軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

436.炎の料理人

「逃げろ、散れッ! 踏み潰されるぞ!」

「追い込め! 足を止めさせるんだ、死に物狂いで食らいつけ!」

「前に出るな! 巨躯ゆえに視界は狭い、死角に潜り込んで背後を取れッ!」

揺蕩る土埃を鈍く透過する陽光が差し込む平原を、冒険者たちが駆ける。

彼らが追い詰めているのは、単なる獣ではない。自然の摂理をその質量だけで凌駕した、天災の具現――巨大魔獣:ベヒーモス。

「グモォォォォォォォォォッ!」

地を揺らす咆哮とともに、天を突く二本の巨牙が振り上げられる。ベヒーモスにとって、足元で騒ぐ人族など、羽音の喧しい羽虫か蟻に等しい。苛立ち混じりの一撃が地面を叩き、文字通り大地が爆ぜた。

剛毛に覆われた茶色の体躯は小山のようであり、濁った眼光は、対峙する者に抗いがたい死の予感を与えていた。

「おい……冗談だろ? 本当にこんなデカブツを、俺たちだけで狩るつもりかよ!」

槍を構えた冒険者の手が、隠しようもなく震える。

「勝算がねぇだろ……! こんなヤツを魔の森から引っ張りだして、どうするってんだ!」

悲鳴に近い絶望の声が上がる。

だが、陣頭指揮を執るベテランの冒険者は、不敵な笑みを崩さなかった。

「案ずるな! 俺たちの仕事は、この『最高級の食材』を逃さず追い立てるとこまでだ。……"最強の助っ人"には、もう連絡がついてる!」

「助っ人だと……? この化け物を屠れる人間なんて、この世に――」

冒険者が言葉を飲み込んだ、その時だった。

遥か上空、一筋の赤い影が飛来した。

「見ろ! あれを!」

「赤いワイバーン……レッドフォード! ということは、ラルフ・ドーソン様か?!」

領民たちが敬愛してやまない大魔導士の援護を期待し、冒険者たちが色めき立つ。

しかし、影が近づくにつれ、その立ち姿が彼らの予想を超えたものであることに気付く。

「……いや、違う! あの御方は……剣聖、ヴォルフガング・ドーソン様だ!!」

そこには、愛剣である大剣を無造作に肩へ担ぎ、レッドフォードの背に微動だにせず仁王立ちする、生ける伝説の姿があった。

眩い太陽を背負い、風を切り裂き滑空するレッドフォード。

その軌道は迷いなく、一直線にベヒーモスの眉間へと向けられる。

「かっけぇ……! もう、あの人が勇者でいいんじゃないか?!」

「子が子なら、親父さんも大概だな! 次元が違いすぎるぜ!」

畏怖と憧憬が入り混じった視線が、空を駆ける英雄に注がれる。

ベヒーモスもまた、自身を脅かす圧倒的な殺気の源を捉え、その眼を怒りに染めた。

「グモォォォォォォォォォ!!」

迎撃の咆哮を上げる魔獣。

だが、ヴォルフガングの動きはそれよりも速い。

「クククっ、図体でかいだけの、ただの" 的(まと) "かよ。なら、スズ嬢ちゃんから教えて貰った、必殺技とやら、試してみるか……」

彼は軽く身を屈め、肺の空気を一気に吐き出すような鋭い呼気とともに、レッドフォードの背から跳躍した。

重力に逆らうような、神速の滞空。

ヴォルフガングは、大剣を逆手に持ち替えると、

振り出された大剣が、太陽の光を反射して白銀の閃光となる。

魔獣の瞳に、瞬時に巨大化する人間の影が映り込んだ。

刹那。

「《ヴォルフガング・ストラッシュ》」

――ザクッ。

まるで熟した果実を裂くような、あまりに軽い音。

ヴォルフガングが放った一撃は、ベヒーモスの鋼のごとき頭蓋を容易く斬り裂き、その生命の灯火を瞬時に断ち切った。

「……ちょっと、ヴラドおじ? 『発注を止めるのを忘れていた』って、えっ? どゆこと!」

それから数刻後。

『居酒屋領主館』の前庭で、ラルフ・ドーソンは深い溜息をつきながら、目の前の人物に鋭く眼光を向ける。

「ふむ。言葉通りの意味だが? 何か、問題でも?」

そう嘯くのは、王国の最高権力者、ウラデュウス国王その人である。

普段の威厳はどこへやら、開き直ったような態度で腕を組む王に、ラルフの額には青筋が浮かんでいた。

事の端端は、国王の突発的な『マイブーム』にあった。

近頃、趣味のラーメン作りに心血を注いでいた国王は、その狂熱の勢いに任せ、「希少な魔獣肉ならいくらでも買い取る!」という特権階級ならではの豪胆かつ無責任な依頼をあちこちに出していたのだ。

