。

「だから、落ち着け……ここで敵の誘いに乗るなど、愚かな真似だ……」

そう自分に言い聞かせる。わざわざ、声に出してまで。

敵はサリエルを奴隷同然に酷使している。仲間として共に戦わせておきながら、いざとなればこちらに対する人質にするという、野蛮な異教徒でも思いつかない非道な行動を平気でできる奴らだ。

故に、こうしてこれ見よがしにサリエルを前に立たせているのは、自分を王城から引きずり出すための罠に他ならない。

「こちらには、アヴァロン王城を崩す用意がある。このまま戦えば、そちらは必ず負ける————けれど私は、マリアベル、貴方に死んで欲しくはない」

いいや、嘘だ。

本当に容易く王城を攻略できる策や攻城兵器があるのなら、とっくにソレを使っている。向こうからすれば、一刻も早くここを落として首都を完全に制圧したいはず。

しかし正攻法で攻めて、落とせるかどうか自信がない。だからこそ、こんな卑劣な策に打って出ているのだ。

「魔王クロノは、とても恐ろしく、強力な存在。第七使徒である私も、こうして敗れ去った。貴方では、決して勝つことはできない」

敵の卑怯な罠であると頭で理解はしているが……怒りと悔しさがない交ぜになった感情が、止めどなく溢れ出る。

この第十二使徒マリアベルが、戦う前から負けると断ぜられることに、何も思わないはずがない。

たとえそれがサリエルの本心ではないとしても。ただ、敵に脅されるがままに言わされているだけの台詞だとしても————お前では勝てないから、降伏しろなどと。とても許容できない。使徒として、何より、一人の男として。こんな屈辱はない。

「大人しく降伏すれば、命は保証する。魔王クロノには、私が必ずそう約束させてみせる」

「くうっ、た、耐えるんだ……僕はミサとは違う……こんな、見え透いた手になんか乗るものか」

頭で分かっていても、心が拒絶反応を起こす。

今すぐ彼女を救い出せ。躊躇するな。

恋焦がれた女性を目の前にして、指をくわえて見ているのか————そんな、溢れ出てしまいそうな感情を、マリアベルは必死で抑え付けていた。

「今更、穢れてしまった私の身など、どうなっても構わない。けれどマリアベル、貴方の命だけは救いたい————」

だが、限界が訪れようとしていた。

それは些細な変化。けれど、決定的な違い。

サリエルは今、自分のことをマリアベルと、呼び捨てで呼ばなかったか?

「貴方だけが、私を使徒としてではなく、一人の少女として、見てくれたから————だから、お願い。どうか降伏して」

その言葉の意味を、瞬時に理解することができなかった。

まさか、と思う。そんな都合のいいこと、あるわけがない。まず思い浮かびあがるのはそんな否定の思考。

けれど、もし本当に。万に一つでも。今のサリエルの言葉が真実だったとしたならば。

いいや、嘘のはずがない。

悪魔そのものである連中に、こんな台詞が考えられるとは思えない。人が人を愛する、その美しく純粋な気持ちを言葉にすることなど、あのケダモノ以下の奴らにできるはずがない。

