軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

465.怠惰な輝き

ズキリっ、

脳の奥を万力で締め付けられるような鈍痛とともに、ラルフ・ドーソンは目を覚ました。

視界に飛び込んできたのは、もはや見慣れた『居酒屋領主館』の天井だ。木目の節が、心なしか二日酔いの視界の中でぐにゃりと歪んで見える。耳の奥では、昨晩の狂乱――いや、祭りのような喧騒の残響が、いまだに微かな耳鳴りとなってと響いていた。

南方諸島への過酷な学術調査から無事に帰還したのが、昨日のこと。

そして、『ラルフ・ドーソン誕生日おめでとうサプライズ・パーティー』。

帰還祝いと生誕祝いが最悪の化学反応を起こした結果、怒濤のごとく注がれる祝い酒の津波に飲まれ、ラルフの記憶はあやふやな霧の彼方へと消え去っていた。

どうやら、一階の客席にある無垢材のベンチをベッド代わりに、酔い潰れて眠ってしまったらしい。

まあ、いつものこと、だ……。

泥のように重い体をゆっくりと起こす。

その時、パチパチと爆ぜる小気味よい油の音と一緒に、厨房の方から何やら楽しげな鼻歌が聞こえてきた。コンコンと規則正しく響く包丁の音。そして、寝起きかつ二日酔いの胃袋にはいささか刺激が強すぎる、強烈に香ばしい肉の匂いが漂ってくる。

「あー、お兄ちゃん起きた? どうする? 朝ごはん、何か食べる?」

厨房の入り口からひょっこりと顔を覗かせたのはミンネだった。

さらにその背後から、獣人の少女ハルが、ぴこぴことせわしなく猫耳を揺らしながら同じように顔を出す。

どうやら二人は、朝早くから夜の営業に向けた仕込みを始めているようだった。

その眩しいほどの元気さに、二日酔いの澱んだ脳を侵食されながらも、ラルフは無意識のうちに思考放棄気味の口を開いた。

「あー……うーん。……ミンネと同じのでいいや……」

それが、思考コストを極限まで削った末の結論だった。だが――。

「えっ、本当!? 私、今日はオーク・ステーキ定食なんだぁ!」

ミンネが満面の笑みで放った一言は、ラルフの酒精に灼かれた内臓に容赦なくボディブローが炸裂したかのよう。

朝からオーク・ステーキ。

肉厚でジューシーな魔獣の肉塊が胃袋に収まる光景を想像しただけで、ラルフの顔面は瞬時に土気色へと変わる。

「じゃあやっぱりパンとサラダで!!」

「あ、そう? ……ほら、先に顔洗ってきなよー」

ミンネの呆れたような声を背中に受けながら、ラルフは寝癖でボサボサの髪を気にする余裕もなく、幽霊のようにユラユラと足元を覚束なくさせながら歩き出した。

まさか、ミンネが朝から超絶ヘビー級の朝食をストマックに叩き込もうとしているとは夢にも思わなかった。いや、しかし彼女たちは本当によく働く。

孤児院の畑の世話を焼き、孤児たちが市場で営む屋台を手伝い、夜になればこの『居酒屋領主館』で皿洗いや給仕に身を粉にして働くのだ。そりゃあ、エネルギーの消費効率も抜群なわけである。

もちろん、ラルフの「前世の社畜精神が生んだ鉄の心情」に基づき、絶対にブラック労働にならないよう、徹底的なシフト管理と十分な休息、そして破格の給与が保障されているわけだが。

それにしても、あの二人の底なしのバイタリティには恐れ入るばかりだった。

簡単で、しかし、いつもの賑やかな朝食をなんとか胃に流し込み、ラルフは二階の執務室へと向かった。

ここからは、彼のルーティン・ワークである午前中の書類仕事の時間だ。領主としての義務をさっさと終わらせ、午後は怠惰の海に溺れる――その確固たる意志を胸に、執務室の真鍮のドアノブをガチャリと回して開けた。

「ラルフ、待っておったぞ。遅かったではないか」

「あ、すんません。部屋を間違えました」

コンマ一秒の躊躇もなかった。ラルフは恐るべき反射神経を発揮し、無表情のままドアをバタンと閉めようとした。

なぜなら、ラルフの領主としての特等席――ふかふかの高級革張り椅子に、深々と腰掛けて不敵な笑みを浮かべているのが、この国の最高権力者である国王ウラデュウスだったからだ。

