軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

355.野戦の時

その頃、ロートシュタインの港は、阿鼻叫喚の渦中にあった。

カドス兵たちの間に走る動揺は、もはや制御不能な混乱へと膨れ上がっている。

水平線の彼方、陽光を背に受けて威容を現したのは、先日奪われたはずの巨艦――『ウル・ヨルン号』。鹵獲し、自軍の象徴となるはずだった巨大漁船が、今や死神の鎌となって自分たちを刈り取りに現れたのだ。

「総員、盾を構えろ! 火力兵器が来るぞ、身を隠せッ!」

「大砲を早く据え付けろ、あんな化物、近づかせるな!」

怒号が飛び交う中、恐怖を打ち消すように蛮勇を奮う者たちもいた。

「野郎ども、続け! 船底に風穴を開けて、海の藻屑にしてやるぞ!」

数多の小舟が、波を蹴立てて漕ぎ出した。

しかし、彼らが「悪夢」の正体を知るのに、そう時間はかからなかった。

突如、凪いでいた海面が爆ぜた。

ザバァァァッ! という重々しい水音と共に、海中から異形の人影が躍り出る。

「う、うわぁぁぁぁぁ!」

「助け――ギャアアアアアアア!!」

絶叫は飛沫の中に消える。

小舟の縁を掴んだ強靭な鉤爪が、抵抗する兵たちを無慈悲に暗い深淵へと引きずり込んでいく。

海面は瞬く間に泡立ち、底知れぬ恐怖が兵たちの足をすくった。

「な、なんだ!? 何が潜んでいる! 姿を見せろッ!」

隊長格の男が、狂ったように槍を海面へ突き立てる。だが、その背後――静寂を切り裂く水割る音が、彼の運命を告げた。

飛沫を撒き散らしながら跳躍したのは、濡れた鱗を鈍く光らせ、大口を開いたリザードマンの戦士だった。

「ひ、ひいぃぃぃっ!」

反撃の暇さえ与えられない。隊長はリザードマンの剛腕に組み伏せられ、なす術もなく極寒の海へと沈められた。

もし、この場にラルフが居合わせたなら、前世の記憶を掘り起こし、「勘弁してくれ、どこのモンスター・ホラー・パニック映画だよ!」と痛烈なツッコミを入れずにはいられなかっただろう。

しかし、現実を生きる兵たちにとって、それは笑えない死の抱擁だった。

未知なる強襲、目に見えぬ水中からの牙。その恐怖は、カドス軍の士気を完膚なきまでに叩き潰した。

一方、その惨劇を俯瞰するウル・ヨルン号の甲板は、対照的な活気に満ちていた。

「おっ! きたきた、もう一丁、いってみようか!」

陽気に声を上げたのは、シャークハンターズのフィセだ。彼女は手慣れた手つきで巨大な釣り竿を操り、海面に浮いた――あるいはリザードマンに「納品」された――意識不明の兵を、手際よく「救助」という名目で釣り上げていく。

「こっちも揚がったぞ! ほら、さっさと水を吐かせて縛り上げろ。一人も逃がすんじゃないよ!」

燃えるような赤髪を潮風になびかせ、凛然と指揮を執るのは海賊公社の女船長、メリッサ・ストーン。彼女の瞳には、勝利への確信が宿っていた。

鉄火場の熱気と潮の香りが混じり合う中、ロートシュタイン港の奪還作戦は、皮肉なほど鮮やかに、そして圧倒的な蹂躙をもって進んでいくのだった。

カドス軍に蹂躙された美食の都、ロートシュタイン。その堅牢なる中央門の正面には、今や歴史の教科書も記述を拒むであろう奇妙な軍勢が展開していた。

指揮を執るのは、稀代の魔導技師にして、平穏と酒を愛する男、ラルフ・ドーソン公爵。

彼が率いるのは、正規の騎士団から野良犬同然の冒険者、そして貴族達。果ては一国の王までを混ぜ合わせた、文字通りの「寄せ集め」だ。しかし、彼らの瞳に宿る熱量は等しい。奪われた己の居場所と、胃袋を満たす至福の時間を奪還せんとする、執念にも似た情熱である。

