軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

届かない魔法

ガチャ

ドアが開きジゼルが部屋に戻ってきた。

ジゼルが部屋に入ると同時にその柔らかいオーラがロランの尖ったオーラを包み込む。怒りによって昂った心がスッと落ち着く。ロランは慈しむような眼差しをジゼルに向けた。

血だらけだったドレスを着替えても、赤く縁取られた目を見れば、どれほど辛い経験をしたのか伝わってくる。それに、額のガーゼの白さが痛々しさを一層浮かび上がらせ、ロランの胸は押し潰されたように痛んだ。

今でもジゼルの言葉が耳にこだましている。たった一人で公爵家に行き、たった一人で令嬢達と対峙しベルトランの名誉を守ろうとしたジゼル。

(愛しい。……だがその気持ちは……言葉にできない)

ロランは伝えられない気持ちを呑み込み沈黙した。一方でジゼルはロランを見て慌てる。

「ロラン様?! 申し訳ありません。いらっしゃらないかと……」

あたふたするジゼルに、ロランは重い口を開く。伝えたい言葉は胸に押し込み目の前のソファーを指差し言った。

「いいから座れ」

ジゼルは緊張した様子でロランの目の前に座った。ロランはその姿を見て静かに息を吐いた。

(いつも思う。そんなに緊張しなくても……やはり、私が怖いのだろうか……空回りばかりしている)

ロランはジゼルを見つめながら襟元のボタンを外した。ジゼルを見ていると心が穏やかになる。だが、その痛々しい額のガーゼを見ると怒りが湧き上がり早く仕返しがしたいと気持ちが荒ぶる。一緒にいてあげたいが、今すぐにでも仕返しがしたい。そんなアンバランスな心境が今のロランの行動に現れている。

「ジゼル様!!」

突然部屋のドアが開き、エミリーとメイド達が飛び込んで来た。が、ロランと目が合うと慌てて出て行った。ロランはその様子を見て口角を上げる。そしてふっと肩の力も抜けた。

(そんなに慌てる必要があるのか?お前たちには仕返しはしないのに。だが、それほどまでにジゼルを心配してくれたのだな)

ロランは首を傾けジゼルに聞いた。

「屋敷の者と仲良くなったのか?」

ロランは立ち上がりジゼルの血で赤く染まった洋服を服を脱ぎ始める。この血の色は忘れない。ジゼルが感じた絶望や恐怖、悲しみや悔しさ、その感情の全てを。そんなことを考えながらロランは上着を脱いだ。

「……皆さんよくして下さり感謝しております」

ジゼルは気まずそうに視線を逸らし、ロランの問いに答える。ロランはジゼルの視線に恥じらいの色を見た。着替えるロランを意識し視線を逸らしたのだ。そんなジゼルにロランの表情が緩む。

(皆が震えるこの状況の私を穏やかな気持ちに出来るのは、愛するジゼルだけだ)

――そう言葉にできれば。ロランはまた言葉を呑み込む。

(この先、誓約が終わる五ヶ月まで何度言葉を呑み込めばいいのだろう?)

ロランは沈む気持ちを悟られないよう少し俯き、メイドが用意したシャツに袖を通す。襟の内側に入った長い髪を両手で払いながら息を吐き気分を整えた。

「私の知らぬ間に、色々なことが起きているんだな」

ロランはジュベール公爵家の紋章の入ったカフスボタンを留めながらジゼルに言った。いつもならメイドが着替えさせてくれるが、今は誰一人姿を現さない。ヤニックが二人きりにするよう気を回したのだろう。

「も、申し訳ありません。……気をつけ、ます」

ジゼルは言葉に詰まりながらロランに言った。

「? いや、良い。好きにやってくれ」

なぜジゼルが言葉に詰まりながら返事をしたのか全くわからない。この屋敷でジゼルが楽しく生活できるのなら何も心配はない。むしろ嬉しい変化なのだ。

ロランは上着を羽織り狐につままれたような表情でジゼルを見た。ジゼルもロランの言葉に驚いたような表情を浮かべ、その眼差しはロランの真意を探るように見つめている。口数の少ないジゼルはその分表情がコロコロと変わる。本人は未だにそんな自分に気がついていない。

ロランの心は愛おしさで揺れる。洋服のボタンを止めながら口角を上げた。

(この屋敷はジゼルの安心できる場所になったようだ。皆にジゼルを任せ出かけよう。だが、その前に)

ロランは立ち上がった。ジゼルもロランを見送るために立ちあがろうとする。

「立たなくて良い」

ロランはそう言いながらソファーに座るジゼルの背後に回った。ジゼルは状況を把握できずキョロキョロと頭を左右に動かしロランを見る。

「そのまま動くな」

ロランはジゼルの背中を見つめる。

(この背中を蹴り倒したアルマン・ニコラ。貴様の汚れた足でジゼルを蹴り倒したその罪は死んでも償えない)

ロランは瞼を閉じゆっくりと息を吸い込んだ。ジゼルは言葉どおりピタッと動きを止める。ロランはジゼルの背中にそっと掌を押し当て癒しの魔法を使った。

(魔法が効かないと分かっている。わかっているがこうして馬鹿みたいに効かない魔法を使うしか、こんな伝わらない表現をするしか、今の私には出来ないのだ。情けない、だがこれも自らが犯した過ち)

手を当てた時ジゼルの体がビクッと動いた。痛みがあるのだろう。蹴られた物理的な痛みと、精神的な痛み。

「……ロ、ロラン様、背中にホコリでもついていましたか?」

ジゼルは声を震わせロランに言う。その言葉を聞きロランは唇を結んだ。

(そう、ジゼルには全くこの想いが届かない。想いを込め魔法を使っても届くことのないこの想い。それでもきっとこの先も、私はジゼルに魔法を使い続けるだろう。この誓約が消えるまで)

「……ああ、大きなゴミが……」

そう言いながら炎の魔法を使った。部屋が一瞬赤く染まる。

(ジゼル、この赤い色はジゼルの血の色。私はこの色を一生涯忘れ無い)

「す、すみません。ありがとうございます」

ジゼルは訳のわからぬ顔をし礼を言う。ロランはジゼルの後ろ姿を見つめ願った。

ジゼルには穏やかに過ごしてもらいたい。ただ、ただ、穏やかに過ごして欲しいと願っている。

『この先起こる全ての事をジゼルの目に触れないよう、耳に入れないようにしてくれ。これは命令だ』

ロランは先ほどヤニックに命令を下した。

命令とは上位のものが下位のものに下す約束だ。権限に基づいた約束である限り必ず守らなければならない。

それがロランの意志。

ヤニックはすぐに使用人達を集めロランの命令を必ず守るよう伝えた。

ロランは今から圧倒的な力を以てジゼルを傷つけた人間を捩じ伏せに行く。その昔、ベルトランが王家と対立した時のような状況になる可能性も排除できない。いや、それよりも深刻になるかもしれない。

この先起きること、起こるかもしれないその全てをジゼルが知ったらきっと心を痛める。

だから何も知らせたくない、知らず穏やかに日々を過ごしてほしい。

この結婚が終わる時、私たちを取り巻く全てが片付くから。