そして、情熱が一段落した今、その依頼を取り下げるのを失念していた。

「論理的思考力を放棄していなければ、問題しか見当たりませんねー。……で、どうしろと?」

不敬を通り越し、もはや隠そうともしない憤怒を込めてラルフが問う。

視線の先には、庭に横たわる山のようなベヒーモスの死骸。

「いや、その……何だ。いわゆる『差し入れ』というやつだ。いつものように、客たちに振る舞ってくれればそれで良い」

珍しくバツが悪そうに視線を逸らす国王。

「何人前あると思ってるんですか! また、肉の市場価格が暴落しますよ! これだけの量、もはや国内消費の域を超えてるし! 他国へ輸出するレベルですよ!」

ラルフが指差す巨獣は、もはや一つの小山だ。

一体どれほどの胃袋を満たせばこの肉がなくなるのか、計算するだけでも目眩がする。

「だから! そういう通商の手配も、お前の得意分野だろう? なんとかしろ!」

ついに逆ギレを始める国王。

夕闇が深まり、開店を待ちわびる行列の客たちは、この国の頂点に立つ二人の仲睦まじい(?)口喧嘩を、微笑ましげに見守っていた。

彼らにとって、この光景は日常の一部であり、同時に「今夜は最高級の肉が安く食べられる」という確信に満ちたエンターテインメントでもあった。

庭の片隅では、仕事を終えたヴォルフガングが、愛剣に手入れ用の油を塗り込みながら「ふんっ……」と面白そうに鼻を鳴らしている。

「肉屋のアントニオに相談すべきだって言ったでしょう!」

「行ったさ! だが、これほどの量を捌く人手も場所もないと門前払いだ!」

「ウチにだってありませんよ、そんな余裕!」

「お前のお得意の魔法で、どうにでもなるだろう?!」

「ほぉ? なんでもかんでも、僕の魔法頼みかぁ〜、ゴルァ?!」

「あ~ん、やんのかー? こらぁ〜。こちとら王だぞぉぉぉぉん?」

「ぐぬぬぅ……」

「ぐぬぅぅぅ……」

仲良きことは、美しきかな……だが、

なんか、二人とも、とてつもなく、ガラが悪い……。

もはや眉間が触れ合うほどの距離で、言葉の礫を投げ合う二人。

その埒の明かないやり取りに、ヴォルフガングが面倒くさそうに立ち上がった。

「あー。なんなら、もう……丸焼きにしちまうか? 多少の臭みは残るが、この厚い毛皮ごと火にかければ、中は蒸し焼き状態になるはずだ」

剣聖の口から飛び出したのは、あまりに豪快、かつ野蛮な提案だった。

「……なるほど。確かに、それなら解体の手間は省ける、か……」

ラルフは顎に手を当て、真剣に検討を始める。

「は?! お前たち、正気か? この巨体をどうやって焼くつもりなのだ」

国王が根本的な疑問を呈するが、ラルフは既にやるべきことを決めていた。

「ふん……。どうやるかって? あーもー。見せてやんよ。空前絶後の"バカ料理"を!」

そして、

ラルフは諸々の準備を手際よく済ませると……。

「やってやんぜ! イッツ・ショー・タイム!」

パチンっ! と、ラルフが指を鳴らすと、待機していた『ゲータースキン』が動いた。

尻尾の欠損した灰色のワイバーンは、魔鉱を撚り合わせた特殊なワイヤーを首にかけ、猛然と羽ばたいてベヒーモスの死体を宙へと吊り上げた。

「おおおっ!」

客たちから地鳴りのような歓声が上がる。

茜空に浮かぶ巨獣の影。

そこへ、ラルフが鋭い声を飛ばす。

「いくぞ、オルティ! レッドフォード! 最大火力だ――《 紫炎球(バーン) 》!」

ラルフの掌から、禍々しくも美しい紫の炎が放たれる。

同時に、聖教厨師のオルティ・イルが祈りを捧げた。

「《 聖白火炎(セイクレッド・ノヴァ) 》」

さらに、真紅のワイバーン・レッドフォードが、その巨大な顎を開く。

「グギャアアアアアアアアッ!」

ドラゴン・ブレス――。純粋な破壊の熱線が、二人の魔法と混ざり合う。

見物客たちの顔を、灼熱の風が叩いた。

「うぉっ?! あつっ! あっつ!!」

「焦げる! 服も髪も焦げるって! これ!」

空を見上げれば、そこには世界の終末の光景のごとき業火が渦巻いていた。

ラルフの紫、オルティの白、そしてレッドフォードの深紅。

三色の魔力炎が螺旋を描き、ベヒーモスを包み込む。

剛毛は一瞬にして炭化し、周囲には暴力的なまでの芳醇な肉の香りが立ち込めた。

「豪快なんてレベルじゃねぇだろっ!」

「おい、あの毛皮だって高級素材なのに! もったいない!」

「あの巨体を剥ぎ取る手間を考えろ、これで正解なんだよ!」

人々は驚愕と興奮の声を上げる。

常識を、魔術を、そして料理の定義を塗り替える型破りな一幕。

「……ゲータースキン! もう一踏ん張りだ、耐えろ!」

「ギシャァアアアアアアア!」

吊り上げているワイバーンも、牙を剥き出しにして咆哮する。

彼もまた、この贅沢な香りに食欲を刺激されているのだろう。

数分間続いた、天を焼くバーベキュー。

「よし……そろそろだ。撃ち方やめ!!」

ラルフの号令とともに、炎が収束する。

夜空からゆっくりと降下してきたのは、かつての威容を失い、真っ黒な巨大な塊へと変貌したベヒーモスだった。

もうもうと立ち上る白煙、所々からプスプスと漏れる熱気。

芝生に着地したその『料理』は、もはや隕石か何かのようにも見える。

「……見た目は丸焦げだが、内部は完璧な蒸し焼きになっているはずですぜ」

ラルフはそう宣言し、左目に宿る『名も無き神霊の涙』を起動させた。

魔力を通し、深紅に輝くその瞳で、真っ黒な外皮の向こう側に広がるバラ色の焼き加減を透視する。

まさに、至高の魔術の、究極の無駄遣いであった。

辺りは静まり返っていた。

森へ帰るカラスの鳴き声すら心に届かない静寂の中、人々はその『黒い塊』を凝視している。

そして、誰からともなく生唾を飲み込む音が響いた。

居酒屋領主館。今宵も波乱とともに、開店である。