軍勢の中央、鉄の獣たる「魔導IV号戦車」のキューポラのハッチに腰掛けたラルフは、どこか間の抜けた調子で独り言ちた。

「コールの奴、本当に出てくるのかなぁ?」

その傍らで、戦場の緊張感などどこ吹く風と、肉汁溢れるホットドッグを頬張るファウスティン公爵が、咀嚼の合間に応える。

「モグモグ……。定石をなぞるなら市街地戦だろう。だが、あの独立愚連隊もどきは、志は高くとも財布は底が抜けている。つまり、街の損壊を嫌う。それに、"例のスポンサーども"の顔色を窺い、短期決戦の野戦を選ばざるを得んはずだ」

「なるほどねぇ。……おっと、噂をすれば。門が開くぞ」

ラルフの視線の先で、沈黙を守っていた巨大な城門が、悲鳴のような重低音を響かせて開き始めた。

「やはり、初手は『 魔導兵装(カスカラッド) 』のお出ましというわけか」

ファウスティンの言葉を裏付けるように、門の奥から不気味な魔導炉の駆動音が漏れ出す。漆黒の装甲を纏った機械の兵団が、冬の訪れを告げる冷気のように、平原へと溢れ出してきた。

その中心。一歩、また一歩と優雅に、しかし確かな狂気を孕んで歩み出てくる男がいた。この反乱の元凶、コール・ディッキンソンである。

「ラルフ・ドーソン! 貴様はカドスと、俺の栄光に立ちはだかる目障りな石礫に過ぎん! ここが終着地だ。その命、ここで刈り取ってくれるわ!!」

草原を震わせるほどの咆哮。迸る殺意は物理的な重圧となってラルフたちに襲いかかる。

だが、ラルフの反応は至って平熱だった。

彼はマジックバッグから不釣り合いに大きな時計を取り出し、目の前で抱え込んだ。

「よし、いいぞ。時間通りだ……」

その光景を、隣のファウスティンが心底呆れたような目で見やる。

「……ラルフ。せめて懐中時計くらい発明できんのか? 」

「いや、さすがの僕でも、精密機械の小型化には限界がありますって。どっかの、転生錬金少女でもあるまいに……」

苦笑いするラルフに、盲目の白馬サイレントオラクルに跨ったエリカが問いかけた。

「ラルフ! どうすんのよ? 戦車で突撃するの?」

「はぁ、お前も下がってろよ。これからここは戦場になるんだぞ?」

「嫌よ! あたしだって戦ってやるんだから!」

エリカは気合とともに、手にした「麺打ち棒」を構えた。

「ハァ……わかったよ。なら、お前は戦車の中にいろ。ヤバくなったら、何をおいてもまず逃げるんだ。いいな……」

「エリカ、サイレントオラクルは私が見ておく。さぁ、ラルフの言う通りに。彼の側で、助けてやれ」

ヴィヴィアンの穏やかな、しかし核心を突くような唆しに、エリカは「ふん!」と鼻を鳴らして戦車へと飛び乗った。

戦場に緊張の糸が張り詰める中、第三王子ミハエルが駆る魔導車:ネクサスの助手席から、国王が身を乗り出した。

「ラルフよ、ここらで一発、皆に景気のいい言葉でも掛けてやれ。せっかくの祭りだ。湿っぽい面はやめにして、気分を上げていこうじゃないか!」

「……そういうのは、一番偉い人――つまりあなたの仕事でしょうに」

「はっはっは! 儂は 殿(しんがり) 、お前は特攻隊長だ。役回りを間違えるなよ」

王の指差し確認を受け、ラルフは溜息をつきながら戦車の上に立ち上がった。

そして、眼前に広がる、奇妙な軍勢に向けて、肺腑を震わせる声を放つ。

「諸君! 僕は戦争が嫌いだ! ……諸君、僕は、戦争が大っ嫌いだぁぁぁぁぁぁ!!」

予想外の第一声に、兵士たちから笑いと野次が飛ぶ。

「ハッハッハ! ラルフ様らしいぜ!」

「じゃあどうすんだよ? 一緒に、お手々繋いで、踊りましょう。って誘ってみるかぁ?!」

