作品タイトル不明
122 相談
ジェフリーが城から帰宅するのを待って、「お話があります」と切り出した。
話の内容を察したらしく、ジェフリーは夫婦の部屋に入ってからドアに鍵をかけた。
私は知っている限りのことを報告し終わり、ジェフの顔を見る。
「なるほど。君の元上司は、今も君を諦めきれないんだね」
「そういう人とは思っていなかったから驚いたわ。このまま第三騎士団に監視されていてもいいのだけど、周囲の人に迷惑をかけるかもしれない。だからどこかの田舎に引きこもって静かに暮らそうかと思う」
あなたも来てくれる? の言葉は口に出せなかった。だが、ジェフは一切の迷いを見せずに返事をする。
「俺は引継ぎが終わってから王都を出る。それでいいか?」
「陛下はすんなりとあなたを諦めるかしら。副大臣を辞めさせてくれないと思うけど、何か考えが?」
ジェフは短い時間考えていたが、「おそらく辞めさせてもらえない。でも、辞める手段はある」という。
「俺は軍の重要な情報を全て知っている。だから正規の方法では今後も当分は国外には出られないだろう。だが、国内の田舎に引っ越して暮らすのはいい案だよ」
そこでジェフはクシャッと髪をかき上げた。
「そもそも俺は、万を超す軍人を動かすのには向いていない。せいぜいが第二騎士団規模までだ。俺よりも大規模な戦術に長けている人間は何人もいる。俺が抜擢されたのは、陛下の後押しがあったからだ。今までは平和だったから俺でも事足りたが……上官の命令に命を懸ける兵士にしてみたら、戦術の専門家が軍務大臣になったほうが幸せだ」
戦術の知識に優れ、組織を動かすのに向いている人間はいるだろうが、陛下は私利私欲に惑わされず、ご機嫌取りに走らず、国のためを思って動ける側近としてジェフを推したのだと思う。陛下のお悩みが透けて見える。
「辞める方法って、なに?」
「それは決めてから教えるよ」
最後に、一番聞きにくいことを聞いた。
「お義兄様とお義母様はどうするつもり?」
「君を信じない兄上とは距離を置く。その方が君だけじゃなく、俺と兄上のためだ。母に関しては……申し訳ないが。母は俺が一番幸せな道を選ぶことに賛成してくれる。そういう人だよ。大丈夫、同じ国の中にいるんだ、手紙のやり取りぐらいはできる」
ジェフの口調と表情に迷いは見られない。
「私、ノンナのことは決めかねているの。何があの子にとっての最善か……」
「それは俺もずっと考えていた。ノンナが十六歳になるまでは俺たちと一緒に行動させたいと思っている。だが本人がここを離れるのを嫌がったら、ヨラナ様に後見人になっていただくか、アンダーソン家の預かりにしてもらってもいい」
「ノンナはもう小さな子供じゃないんだもの、本人の気持ちを確認すべきね」
私もジェフもここまで散々考えてきたことばかりだから、早いペースで話が決まっていく。
カミラが伝えてくれた「ハグルが糸を引いてアシュベリーとランダルに戦争を起こさせようとしている話」は、多方面で進められていたらしく、ジェフが新たな情報を明かしてくれた。
「アシュベリーは商業国だ。そこをじわじわ痛めつけるつもりなんだろうな。我が国からランダル王国に輸出する品の関税が、どの分野の商品も相当上がっているんだ。業者は大打撃だよ」
ランコムはハグルに拠点を置きながら、ランダル王国にもがっちり食い込んでいるのだろう。二つの国が手を組んでアシュベリーを狙っているとしたら、大変なことになる。そんな時に軍務副大臣が抜けていいのか。本当にジェフより優れた戦略家がいるのか。
ジェフが「ふうう」と息を吐いた。
「こうならないために王太子妃を順番に周辺国から選んでいるんだが、イーガル王国出身のデルフィーヌ様の次はスバルツ王国、その次がハグル、そのまた次がランダルだ。順番を待っているよりも、戦争を起こして手早くごっそり取り上げる方がいい、と考えたのかもしれない」
「ごめんなさい、ジェフ」
「なにが?」
「なにもかも、私のせいよ。きっとこういう日が来ると思ってた。でもまさか、私じゃなくてジェフにバチが降ってくるとは思ってなかった」
「どうした。君がそんな弱音を吐くなんて珍しいな」
ジェフが穏やかに笑っている。なぜそんなふうに笑えるのだろう。私は彼にとって、災いの種みたいな存在なのに。
「そうね。弱音を吐いたところで意味がなかったわね。ごめんなさい」
「違うよ。俺は君が全く弱音を吐かないことを心配していたんだ。自分を責めないでくれ。今回のことは兄が勝手に勘ぐっているだけで、君には何も責任がない」
「責任はあるわ」