「まてコラァ! お前の部屋で合ってるわ! 閉めるな!」

「またなんか厄介事を持って来やがったな?! 絶対にそうだ!! そうに決まってる! 」

ガシッ! と信じられない力でドアの隙間に手がねじ込まれる。

まさかの、ドアを全力で押し閉めようとする公爵と、それを力尽くでこじ開けようとする国王による、国家最高峰の醜い押し問答が始まった。

「違う違う! 誤解だラルフ! 此度の南方諸島学術調査隊の費用をな、お前にも折半して貰いたいという、ちょっとしたお願いに参ったのだ!」

「ナニが『ちょっとした』だ! そんな国家規模の調査費用、王室の予算から出すべきでしょ!? なんで僕が汗水垂らして稼いだ領の運営費から補填せにゃならんのですか? 絶対に嫌ですからねっ?!」

「だから、こうして一国の王たる儂が、直々に頭を下げているではないか?!」

「下げてないだろ、ドアの隙間から顔挟んで睨みつけてるだけだろ! ジャック・ニコルソンかよっ! 偉そう……いや、"エロそう"な顔でっ!」

「お前、そのネタ、次に持ち出したら不敬罪を通り越して極刑だからな! 儂は至って大真面目だ!」

醜い。あまりにも醜すぎるトップ同士の会談であった。

「だいたい、王室の財政規模なら、そんくらいの調査費用、ポンと払えるでしょ!?」

「…………払えんのだ」

「は?」

まさかの、あまりにも情けない掠れた声が聞こえてしまい、ラルフは思わずドアを押し返す力を緩めてしまった。

キィィィィィ、と間の抜けた音を立ててドアが開く。そこにいたのは、どうにも恥ずかしそうな、そして己のプライドを粉々に噛み締めたような、なんとも言えない表情を浮かべるウラデュウス国王の姿だった。

ラルフはジト目を向け、極めて冷ややかなトーンで問いかける。

「……ヴラドおじ? 僕の耳が二日酔いで狂ったんですかね。まさか、一国の王が『お金がない』と?」

「そ、その通りなのだ……。面目ない……」

「なんで?」

「いや、そのな? 予定している税収は入ってくるのだ。入ってくる予定なのだが……その、すぐには、手元に入らんだろ……?」

「あー……つまり、一時的にキャッシュフローがショートした、と?」

「まあ、そういう。ことだな……」

すっごい、言いづらそうだ。普段の威厳はどこへやら、完全に借金のお願いに来た親戚のおじさんである。

「それ、ただの使いすぎじゃね?」

「うぐっ……!?」

ラルフの情け容赦ない指摘は、見事に図星だった。

ラルフは知っている。

この王様が少し前に、趣味と実益を兼ねてと称して個人的に始めた『ラーメン屋台』の経営。さらには、ロートシュタインに新たに創設する学校への多額の投資。極めつけは、先日の南方諸島学術調査のドサクサに紛れて、一本で家が買えるレベルの最高級釣り竿を何本もオーダーしていたことを。