「ハーハッハッハ! そりゃいいぜ!!」

しかし、ラルフは続ける。

「人が傷つき、命が奪われ、物が壊れる。……そして何より、金がかかる! 良いことなんて、何一つとしてありはしない!!」

ラルフの断言に、今度は力強い肯定のどよめきが起きた。

誰もが知っているのだ。平和な食卓がいかに尊いかを。

「だから! これは戦争じゃない! 戦争なんてものは、先の大戦で歴史のゴミ箱に捨ててきた! これは、ただの"祭り"だ! そうだろう、お前ら?!」

「「「「おおおおおっ!!!!」」」」

大地を揺らす咆哮。その時、軍勢の誰もが、腰に提げた、あるいは背に負った「得物」を高く掲げた。

そこにあるのは、鈍い光を放つ鋼の剣ではない。

――木剣。

あるいは、ただの棍棒。中には特大のフライパンや、ミラが持つような巨大なシャモジ。

それは、ラルフの掲げた「不殺の誓い」の具現化であった。

敵であろうと、かつての同胞であろうと、命を奪うことはしない。だが、己の居場所を汚した報いは受けてもらう。ただ、完膚なきまでにボコボコにしてやるだけだ。その意思が、木製の武器の群れとなって平原を埋め尽くす。

「ちょっとラルフ! 奴ら攻めてきたわよ!」

エリカの悲鳴のような報告。

傍らでは、巨大な「シャモジ」を掲げた女騎士ミラ・カーライルが、瞳をキラキラと輝かせていた。

「マスター! 我々、騎士団の出番か?」

「いや、……お前の武器、それ? ツッコミ待ちか?」

ラルフが呆れている間にも、死の機械群は距離を詰めてくる。しかし、ラルフは動かない。再び、抱え込んだ巨大な時計の秒針をじっと凝視する。

「何もするな。……いや、何もする必要がないんだよ」

「はぁ?!」

エリカの驚愕を置き去りにして、秒針が頂点へと重なり、カチリと乾いた音を立てた。

「よし! 時間ぴったりだ!」

刹那。

突進していた魔導兵装たちが、まるで糸の切れた人形のように停止した。

否、停止しただけではない。それらは関節を不自然な角度でギシギシと軋ませ、草原の真ん中で滑稽な、あまりに奇妙な「踊り」を始めたのだ。

「……あ、あれ? 何よ、あいつら。……踊ってる?」

「何をした、ラルフ! これは、お前の魔法か?!」

国王の叫びに、ラルフは冷笑を浮かべて答える。

「魔法なんて高尚なもんじゃないですよ。ただ、奴らは『耐用限界』を迎えて、暴走モードに突入しただけだ」

「耐用限界……? 暴走モード?」

首を傾げるエリカ。なんだか、

――どこかでそんな言葉を、聞いた気がする。

そんなエリカの違和感と困惑を他所に、ラルフは全軍に命を下す。

「中にいるカドス兵たちが可哀想だからな。頭部をぶっ叩いて活動停止させてやれ。……これは"救護活動"だ。行くぞぉぉぉぉ、野郎ども!!」

「ハッハッハ! こりゃあ楽な仕事だぜ!」

木剣を掲げた冒険者たちが、踊る鉄屑へと躍りかかる。

ラルフの戦車もまた、猛烈な黒煙を上げて加速した。

「よし、僕たちも行くぞ! エリカ、しっかり掴まってろ!」

「えっ! うわあああ! ちょ、ちょっとぉ!」

加速の衝撃に振り落とされそうになりながら、エリカは必死にキューポラにしがみつく。

隣では、シンシア・シンプソンが操る戦車が、競り合うように並走していた。

「エリカ! すれ違いざまに一発、強烈なのを叩き込め!」

「ふん、バッチコイよ!」

戦車が魔導兵装の横を駆け抜ける瞬間、エリカの「麺打ち棒」が、一体の頭部にクリーンヒットした。

ガオオオォン!!

