作品タイトル不明
第58話
「あいりーんとかーちすが、やかいでまーちゃに会えるっておはなしをしているの、こっそりきいていたの…。だからね、ソルもね、まーちゃに会いたくてね…ひっく、ぅえ」
一生懸命お話をしようと頑張っているが、段々と嗚咽が入り混じる。
「おやくそく、まもりゃなくてごめんらなぁい!」
そして、とうとう決壊した大粒の涙が、真っ赤に染まった頬に次々に流れ出した。
「あらあら」
わんわん、と泣くソレイユ君をそっと抱きしめる。ドレスが濡れて少しだけ冷たさを感じたが、私に会いたくて部屋を抜け出しただなんて聞いて喜ばずにいられるか、という話だ。つまりは無問題。ドレスの一着や二着くらい、ソレイユ君の涙で駄目にしたとしてもかまいやしませんとも! よだれ、鼻水、どんとこい!
「まぁ!」
どこかびっくりしたようなアイリーン様が、私達をまじまじと見つめる。
「ごめんらしゃぁい、うぇ、ひっく」
「いいの、もういいのよ。ソルがマーシャに会いたがっているのをちゃんと知っていたのに、ごめんなさいね。わたくしの配慮が足りなかったわ」
アイリーン様がそっとソレイユ君の頭を撫でる。
「あいりーん…ぇぐ」
「ふふ、ソルは泣き虫さんだったのね。わたくしといる時はいつも笑顔だけだったから、知らなかったわ」
「昨日からずっとこうだぞ。お前に会えたせいなのか、昨晩も随分とぐずってな」
俺は眠れていない、とキースがあくびを噛み殺しながらそう言った。私はここで、おや?と疑問符。
「ソレイユ君は、普段ヘロニア大公家で過ごしているのではないのですか?」
脳内でソレイユ君は何者かと考えた結果、私の中でヘロニア大公家、つまりは王家に由縁のあった貴族家に生まれた子供だと思ったのだ。ソレイユ君にある面影が、王家に連なる人たちばかりに重なるのも先祖返り的なものかと、そう思ったのだ。
「てっきりヘロニア大公家のご養子にソレイユ君を迎えるつもりなのだと、勝手にそう思っていましたわ」
会話の流れからしても、ヘロニアご夫妻がソレイユ君の保護者だと思うじゃない。だから、ヘロニア大公家を継ぐためにソレイユ君を他家から迎え入れるのだとばかり。
「いいえ、それは違いましてよ。本当ならわたくし達が預かれれば一番良かったのだけど、そうもいかない事情がありますの。普段はキースとクライブが、不在時にだけわたくしが見ておりましたの」
「えっと…、つまりは普段は王宮で世話を?」
「俺とクライブには部屋が与えられているからな」
そうキースは頷いた。
「あら、じゃあ王族に迎え入れる気なのかしら?」
私はこちらをニヤニヤ顔で窺っているだけのエルに向かって訊いた。
「マーシャの推理が外れるとは珍しいのぉ」
ほっほ、と笑いながら否定するエルを、私は訝し気に見つめた。
「マーシャ殿はどうしてそう思われたのですか?」
だが私の反応に応えたのは、エルの隣にいるクライブ様。
「なぜって……、失礼ですが現在クワンダ国には後継者と呼べる子供はおりませんでしょう?」
一瞬言葉に詰まったのは、この発言がとてつもなく不敬であるからだ。
エルは女王でありながら、私と同じ独身女性だ。といっても、彼女は女王に就く前に王配殿下を迎えている。だが子を生す前に夫である王配殿下を病で失っているのだ。
決められた相手であったとしても、こんなに辛い思いをするのであれば、政略結婚とはいえ無理だ。婚姻をしないといけないのであれば、どうしてもこの男性でなければ嫌だと、そう意志を貫き通しているのだから凄いと言えば凄い。
私から言わせていただければ、一国の王として我儘も大概だなとは思うものの、それが許されてきたのは、後継を残すという以外の王として国への献身ぶりが認められているからだ。とはいえ、重臣たちが後継を憂うのは当然のことで、再三婚姻を勧められていたようではある。重臣たちが強引で迷惑していると、エルからの手紙で何度愚痴られたことか。
だから、とうとう音を上げて最終手段を使うことにしたのか、とそう思ったのだ。
「王族の色を持つ子供を王宮で預かっていると聞き、普通にそう考えたのですが?」
「へぇ。普通と言うのであれば、王家に迎える子供を信頼しているとはいえ、一介の騎士に預けると思いますか? 王族として相応しい部屋と専属の侍従侍女が与えられる、これが普通じゃないですか。我が君はそんなに狭量ではありませんよ」
やはり不敬と取られてしまったようだ。廃村で出会ったときのような、懐っこい大型犬のような雰囲気とは全く違う、少し怒気が含まれた口調に、
「……えぇ、仰る通りですわね」
私はそう答えるしかなかった。全くその通りだし、ましてやキース達が不在だからといって、ヘロニア大公家に預ける意味はどこだ、という話であるわけで、全くの正論にぐうの音もでませんとも。
だが、だ。侮辱された当の本人であるエルは楽しげな雰囲気を隠しもせず、私とクライブ様のやり取りも観戦状態。アイリーン様すら興味深そうに眺めているだけだ。キースなんて何か遠い目をしているような気がするのは、私の考え過ぎだろうか。
