軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第68話:正しい仕事と、彼の眼差し

早朝の準備広場で、今日も私は業務前の最終確認を進めていた。

その時、視界に映る人影があった。

颯真くんである。

彼を見かけたのは数日ぶりだ。

そんな彼の首筋に、白い包帯が巻かれていた。

歩き方も、左足を少し引きずっているように見える。

中ランクのヒールポーションを使用すれば、たとえ大怪我でも治すことはできる。

だが、連続して使用することで抗体ができ、いざという時の効果が落ちてしまう。

彼が負った怪我がどの程度だったのかもわからないし、ポーションを使用したかどうかも同様だ。

ただ、彼は未帰還者リストに名を連ねることなく、今も生き続けている。

そして、その瞳が異様にギラついていた。

周囲の景色など、まるで一切映していないかのように、私には見えた。

深層に関する情報が掲載された掲示板を見つめていた時には感じなかったが、今の彼の瞳には、思うところがあった。

どこかで見たような気がするのだ。

だが、それがどこだったのか、思い出せなかった。

彼は私に気づくことなく、ダンジョンへと消えていった。

そういう日もあるだろう。

私は目の前のことに集中した。

彼には彼の目的があるように、私には私の目的がある。

すべての確認作業を終える。

全条件(コンディション) 、 規定値内(オールグリーン) 。

ベンチから立ち上がり、ダンジョンへ向かった。

本日の業務を開始するために。

浅層から中層へのスロープを下り、ルートを進む。

岩場の陰から、モンスターが不意に現れる。

動揺はしない。

その気配を感じ取っていたからだ。

問題なく処理すれば、対象は光の粒となって霧散し、魔石が落ちた。

私はそれを拾い上げ、ケースにしまった。

モンスターが現れれば処理し、トラップがあればやはり処理して、私は本日の目的地へと向かう。

『 息吹の断層(ブレス・フォルト) 』。

そう呼ばれるそのエリアは、断層の亀裂から有毒ガスが噴出している。

このエリアで業務を行うに当たっての対策自体は、至極単純だ。

防毒マスクをして、有毒ガスの噴出が止んでいる間だけ活動すればいい。

だが、このエリアで活動する探索者の数はほぼいない。

理由は、その噴出が止んでいる時間の長さが不規則だからだ。

短ければ数分、長ければ20分以上。

防毒マスクには限界があり、その限界が来る前に出られるかどうか、入ってみるまで誰にもわからないのである。

硫黄臭が漂ってくる前に、私は防毒マスクを装着し、いよいよエリア到着というところで、二人組の探索者が前方からやってきた。

見覚えがある。

以前、上近少年や権藤さんから有望株だと聞いていた若手たちだった。

腰のポーチに防毒マスクの予備フィルターのパッケージが複数枚、まだ使われていないものも含めて突き刺さっていた。

防具も金属パーツはすでに黒く変色し、表面がボロボロに腐食している。

目は充血し、荒い息を吐き、激しく咳き込む。

両手に握られたポーションの空き瓶の数だけ、怪我をし、毒を受けたということなのだろう。

「……噴出の法則がない。あれは駄目だ」

絞り出すような呟きだった。

そこには、怯えではなく、悔しさが滲んでいた。

彼らが私に気づき、私は会釈をして、彼らとすれ違った。

断層帯の入口にやってきた。

防毒マスクはすでに装着している。

彼らは法則がないと言っていた。

だが、それは違う。

この数週間、私は別の業務の合間に立ち寄り、記録し続けてきたのだ。

噴出の一次データを。

日付、時刻、噴出継続時間、次の噴出までの間隔。

一見すれば、確かに不規則にしか見えないが——。

私は、その不規則に見える間隔の前後差を、今朝ロビーで確認してきた気圧変動のデータと、脳内で照らし合わせる。

「……次の噴出が止むのは、推定で11分から14分後。止んでいる時間は12分から18分」

当然、計算には誤差が含まれる。

その誤差の範囲を現場で確認し、予測の精度を検証することも、今日の業務に入っている。

私は岩壁に背を預け、静かにその時を待った。

8分が経過した。

足元の岩盤から、微細な振動が伝わってくる。

噴出が終わりに近づく直前の予兆だ。