エリカは振り返る。凄まじい打突音と共に沈黙する巨体。その瞬間、彼女の脳裏に強烈な既視感が閃いた。

「ハッ!! ……ねぇ、ラルフ。あの魔導兵装、もしかして……まさかっ!」

「ふっ、さすが。気づいてしまったか……。そうだ、その通り! アレの駆動原理と制御系統は、僕が設計した『全自動タマゴ割り機』の魔導術式転用モデルだ!」

「やっぱり!!」

かつて居酒屋領主館の厨房で、幾度となく暴走し、ラルフが「叩けば直る!」とシレッと言い放っていた、あのポンコツ魔導具。

「あまりに不自然な大量発注だったからな。それに、お前が運んでくれた解析図で確信した。いや~、まさか、奴らが買ってたなんてな! 売れてる割には、クレームが少ないのが不思議だったんだよ。あんだけ不具合があるのにな!」

「ちょっとぉ!! 不具合って認めたわね! 不具合ってぇぇぇ?!」

「ハッハッハー! 大規模リコールにならなくて何よりだ!」

門の前で、全幅の信頼を置いていた無敵の鋼鉄の兵団が無力化される様を見て、コール・ディッキンソンは泡を吹かんばかりに絶叫した。

「な、なんだ……これは何なんだぁぁぁ! ラルフ・ドーソン、貴様ぁ、何をしたぁぁぁ?!」

その目の前を、ラルフの戦車が砂埃を巻き上げて嘲笑うように通り過ぎる。

「へっへっへー! バーカバーカ! あんな欠陥品を大量購入してくれてありがとうな! 結構稼がせて貰ったぜー!」

すると、コールは、顔を真っ赤にして、

「お、おのれぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! ラルフ・ドーソン! 金返せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

コールの悲痛な叫びを背に、エリカは心底同情したような目で彼を振り返り、ラルフに問いかけた。

「ねぇ、さすがにあの人、可哀想よ。何とかしてあげなさいよ」

「心配ない! ちゃんと保証書には書いてあるんだ」

ラルフが差し出した書状の隅、米粒のような文字で、こう記されていた。

【保証の適用除外事項】

・ 不当な修理や改造、または軍事目的への転用および分解の痕跡がある場合は、一切の保証をいたしかねます。

「……ダメだこりゃ」

エリカは、深い溜息と共に麺打ち棒を下ろした。

この天才魔導士、いや稀代の詐欺師とでも言うべきか、ラルフ・ドーソンという男を敵に回した時点で、運命の女神は中指を立てていたのだ。

「チャーハン・チーム! そろそろ歩兵が出てくるぞ。散らせ散らせ! 主砲準備!」

ラルフは、魔導同調を施した魔石に指示を飛ばすと。

「ハイっ!」

並走する戦車の上、第八王子――またの名をチャーハン王子のフレデリックが、アダマンタイト製の中華鍋を振り回し、一体の 魔導兵装(カスカラッド) をガコォォォォォン! と殴り飛ばした。

(確か、鍋で戦う、異世界転生モノの作品。あったよな……?)

と、前世の知識がチラつくが、すぐに気持ちを切り替え。

「よし! ポンコツ・チーム! 暴れろ暴れろ! 歩兵の足を止めろ!!」

「りょうかーい!」

「そのチーム名、まことに遺憾っす!!」

ジュリ、マジィ、パメラの「ポンコツ三人娘」が駆る四二突撃戦車が、戦場をめちゃくちゃにかき回していく。

後に「史上最も騒々しく、最も精神的被害総額が大きい祭り」として語り継がれる、ロートシュタイン奪還作戦。いや、一方的な蹂躙劇は、今まさに最高潮を迎えていた。