作品タイトル不明
331.カスタード
ある日のこと。
領主館の静寂を切り裂くように、執務室の重厚な扉が唐突に撥ね退けられた。
「お兄ちゃん! 大変! また、全自動タマゴ割り機が……!」
ミンネの逼迫した声が響く。
デスクで書類仕事の真っ最中だった領主、ラルフ・ドーソンは、その言葉だけで事態のすべてを察した。
彼は無表情のまま、静かに天井を見上げる。そこには、技術者としての矜持と、製作者としての諦観が混ざり合っていた。
ラルフが厨房へと急行すると、そこはすでに戦場と化していた。
「もう! 止まりなさいよ!! このポンコツがぁ!!」
エリカが怒声を上げ、荒れ狂う魔導機械と取っ組み合いの格闘を演じている。
それを見たラルフは、即座に指示を飛ばした。
「エリカ! 供給ユニットのローダーが空になったら止まるはずだ。フィードカバーを開けて、中の卵を取り出せ!」
それは魔道具製作のプロフェッショナルとしての知見――というよりは、そもそもこの全自動タマゴ割り機の基礎開発を行った「発明者」としての論理的アドバイスだった。しかし、現場の状況は理論を越えていた。
「やってみたわよ! けど、暴走モード突入してる時は、ロックがかかって開かなくなるのよ!!」
エリカが悲痛な説明を返す。
制御不能、停止不能。かくなる上は、物理的解決しかない。
「しゃーねー……ぶっ叩け!!」
ラルフが断腸の思い(?)で命じると、エリカは「ふんっ!」と鼻を鳴らした。
彼女が手にしたのは、ドワーフ特製の、やたらと重厚なフライパンだ。
「結局それなの? 仕方ないわねぇ……。ゴクアツ・フライパン! 光になれぇぇぇぇぇ!!!」
振り下ろされた刹那。
「ガオ~ん!」と、厨房には不釣り合いな鐘のような音が響き渡り、全自動タマゴ割り機はついに沈黙した。
一件落着。しかし、ラルフにはどうしても気になることがあった。
「ところで……その台詞、どこで知った?」
今しがたエリカが叫んだ、前世の記憶を刺激する聞き捨てならぬ言葉。
「えっ? スズが言ってたけど?」
額の汗を拭いながら、エリカは事もなげに答えた。
「……まあ、そうだよなぁ。そう思ったよ」
ラルフは納得すると同時に、深い焦燥に駆られた。それ以外にあり得ないと理解はしていたが、あの"オタク転生者少女"の影響力は侮れない。
「もう! これどうすんのよ!?」
エリカが憤慨しながら指し示す先には、大量に割られた卵――すなわち、行き場を失った大量の卵液が生み出されていた。
すると、その様子を黙って見ていたメイドのアンナが、極めて無表情のまま、極めてマズイ事実を口にした。
「旦那様……。この魔道具、諸外国にもかなり売れたと仰っていましたよね? その……大丈夫なのですか?」
ラルフは、決して気づかれたくなかった事実を突かれ、顔を青白くさせた。その表情は、まさにムンクの『叫び』を再現するかのような驚愕と焦燥に満ち、冷や汗が噴き出す。
実は、この不具合についての問い合わせは、すでに彼の元に多く、それこそ山のように届いていたのだ。
(魔導術式を、ほんのちょっぴり、間違えたかも……)
製作した後に気づいたが、時すでに遅し。
魔道具はジョン・ボール商会を通じて、共和国、帝国、果ては東大陸にまで大量に輸出された後だった。
――“リコール隠し”。
前世でも度々社会問題化したその大罪を、まさか異世界で自分が行ってしまうとは。
その不安に押しつぶされそうになる日々。
罪悪感のあまり夜も眠れず、毎日、昼寝を合わせても八時間くらいしか眠れていないのだ……。
そのマズさは十分に理解している。しているのだが……。
「まあ、大丈夫だろ!」
ラルフはあっけらかんと開き直った。
幸いにして、というか……この世界には経済産業省も消費者庁も存在しない。国王にバレて「メンドクセー説教」を受けることになるの"だけ"を避ければいいのだ。
「って、またどうすんのよ? この大量の卵液は?」
エリカが腕を組み、憤りを露わにする。
ラルフは深い思慮に沈んだ。
卵焼き、チャーハン、オムレツ、茶碗蒸し……。
卵なら、割と何にでも使える。
しかし、最近の「居酒屋領主館」のメニューとしては目新しさがない。常連たちは、異常なほど高いグルメリテラシーを身につけてしまっている。ありきたりな料理では、彼らは満足しないだろう。
テキトーに処理すれば済む話なのだが、
(なんだか、それはそれで、面白くない!)
ラルフは、自分自身の難儀な性格を自覚していた。そして、一つの妙案が浮かぶ。
「ヘンリエッタは? 今はロートシュタインにいるのか?」
「ええ……。確か年末から、マリアンヌ・ホテルに“カンヅメ”になっているはずですよ。『聖教国甘味革命』という本を執筆中だとかで……」
アンナの情報精度に、ラルフは満足げに頷いた。
「なるほど、それは朗報だ。すぐにヘンリエッタを呼び出せ」
アンナは怪訝そうな顔で、ラルフを睨んだ。
「旦那様、今度は、何を企んでいるのですか?」
また新しい美味を発明し、大騒動を引き起こすのではないか。そんな危惧がアンナの目を光らせる。
しかし、ラルフは不敵に言い放った。
「大したことではない。今回は"新しい甘味"の食材だ。僕としてはあまり得意分野ではないんだが……そう言えば、まだ発表していなかったと思ってね!」
悪ガキのような笑みを浮かべるラルフに、エリカは後ずさる。
「な、何よ? なんなのよ、それは……」
またこの領主によって、ロートシュタインに美食革命が吹き荒れる予感がした。
「それはな……この卵を使った、新たなクリーム。――"カスタードクリーム"を作る!!!」
その場にいたアンナも、エリカも、ミンネもハルも。
ラルフの大袈裟な大発表に対し、驚愕というよりは、もはや無心の呆れを隠せなかった。
(まだ、なんか、新しいモノを、隠してたんだ……)
呆れと期待が入り混じる中、領主館の厨房に、新たな甘い香りが漂い始めようとしていた。