そうだ、ならばこれは、真実の言葉。サリエルの秘めたる本心。敵に囚われていながらも、ここにいる自分に向けて放った、心からの言葉なのだ。

「ああ、そうか、そうだったのか……僕の気持ちは、貴女に伝わって————」

「————ふん、やはり言うだけ無駄だったな、サリエル」

そこで、冷酷な声が響き渡る。

胸に染み渡っていく温かい気持ちを、踏みにじるようにその男が言う。

「お願い、もう少しだけ、待って————」

「ならん」

「ああっ!?」

思わず、声が出る。反応せずにはいられない。

あろうことか、その男はサリエルのか細い首を絞め上げた。

戦いの最中、突如としてサリエルに凶器を突きつけ人質にした妖精の姿には驚愕したものだが、しかし、コレはあの時に勝る衝撃的な光景だ。

信じられない。想像したこともない。あの第七使徒サリエルが、見た目通りの非力な少女であるかのように、男に首を掴まれ乱暴に扱われる姿など。

悪夢のような光景。だが、同時にマリアベルは思い出す。

今のサリエルは、第七使徒ではない。使徒の位を剥奪された以上、白き神の絶大な力は、もうあの身には宿っていない。

正真正銘、サリエルはただの少女に戻ってしまっている。

「んっ……」

苦し気な声。けれど、ゾクリと震えるような艶めかしいうめき声が耳元に届く。

初めて聞いた。サリエルのそんな声は。

どんなに激しい戦いの中でも、どれほど酷い傷を負っても、悲鳴どころか感情的な言葉一つ、彼女は漏らさなかった。

強烈に憧れた。神の戦士に相応しい戦いぶりは、見上げるほどに遠い存在に感じられて。同じ使徒となっても、その差をあまり埋められた気はしなかった。

いつか追いつく。いつか、貴女を守れるほどにまで強くなる。そして、その時こそ————そう心に決めて、使徒としてやって来た。

けれど、違った。

サリエルが使徒でなくなったその時から、強さなどとうに通り越しており、そして、自分が彼女を守らなければならなかったのだ。

マリアベルは、サリエルが漏らした苦悶の声を聞いて、ようやく理解した。

理解したと同時に、目の前が真っ赤になる。

「面白い余興になると思ったが、全く、興ざめだな。マリアベル、愛する女に呼びかけられても、応える素振りも見せぬとは、とんだ腑抜けよ。これがシンクレア最強の使徒か、笑わせてくれる」

