軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

18.私の願い、それは──

重たい扉を開けた瞬間、王都の喧騒がふっと遠のいた。

店内の照明は極端に落とされ、光源はカウンター上の小さなランプと、棚に並ぶ無数のボトルが反射する琥珀色のきらめきだけだ。

客席のソファーは、すべて深みのあるバーガンディで統一されている。小さなテーブルにはガラスのキャンドルスタンドがひとつずつ置かれており、火が静かにゆらめいていた。

「き、緊張します……!」

「客はいないんだから堂々としてなさい」

あまりの高級感に震えていたら、ロザリア様に呆れたように返されてしまった。

セルドア様が作られた高級バー「ノワール」。開店まであと一週間、ロザリア様と私は視察のために店へやってきたのだった。

その時、店奥にいた一人の女性が、こちらに気づいて振り向いた。

金髪をすっきりと一つにまとめ、チャコールグレーのベストを羽織っている。ローヒールのパンプスの靴音を響かせながら、こちらに近づいてきた。

「ロザリア様!」

「カノン、調子はどう?」

「まだ至らぬ点はありますが、お客様の前で恥じない程度の接客はできるようになったかと」

そう、ノワールのスタッフとしてやってきたのは、高級娼館で働いていたカノンだった。品のある制服に身を包み、どこか凜とした空気を纏っている。さらに店の奥ではバーバラとダリアもおり、ロザリア様に気づいて小さく会釈をした。

ルジェの事件が解決したあとのことだ。ロザリア様は三人の前で言った。

「貴方たちをノワールで雇うわ。その代わり約束しなさい、働いた金は必ず自分のために使うと」

彼女の言葉に、三人はぽろぽろと涙を流しながら頷いた。あの時のロザリア様は本当にカッコよかった……!

彼女たちが働いていたのは貴族向けの高級娼館だ。そこでは体を売れば良いだけではない。教養や品格、立ち振る舞いに至るまで厳しい水準が求められる。美貌だけでは通用しない世界で、彼女たちは日々技術を磨いてきたのだ。その技術が「ノワール」でも役に立つとロザリア様は目をつけた。

そして、この雇用はもう一つの目的も果たしている。

彼女たちが娼館を辞めることにより、メントリア派へと流れていた資金源が断たれることになる。それにより派閥全体の力を削ぐことができたのだ。

カノンは目に涙を浮かべながら言う。

「ロザリア様が王都にある土地を貸してくださったおかげで、両親がまたパン屋をはじめることができました。本当に……感謝してもしきれません」

「いいのよ。少しでも力になれて、よかった」

優しい声で答えるロザリア様。

私は何も言わず、笑顔を張り付かせながら背後で控えていた。真実を知る一人だからだ。

(まさかロザリア様のブリオッシュ愛がそこまで強かったなんて……!)

カリヤベーカリーのブリオッシュがよほど口に合わなかったのだろう。

ロザリア様はカノンの両親に、土地を貸し出し、パン屋を運営できるよう援助した。しかも「ルストレア」の店から徒歩三分の土地に。

パン屋はあっという間に評判になり、今では毎日行列ができている。

さらにこれを機に、絶縁状態だったカノンと両親が、再び家族として歩き出したらしい。全て上手くいってよかったと思いながら、私は微笑む。

「ロザリア様のためなら、いつでも焼きたてのブリオッシュを焼きますので!」

「あら、楽しみだわ」

ロザリア様は心の底から幸せそうに笑った。

カノンたちの再会を終えた私たちは、「ノワール」をあとにした。その足で「ルストレア」の店舗へと向かう。

白を基調とした店舗には、たくさんの令嬢が並んでいる。

「ようやく落ち着いてきましたね」

「そうね」

ルストレアの店舗に来るお客さんの顔を見て、ロザリア様は薄く笑った。

ロザリア様はルジェに復讐するため、まず情報通たちを招いたパーティを開催した。そこでリリスやカノンたちにルジェの悪行を語らせたのだ。さらにバランにも協力を取り付けたので、噂は想像以上に早く燃え広がった。

どれほど上手く作られた嘘よりも、真実ははるかに強い影響力を持つ。

ルストレアの商品を模倣し、サンベルク家に訴えられ、様々な女性を敵に回したルジェ。

彼は貴族籍から除籍され、さらにモンフォール家から追放される処分が下された。

生まれたときから上流階級の生活しか知らず、何不自由なく育ってきた彼が、平民として生きていけるのかは疑問だ。風の噂では、街外れで荷運びの仕事をしながら日銭をなんとか稼いでいるらしい。

ロザリア様は、ゆっくりと店舗を見渡した。店へやってきたお客たちを眺めながら、ぽつりと語る。

「ルジェのやり方は、そもそも成り立たないものだったのよ」

「……」

「彼は奪うことが前提のやり方しかしてこなかった。与え合うことのできない繋がりは、最初はよくても、長くは続かない」

店に来た令嬢たちは、真珠パウダーを頬に乗せながら、目を輝かせている。

今度のパーティでつけていったら?と楽しげな会話が聞こえてきた。

「この気持ちを、忘れないようにしないとね」

「はい」

ロザリア様の言葉に頷き、私も笑顔の客たちを眺めた。

ルジェの事件が落ち着いた後、中流向けのパウダーを無事に販売することができた。

ロレアの件で痛い目にあった貴族たちは「高くてもルストレアから買う」ということを学んだようで、販売初日から飛ぶように売れている。さらにアイシャドウの方も好調で、別色を出して欲しいと令嬢たちから多くの要望をもらっていた。

私は笑みを浮かべる。

(大丈夫です。ロザリア様なら、きっと国中の女性を笑顔にできます)

そっとロザリア様の横顔を眺める。

まぶたにのせられた金色のアイシャドウが、角度を変えるたびにきらきらと輝いた。その煌めきに見惚れていると、ロザリア様は私に視線を戻し、問いかけた。

「そういえば考えた?」

「え?」

「……お詫びをすると言ったでしょう」

それは数週間前のこと。「犯人を炙り出す作戦を、ソレイユに伝えなかった。そのお詫びに、何か一つだけ願いを叶える」とロザリア様は言ってくれたのだ。

私はもちろん辞退した。

確かにロザリア様のことが心配だった。あの一ヶ月は生きた心地がしなかった。だがそれはロザリア様が苦悩の末に考え抜いた、犯人を絞り込むための苦肉の策。決して私への悪意でやったわけではない。

しかし私がいくら辞退しても、ロザリア様は納得がいかないのか、時折こんな風に尋ねてくる。

「本当に……何でもいいのですか?」

「えぇ」

(今なら──言えるかもしれない)

ずっと胸の奥で押し殺してきた、あの願いを。何度も飲み込んで、何度も諦めかけた想いを。

今なら……きっと、言える。

私が、ずっと叶えたいと思っていた──あの願いを!

「じゃあ……」

私は願いを言うため、口を開いた。