それにしても、クライブ様の主人を守る忠犬ぶりに感心すると共に、腹立たしさも覚える。素直に訂正するだけに収めてくれればいいものを、そんなに喧嘩腰にならなくてもいいじゃない。
ここが公の場であるのなら、クライブ様の態度も当然のことだと理解はできる。失礼極まりない言葉を吐いたのも私だしね。そりゃあ敬愛する主人を事実とはいえ、聞きようによっては侮辱したと捉えられてもおかしくはないからね。
でもクライブ様が知らないだけで、 私的(してき) な時間に、エル呼びを許されている私とエルの間に身分の壁は存在しない。それを私に強制したのは彼女本人なのだから、クライブ様の態度は主人の意向を無視しているということなのだけど、それを理解はしていないだろうな。
これが逆の立場で、エルがマイラ様だったらと考えれば痛い程気持ちは分かるので、腹立たしさはあるものの喧嘩を買う気にはなれない。
「良い家臣に恵まれたようで何よりです」
「で、あろう?」
ふふ、と得意げに笑うエルにとてつもない脱力感を覚え、私は腕の中にいるソレイユ君の癒しを求めた。
泣きつかれたのか、いつの間にか私の膝の上で眠りについたソレイユ君の頬をそっと撫でる。その時、その寝顔にふっと頭に過ったクワンダ王族とは違う面影に、頬を撫でていた指が止まった。
「え…、は……? いや、でも?」
まさか、と思っては否定して。でも頭の中に浮かんだ仮定を否定しきれないものがあるのも事実。
「おい?」
突然思いふけった私を訝しんだキースの呼びかけに、手を挙げて遮った。
「ごめん、少し黙って」
無碍な言い方なのは分かっている。でも、今は黙っていて欲しい。私の意図を汲んでくれたのか、会話の最中だったのに関わらず誰一人として口を開かなくなった。
しんと静まる部屋の中で、静かに寝息を立てるソレイユ君を見つめる。
頭の中に浮かんだあり得ない考えに、しらみつぶしに情報を照らし合わせ、否定と肯定を繰り返す。少しずつ、整理されていく頭の中で、パズルのピースがどんどん嵌っていき、辿り着いた結果に、私は人知れず息を呑んだ。
もし、だ。私の頭に過ったものが正解なのだとしたら、ソレイユ君が王族の色を纏っているのも、マイラ様やエルの面影があるのも納得できる。王宮で預かっておきながら、キースに任せていた理由も、ソレイユ君が隠されていた存在だったとしたら説明が出来るのだ。
一つは現在存在してる王族の隠し子である可能性。その場合、当てはまるのはエルとヘロニア大公閣下。
エルはまず除外できる。この10年女王として精力的に励んできたエルは隠し子を産む暇はない。となると、残るはヘロニア大公閣下しかいない。
仮にソレイユ君がヘロニア大公閣下の隠し子だったとして、婚姻前のことなら女神のような慈悲でアイリーン様は笑って許すかもしれない。けれど、ソレイユ君はどう見ても4、5歳だ。そうなると婚姻中の不貞となる。
世の貴族女性の中には、夫との間に愛情がないが、後継が必要だと貴族的な思考で受け入れる人はいるかもしれない。けれどアイリーン様とヘロニア大公閣下の間には、愛情が間違いなくあった。ソレイユ君に罪はないとはいえ、愛人の産んだ子にあんなに慈愛に満ちた眼差しを向けられるだろうか。
答えは否だ。
確かにアイリーン様は優しい方だ。けれど婚約者の立場でありながら、間違いを犯した元王太子の失脚を望んだ、正義心を持つ苛烈な女性でもあるのだ。そんな彼女が許すとは思えない。それを踏まえると、ヘロニア大公閣下の隠し子という線も消えることになる。
先ほど自分たちが預かれれば一番いいが出来ない事情がある、そうアイリーン様は言っていた。肝はその『事情』だ。
王家の色を持ちながら、王家にもヘロニア大公家にも、預かることも迎え入れることもできない事情。そして、エルやヘロニア大公閣下の隠し子ではないとしたら。
「……エル」
「なんじゃ」
「キースに私を廃村に連れて行くよう命令したのはなぜ?」
廃村で何を見せたかったのか。印象的だったのは『呪い』の話だろうか。でもエルも私と一緒で現実主義だ。『呪い』を知らせる為にわざわざ廃村に私を寄らせた理由を知りたかった。
「ひっひ、そこを最初に聞くのか、お主」
エルの返答に、私は確信をした。間違いなく、そこに今回の件についての核心があるのだ。
「答えて。これ以上、情報を隠されるのはうんざりよ」
問答無用の協力を乞うておきながら、渡された情報は少ない。後で話すと言っておいて、今がその場でしょうが、キースからの情報も小出しで「今は話せない」の一点張り。
今考えれば、情報を制限されていたのはキースだけじゃなかったように思える。エルの隣に座っているクライブ様も、廃村にいた翁も、こちらが疑問に思えば何かしらはぐらかされてきたように思える。いい加減、腹に据えかねるというものだ。
「そう怒るでない。妾も苦肉の策だったのじゃ。入城してからでは、そう簡単に王都を出るわけにはいかんからのぉ」
「エル!」
「分かった分かった」
落ち着け、とエルは言うけれど、私は早く答えが欲しいのだ。
「妾はの、マーシャに見てもらいたかったのじゃ、あの廃村の有様を。あそこは先代の闇じゃからな」
「……先王の闇…?」
私はそのエルの台詞に訝しげに顔を歪めた。