怒り。怒りだ。先ほどとは比べ物にならない怒り。

サリエルを守らなければならないのに、何もできなかった不甲斐ない自分に対する怒り。

だが、それ以上に、許されざる存在が目の前にいることを認識する。

魔王クロノ。

あの男は、一体、何をしている。

お前が今、その手でかけている人が誰なのか、理解しているのか。

その人は、サリエルは、お前のような薄汚い悪魔が触れて良い存在ではない。彼女は誰よりも気高く、美しく、そして————

「しかしサリエル、お前も悪い。男を説得しようというのに、コレではなぁ……女なら、色目の一つも使ってみせろ————『 愛の魔王(オーバーエクスタシー) 』」

奪われた。唇。

サリエルの口が、舌が、蠢いて、蹂躙、

「あ……あ、ああああぁ……」

自分が今、何を見ているのか。何を見せられているのか。頭が、心が、理解を拒んでも、片時も目は離せなかった。瞬き一つすることなく、息も忘れて、ただ、見せつけられた。

それは、聖なるものが穢される光景。

これは、愛するものが犯される光景。

愛情。純情。憧憬。尊敬。恋慕。好き。好き。大好き————感情が、壊れる。

頭の中で、脳の奥で、それらが粉々に砕け散る音が聞こえた。

「————っは。どうだ、これで少しは伝わったのではないか?」

伝わった。

純潔を失う。その本当の意味を。

「それとも、まだ足りぬか。まだ分からぬか」

もう充分だ。理解した。全て、理解できてしまった。

いいや、本当はとっくに分かっていたはずだった。サリエルが使徒の位を失ったという神託を聞いた時から。

あの妖精に、淫魔の神の力で操っていると、聞かされた時から。

もう子供ではないのだ。その意味、分からぬはずがない。

サリエルは奪われたのだ。心も体も、何もかも。

分かっていたはずなのに、分かってはいなかった。実感がなかった。信じたくなかった。心のどこかで、嘘だと思い込んでいた。

けれど、サリエルが男と激しくキスを交わす姿を見て、分からされてしまった。もう現実逃避はできない。都合のいい嘘は信じられない。

「な、んで……酷い、こんなコト……」

手が震える。体が震える。脳が震えている。

ついに目の当たりにしてしまった残酷な現実に、感情が、心が、バラバラになってしまいそうな衝撃が、ただただマリアベルを打ちのめす。

もう何も考えられない。

もう何も信じられない。

けれど、視線は逸らせなくて。

ああ、だって、サリエルが指に口をつけている。彼女のあんな蕩けたような表情、見たことがない。そんな顔ができるなんて想像したこともなかった。

小さな桜色の唇が吸い付く。赤い舌先が這ってゆく。その男の指を。愛しそうに、美味しそうに、魔王のものを、

「そんな……僕の方が先に、好きだったのにぃ……」

どうして、そこにいるのが自分じゃない。どうして、そうしているのが僕じゃない。

怒り一色に染まっていたはずの視界には、更なる赤みが増してゆく。

それは嫉妬という名の、最も罪深き感情で、

「ならば、もっと見せてやろう。この俺に身を捧げるというのが、どういうことなのかをなぁ!」

そして晒される、サリエルの真っ白な裸身。

夢にまで見た、美しく、清らかな、聖なる乙女の肉体。

目に映るのは、天使の彫刻像が如き美しさと、血肉の通った生身の瑞々しさ。本物だけが持つ美と艶。

その穢れなき白を捕らえるように絡みつく黒。僅かに局部だけを隠す、下着のように淫らな漆黒の革。

砂漠での戦いの時に見て以来、本当に夢に見る、淫魔の装束だ。

「マリアベル、そして白き神を信じる愚か者共、見るがいい。これが神の力を授かった第七使徒、かつて十字軍を率いた女の末路よ」

淫靡な姿のサリエルの肉体に、欲望のままに魔王の手が這う。

その小ぶりな胸を、心臓を鷲掴みにするように、邪悪な指先は食い込み、爪先は突き立てられて、真白の柔肌に薄紅が滲む。

「んっ……んん……」

再び耳に届いたサリエルの苦痛の————否、艶やかな喘ぎによって、マリアベルの中で、何かが大きな音を立てて切れた。ぶっつりと、切れて、きっともう、二度と元には戻らない。

「少しは色っぽくなったではないか、サリエル。もう一度呼びかけてやったらどうだ。それとも、乱れた喘ぎ声でも聞かせてやった方が————」

憤怒と嫉妬。

強烈な二色の感情に頭も体も全てが支配される。

他の事は一切、頭の中にはない。十字軍も、アヴァロンも、どうだっていい。どうでもいい。

自分には、やらねばならないことがある。

魔王。クロノ。決して許されざる存在。

神は言っている————魔王を殺せと。

「————やぁめぇろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

釣れた。

怒り心頭で、マリアベルが白色オーラ全開でバルコニーからそのまま飛び出して来る。

あそこからここまで、何百メートルあるだろうか。しかし、怒り狂った使徒が本気で跳躍すれば十分に届く距離である。

どれほどの脚力が込められたのか、バルコニーの一部を破壊するほどの踏み込みでもって、マリアベルは夕闇を駆ける一筋の流星と化す————だが、目に見えないほどではない。

間合いは十分。準備も万端。待っていたぜ、この瞬間をよ。

「消し飛べ————『 虚砲(ゼロ・カノン) 』」

必殺の黒魔法を解き放つ。

サリエルの首を絞め始めた辺りから、コイツの準備は始めていた。

本来は詠唱が必要だが、デウス神像相手に練習を重ねてついに無詠唱で発動……できれば良かったんだけど、それはまだできないので、詠唱を口にしない分、頭の中で通常よりも時間をかけて術式を構築したのだ。

