作品タイトル不明
30.思い出の場所
コーヒーにミルクと砂糖を入れ、クルクルとかき混ぜる。色が混ざっていく様を眺めながらホゥと息を吐いた。
―――公園でホットドッグを食べた後は、お待ちかねのステラクッキーの店に向かった。
私がたまに買いに行く販売店とは違い、そこでクッキーを焼いているのだろう。店内がクッキーの匂いに包まれ、まさに至福のひと時だった。
焼きたてのクッキーを購入して堪能した後は、今度は大道芸を見に広場へ行った。これまた初めての経験に子供の様に目を輝かせてしまった気がする。
それから少し疲れたので、どこかで休憩をしようとこのカフェに入ったのだった。
「このカフェが気に入った?」
「…はい。ずっと来たかった所でした」
それこそ10年前から望んでいて、そして勇気が出なくて避けていた場所だ。
窓の外に目を向ける。陽を遮る様に取り付けられた緑のオーニング。取り替えたのだろうか、あの日私が雨宿りした物とは色が変わっていた。
――あの日、リリィと来る筈だった場所に、こうしてウィル様と来ることになるなんて不思議な気持ちだ。
ミルクと砂糖が混ざり切ったコーヒーを飲む。豆の良い香りがした。
「美味しい…」
リリィとの縁は拗れて切れてしまったけれど、この店を怖がる理由なんてどこにもなかったのか…。
その事が心の中にストンと入って行った気がした。
「……少し話をさせてくれるかい?君に言わないといけない事があるんだ」
「え?……はい。何でしょうか」
遅れて運ばれてきたショートケーキから、ウィル様へと視線を移す。畏まって言われるとなんだか緊張してしまう。
彼は「食べながら聞いてくれたらいいよ」と言った後に、少し声量を抑えて本題を切り出した。
「ステラ、君はローリング侯爵を知っているかい?」
「…はい」
何故ローリング様?不思議に思いながらも頷く。
――ローリング様といえば父のご友人……いや、そんな親しい間柄でもないかもしれない。なにせこっちは男爵家であちらは侯爵家、もっている力が違い過ぎる。
御年は確か父の2つ上で、学園に通っている時に知り合ったのだと聞いたことがあるので、父はせいぜい取り巻きE…いやFくらいだろうか。
確かローリング様は数年前に奥様を亡くされていて……あぁ、そう言えば最近、父がローリング様に会いに行っていたな。
頭の中で簡単に情報を整理する。しかしこれから何の話がされるのかは皆目見当がつかなかった。
「ローリング様が、何か…?」
「うん、実はね…このままだと君は侯爵の後妻にされるよ」
「………はいっ!?」
軽く告げられた内容に、思わず机に手を付いてしまいカップがガチャンと動く。中身が零れていない事にホッとしながらも、頭の情報処理が追い付かない。
「あ、あの…どういう意味でしょうか…!?」
「やっぱり知らなかったんだね。もしかして合意の上かなとも思ったけど……」
そう言って、困った様な笑みを浮かべたまま、彼は小声のまま言葉を続けた。
「どうやら侯爵は、大人しく従順そうな君を手元に置きたいそうだよ。君欲しさにカイン男爵に圧力をかけて、卒業と同時に侯爵に嫁がせる約束をしているみたいだ」
「………えーと……大人しく、従順…?」
「その評価のとおりなら、デートの約束ももっと簡単に出来た筈なんだけどなぁ…」
いや違う。気にすべき点はそこではなかった。
――私がローリング様の後妻。突拍子もない話だが、ウィル様からの情報ならば真実なのだろう。それに、あの時の父の不審な言動も当てはまる。
…そうか、この約束があったから父は私に学園で地味に過ごせと言っていたのか。
「………そう、でしたか…。教えて頂いてありがとうございます…」
相手が実父よりも年上だなんて、ひと昔前ならともかく最近ではほとんど聞かない年齢差だ。
しかし曲がりなりにも貴族として生まれたので、愛の伴わない政略結婚も覚悟はしているつもりだ。せめて一言くらい言えよとは思うけれど、父が決めた事なら従うしかない。
「……それで、君はどうする?」
「…どう、とは…?」
「自分よりも遥かに年上の人物の後妻という立場を受け入れるのかい?」
「……受け入れるもなにも、私に選択肢はありませんので」
こちらを試すような言い方に、少しムっとして語尾を強めてしまう。きっと眉間にも皺がよっているだろう。しかしウィル様は気にした様子もなく、ゆったりとした動作でその長い足を組み替えた。
「反抗してみればいい。大人の思惑に乗る必要は無いよ」
「……でも私が反発したところで、父が約束をしているのでしたら意味がありません」
「君の父君は、侯爵の言葉と第2王子の言葉ならどっちが好きかな?」
あっ、権力者に板挟みになって父の顔が土色になりそうな予感…!
「侯爵は世間体を考えて、若く愛らしい君に表立って求婚は出来ない。あくまで『行き遅れそうな知り合いの娘を仕方なく後妻に迎え入れた』という体裁で進めたい様だね」
「…仕方なくって…そんな勝手な…」
「でも好都合だ。大っぴらに手出しできないって事だからね。
侯爵好みの『大人しく従順』に見えない様に派手に振舞っても良いし、恋人を作って熱愛を周囲に見せつけても良い。侯爵が君を娶る言い分を潰す方法はいろいろあるさ」
そう言って、彼はニッコリと笑った。
「僕が力を貸そう」
―――地味で平穏な日々が終わるような気がした。