こんな時でも私は涙を流すことはない。泣いてどうにもならないことは泣かない。ずっとそうやって生きてきた。だけど今、すごく胸が痛い。
「カディスの港で、君は泣いていた。後にも先にも君があんなに泣いたのはあの時だけだ。もっと俺に甘えてくれたらいいのにって思っていたよ」
「甘えていました。結婚する前からずっとジェフには甘えていたわ」
「もっと甘えなさい。俺が軍務副大臣を辞めることを自分のせいだと思っているんだろうけど、そうじゃない。軍務副大臣、数年後の軍務大臣は、他の人間の方がいいと思っているのは本当だ」
そう言ってもらっても、「それならよかった」とも思えない。
ドアをノックする音がして、私がドアを開けるとノンナだった。
「お父さんお母さん、ちょっといいかな」
「どうぞ。ちょうどノンナを呼ぼうかと思っていたのよ。どうかしたの?」
ノンナがもじもじしているから、てっきりクラーク様のことかと思ったのだが。
「イルが来てる」
「あら、いつの間に。バーサからは何も聞いてないけど」
「イルは一階の窓から入ってきたらしいから、バーサは知らないと思う。イルは『窓の鍵をもっとしっかりしたものに取り換えるべき』って言ってる」
ジェフがかなり険しい顔になった。廊下に人の気配がするから、廊下に向かって声をかけた。
「イルはそこにいるんでしょう? 入ってらっしゃい」
「おじゃまします」
悪びれた顔もしていないイルが部屋に入ってきた。
「おい、イル、窓から入るのはやめなさい。おそらく正門も使っていないんだろう?」
「はい。塀を乗り越えて入ってきました。この家、警備が緩すぎますよ。ビクトリアさんは今、いろんな人に狙われているのに」
「あなたほどの腕前の侵入者がそうそういるとも思えないけれど、護衛の二人に気をつけるよう伝えておくわね」
「窓の鍵もですよ。全部鍵を取り換えるべきです」
「わかったわ。それで、本題は何かしら?」
そう言うとイルが懐からカサリと音を立てて封筒を取り出した。
「これを道で受け取りました。『アッシャー子爵家には見張りがついているので、君から気づかれないように渡してほしい』って。全く知らない男でした。茶色の髪に茶色の瞳。どこにでもいそうな感じだけど、あれは間違いなくこちら側の人間です。歩いて去っていく後ろ姿に、全く隙がなかった」
思い浮かんだのはランコムの顔だ。
見張りを気にするなら、お金を渡してその辺の人を雇えばいい。イルに頼んだのは、この少年が私の関係者なことは知っているぞ、と私に伝えているのだ。
手紙には宛先も差出人も書いていない。でも、見覚えのある文字。印刷したかのように几帳面な、ランコムの筆跡だ。
『三日後の夜十時、以下の場所で待つ。重要な相談がある』
その文章の下には王都の外れの場所が書いてある。 作業場などが並ぶ区域だ。
「お母さん、私も読んでいい?」
「……ええ、どうぞ」
ノンナが手紙を覗き込み、「ふうん」とつぶいやいた。
「しばらく前から、私に尾行がついてるんだよね。面倒だからいつも尾行を振り切ってたけど、原因はこの人かなあ?」
「わからない。第三騎士団の可能性もあるわ。私は第三騎士団に見張りを付けられているの。見られて困ることは何もないから、そのままにしてあるけど」
「俺にはついていません。だからあの人、俺に託したのかな」
「イルは今も怪しげな集団に出入りしているの?」
私がそう尋ねると「いや、だいたいの組織の動かし方は学んだので、もうしばらくしたら一度シェンに戻るつもりです。実家とは別系統の組織を作るのもいいし、兄が俺を使いたいと言うなら、働いてやってもいい。実家では組織の運営に一切かかわらせてもらえなかったんです」という返事。
「それはご家族の配慮でしょう?」
「幼い頃から鍛えるだけ鍛えて『お前は普通に生きろ』って、あんまりだと思うんですよね。独立しようと思えばできるなと思ったら、実家に戻るのもいいと思えるようになりました。それで」
言葉を切って、イルが手紙を覗く。
「ふうん。ビクトリアさん、まさか一人で行くつもりじゃないですよね?」
「条件は何も書いていないけれど」
「待ってくれアンナ。行くなら俺も一緒だ。それは譲れない」
「では二人で行きましょう。武器は持っていくべきだけれど、おそらく戦闘にはならない。ランコムは相談と言っておいて戦闘に持ち込むようなことはしない人」
私がそういうと、ジェフが一瞬、何か言いたそうにしたが結局何も言わなかった。
ランコムが私に相談か。
それが私にとっていい話ではないことだけは想像がつく。
「相談の場に赴く前に、ノンナに確認したいことがあるの。本音を聞かせてほしい」