彼女の首を抱えていた右腕を離し、手のひらは飛来するマリアベルへと向いている。

一方、拘束されるフリから解放されたサリエルは、そのまま両手を大きく広げて俺の前に立つ。リリィに習って、今回もサリエルには盾になってもらおう。

そうして、サリエルが俺の前で盾となって立つ時には、放った『 虚砲(ゼロ・カノン) 』が炸裂する。

一切の光がない漆黒の消滅領域が、球形となって音もなく広がった。

「————っ!?」

ドンッ!! と鳴った凄まじい音は、マリアベルが空を蹴った衝撃波だ。

真っ直ぐ飛び掛かってくるはずのところを、慌てて方向転換をした。後先考えられない程の怒りでもって飛び出したにも関わらず、回避を優先したのだ。

流石の第六感。

だが、遅い。

「ぐぁあああああああああああっ! ぼ、僕の、腕がぁあああああああああっ!!」

寸前で宙を蹴って無理な回避行動をとった結果、墜落するように俺達から大きく左方に逸れた地面へと着地。

転がるように地面へ突っ込んだ衝撃よりも、マリアベルにとっては腕の方が気になるようだ。

奴の左腕、その二の腕から先が消えていた。

『 虚砲(ゼロ・カノン) 』の領域を完全に避け切ることはできず、消滅したのだ。

「腕の一本くらいで、騒ぐんじゃねぇよ————『闇凪』」

次いで、左手に握った『絶怨鉈「首断」』を振るう。

いつまでもサリエルの胸を揉んでいるワケにはいかないからな。早々に手放し、左手で影から相棒を握りしめておいた。

隠し切れない苦痛と、左腕をいきなり失うという重症に動揺した表情を浮かべるマリアベルへと、一足飛びに切りかかる。

「ぐうっ、ぉおぁあああああああああああっ!!」

それでも一番下っ端とはいえ、使徒だけある。歯を食いしばって抜刀。

光り輝く華麗なサーベルは、コイツの武装聖典か。

細身のサーベルが、真っ向から武技の威力が乗った『首断』を迎え撃った。

ギィン! と白黒の火花を散らしながら、マリアベルが下がる。流石に、力負けはしない。だが、上手く防がれてしまったな。

「――『 雷天翔閃(ライン・ブラストシュート) 』」

そして、間髪入れずに放たれたのは、サリエルの投擲武技。

『暗黒騎士・フリーシア』の加護の発露たる 黒雷(エンドボルト) がバリバリと帯電した愛槍。『 反逆十字槍(リベリオン・クロス) 』は唸りを上げて10メートルもない至近距離を瞬く間に駆け抜ける。

ズドォン! と正しく落雷のような音を響かせ、超高速の投擲による破壊力と雷撃の威力が炸裂。王城前の綺麗に舗装された石畳が粉微塵に砕け、粉塵が濛々と煙った。

「…… 召喚(サモン) 『エリクシル・スライム』」

噴煙を割って、マリアベルがゆらりと歩み出る。

直撃は避けたが、雷撃の余波は至近距離で喰らったのだろう。衣服の一部が焼け焦げ、肌は煤けている。綺麗に結われた金髪は解け、長い髪がバラバラと広がっていた。

左の肩から、欠けた二の腕の先まで、淡く輝く白いスライムのようなモノが覆って蠢く。『エリクシル・スライム』という名前とあの様子からして、治療用なのだろうが、今すぐ腕を生やすほどの即効性はないようだ。

開幕から僅か数秒の間で、第十二使徒マリアベルは早くもボロボロになってしまった。

しかし、真っ直ぐに俺を睨みつける青い瞳には、激しく燃え上がる憎悪でギラギラと輝いている。

「許さない……お前だけは、絶対に……」

「ああ、俺も使徒を許すつもりはない」

正直なところ、俺にはこれといってマリアベル個人を恨む理由はない。

あんな見え透いた挑発に飛び出して来るほど、純粋で未熟な子供だ。見た目通り、思春期の少年。ただの学生といったところ。

ミサと違って、パンドラ大陸でこれといった悪行はしていない。砂漠でリリィ達と一度戦ったくらいの、浅い因縁だ。

だがしかし、それでもこの少年は使徒。白き神の力を授かった、十字軍の切り札たり得る最強戦力の一角。

適切に戦場に投入されれば、戦局を容易く覆す戦略級兵器も同然の存在。

許してはおけない。その存在そのものを、俺は帝国を与る魔王として、絶対に許してはならない。

「この僕の全力をもって、魔王クロノ、お前を殺す————開け 楽園(エデン) の門、『 霊獣召喚(スペリオール・サモン) 』っ!!」

そのためには、コイツが誇る『 特化能力(イグジスト) 』を打ち破る必要がある。

だが、マリアベルがこの場に飛び出して来た時点で、仕掛けた罠にかかっている。

「何匹でも出してみろよ。殺し尽くしてやる————俺達がな」