息を整え、体勢を低くした。

30秒ほどで噴出が止み、私は即座に岩陰から歩み出た。

エリアの内部は、露出した岩盤と深い亀裂が入り組む荒涼とした地形だ。

少し進んだ先の岩盤には、 断層甲(フォルト・) 蠍(スコーピオン) と呼ばれるモンスターが張り付いていた。

外骨格の関節が弛緩し、腹部の継ぎ目が完全に露出している。

協会の生態データの通り、外気の酸素濃度上昇に伴い、擬死状態に入っている。

私は足音を最小限に抑え、岩盤への荷重を慎重に分散させながら近づいた。

弛緩した腹部の継ぎ目へサバイバルナイフを滑り込ませる。

対象は光の粒となって霧散して、毒属性の魔石が残った。

その後も同じように対象の処理を続けた。

蓄積した一次データを頭の中で参照し、噴出が止んでいる残り時間を測った。

今の消化ペースなら、少なくともあと三体は安全に処理できるはずだ。

次の対象を見つけ、その腹部にナイフを沈めた、その瞬間だった。

足元の岩盤が、僅かに震える感触があった。

次の噴出が来る。

……予測より早い。

私はナイフを引き抜き、落ちた魔石を拾うことなく、即座に身を翻した。

だが、走りはしない。

走れば、足音の振動で残りの個体が覚醒し、背後を突かれるリスクがあるからだ。

私は歩幅を最大限に広げ、事前に確認していた退避ポイントの岩陰へと向かった。

岩陰に身体を滑り込ませた直後、断層の亀裂から激しい気流が吹き出した。

間に合ったようだ。

私は岩盤に背を預けた。

退避行動に移ったのは、事前の予測よりも2分早かった。

二度目の噴出が止んだ。

私は岩陰から出て、業務を再開し、事前に想定したノルマを消化していく。

途中、三度目となる噴出があったが、予兆の振動を予測の1分前に感知することができたおかげで、余裕を持って退避ポイントへ戻ることができた。

予測の精度が、現場のデータによって確実に引き上げられていく、その実感に私は深く息を吐いた。

予定していた数の魔石を回収して、私は定時よりも少し早く『息吹の断層』を離脱。

無事に地上へと帰還した。

夕刻の探索者協会のロビーは、一日の労働を終えた者たちの喧騒に満ちていた。

私は換金カウンターへと向かい、トレイの上にハードケースを開いて置いた。

担当は権藤さんだった。

彼が魔石を一つずつテスターにセットしていく。

土属性の魔石では何事もなかったが、緑色を帯びた毒属性の魔石の結果を見て、彼が止まった。

「……静河さん」

「はい」

「これは、断層甲蠍のものだね」

権藤さんは私を見た。

「『息吹の断層』でA品の魔石を確保できる探索者は、あなただけだ」

断言した。

「……気圧変動との相関で、噴出間隔の予測精度が上がってきました」

まだ誤差はありますが、と続けてから、私はこう言った。

「データが示す限り、今日は安全でした」

権藤さんは口元を微かに緩めた。

明細を受け取り、私は彼に一礼してカウンターを離れた。

協会を出ようと出口へ向かおうとした時、ダンジョンの方からやってくる人が目についた。

足を止める。

普段ならそれほど気にならなかったのに、その人物が颯真くんだったからだ。

右の頬には血が滲む擦過傷があり、防具の一部は高熱を浴びたように焦げている。

全身に濃い疲労の色を滲ませていた。

それでも彼の足取りは確かで、彼の瞳は朝よりもさらに強く、研ぎ澄まされた光を放ち、ギラついていた。

颯真くんは私に気づかなかった。

彼の視線は、ロビーの奥に固定されている。

そこには、黒木氏の姿があった。

颯真くんが歩み寄ると、黒木氏は彼に気が付き、二人は掲示板の前に並んで、声を潜めて話し始めた。

真剣な顔だ。

私はその光景を数秒だけ見つめ、協会を後にした。

帰り道、スーパーに立ち寄って食材を購入し、宿舎に戻った。

装備を所定の位置に片付け、洗面所で丁寧に手を洗った。

タオルで水気を拭き取りながら、鏡を見た。

そこに映る顔は、当然、『静河くん』のものであり、しかしだからこそ、私は思い出すことができた。

朝、そして夕方、颯真くんの瞳に宿っていたあの熱を、どこで見たのか。

泥を啜るような納期の最前線で、限界を超えてなお自分の信じる仕事にしがみつき、前だけを見据えていた目。

倒れる寸前まで、決して折れることのなかった者の目。

その者は、かつての『私』だった。