「シャーク・ハンターズと海賊公社への支払いでしょ? 事情を話して、少し待ってもらえばいいじゃないですか」

ラルフとしては極めて現実的かつ合理的な提案をしたつもりだったが、国王はモニョモニョと口を回す。

「いや、そりゃあ、マズイだろ……? 国家事業よ? 儂が直々に企画して立ち上げたのだ。それで『入金が遅れる』などとなったら、なんというか……王室の信用が、な?」

なるほど、見栄である。

だが、不義理を働きたくないという点においては、実直で少しばかり好感が持てる気はする。いや、しかし面倒なことには変わりない。

ラルフは深くため息をついた。

「まあ。……貸すのは、いいですが……」

「本当か!? ああ、持つべきものは頼れるマブダチだな、助かったわい……!」

パァァァと顔を輝かせて安堵するウラデュウス国王。

だが、その数分後。

デスク越しに、これでもかと偉そうにふんぞり返るラルフの姿があった。

その手から、ガチャリ、と重苦しい音を立てて、金貨が詰まった革袋がデスクに置かれる。

そして、ラルフは懐から取り出した"ある物"を、おもむろに鼻梁へと乗せた。

それは、極細フレームで作られたラウンドタイプの眼鏡。

そのレンズの奥から、冷酷な光を宿した瞳で国王を見据え、ラルフは低くドスの利いた声で言い放つ。

「ウチは“トゴ”だ……。つまり、利子は十日で五割。きっちり回収させてもらう」

「暴利すぎるだろ!? なんだその眼鏡と設定は!? 儂ら、マブダチではないのか? そのよしみで利子をまけてくれと言っておるのだ!」

「フッ、返済不可能となった場合、あるいは期日に遅れた場合は……虚海でのカニ漁船に乗ってもらうことになる……」

「……ん? 虚海で、カニ漁……? 命がけの限界フィッシング……。それ、むしろ、ちょっと楽しそうだな……」

「よくねーだろっ?!」

ラルフは光の速さでツッコミを入れた。

『ヤミ金・ラルフくん』ごっこをして少しばかり脅してやろうと思っただけなのに、この重度の釣りキチ国王は、無邪気にもその危険な冗談に乗っかってしまった。おそらく、このウラデュウスという男は、面倒な王位を早く息子の誰かに押し付けて、余生を荒れ狂う海の上で大物を釣り上げながら過ごすという、最悪な妄想に耽ったに違いない。

(あー……なんだか、もうめちゃくちゃめんどくせーな……)

ラルフの脳裏に、当初の目的である「さっさと書類仕事を終わらせて、怠惰な半日を過ごす」という高尚な計画が蘇る。こんなおっさんと不毛なごっこ遊びをしている時間がもったいない。

「ハァ……。もういいっすよ、冗談です。隣の部屋に金貨の予備があるんで、必要な分だけ勝手に持っていってください」

ラルフが極めて投げやりに、手でシッシと追い払うような仕草をすると、国王は現金なもので一気に相好を崩した。

「そうそう! 最初からそうやって素直に貸せば良いのだぁ〜!」

ウラデュウスは両手をワキワキと怪しく動かしながら、意気揚々とステップを踏むような足取りで、執務室から隣の保管庫へと通ずる重厚な扉を開け放った。

――その、直後。

「おいーーーーーっ!?! な、なんだこれはーーーっ?!!」

国王の絶叫が、執務室全体を激しく震わせた。

ウラデュウスの目に飛び込んできたのは、部屋の床を埋め尽くし、天井に届かんばかりにうず高く積み上げられた、まばゆいばかりの、金貨の山、山、山、黄金の山脈……!

窓から差し込む朝の光を反射して、部屋全体が文字通り黄金色の狂気で黄金色に発光していた。

それもそのはず。

ここにあるのは、"美食大国"とも謳われる肥沃なロートシュタイン領の莫大な税収。そしてラルフが経営し、連日大繁盛している居酒屋領主館の純利益。さらには、各国の富豪たちがこぞって買い求める売れっ子陶芸家という、ラルフのもう一つの顔がもたらす芸術の対価。

そして――世間には一切公表していないが、魔導車をはじめとした、現在の世界市場を席巻する魔導具開発・販売の最大手クソデカ企業『ジョン・ポール商会』。すなわち、ラルフが偽名で裏から牛耳っている一大コンツェルンが叩き出す、国家予算をも凌駕しかねない巨万の富の結晶であった。

「これ……完全に王国の全貨幣の何割かが、ここロートシュタインで滞留してるよなっ?! 絶対にそうだよなっ!! 一個人の資産のレベルを超えておるわ!!」

ウラデュウス国王は、趣味に生きる男ではあるが、決してバカではなかった。この尋常ならざる金の偏りがもたらす経済的なマズさを、一国の長として瞬時に理解してしまったのだ。

引きつった顔でこちらを振り返る国王の視線を浴びながら、ラルフはハッと我に返り、苦虫を噛み潰したような顔で眼鏡を指先でクイと押し上げた。

「……チッ」

ヤミ金ラルフくんの、盛大な舌打ちが、静かな執務室に響く。

二日酔いと、早くサボりたいという「めんどくせー精神」のせいで油断した。

国家転覆を疑われかねない最大級の秘密が、あまりにもあっけなく白日の下に晒されてしまった瞬間だった。