作品タイトル不明
第66話:師匠ならこうしてた
第66話:師匠ならこうしてた
冬は去り、春になっても、朝の、ダンジョン前の準備広場の空気は変わらない。
探索者たちの熱気に溢れ、情報交換の声があちこちから聞こえ、いつも通りの賑わいを見せている。
私は壁際のいつものベンチに腰を下ろしながら、ダンジョンに入る前の最終工程を一つひとつ確実に進めていた。
次の確認作業に入ろうとした時だった。
話し声が聞こえてきた。
これだけ探索者がいる中で、その声が気になったのは、私の名前を口にしていたからだ。
「静河って、なんで認められてるのかわかんねえよ。中層で地味にやってるだけだろ」
「未帰還者リストに載らない、ただ生き残ってるってだけなのにな」
「探索者なら深層攻略を目指すべきだろ」
ダンジョンで地震が発生し、大規模な水脈決壊が発生した際、私自身の退路と安全を確保するために設置したものが、他の探索者たちの命を救った。
安全管理規則の策定に関与した。
多くの探索者たちは私を嘲笑していたが、気がつけば彼らは私のことを認めるようになっていた。
その筆頭が『赤き戦斧』だろう。
だが、中には、未だにこうして私のことを見下したり、嘲笑したりする探索者たちもいる。
だが、彼らの言葉が、私に影響することはない。
私にとって彼らの言葉は、環境音と変わらない。
何より、私が気にすべきことは、今日も無事にダンジョンで生き残ることだけなのだから。
まだ彼らは私に対して何か言っていたが、私は彼らのことは意識から切り離し、最終工程を続ける。
その時、視界の端に見慣れた人影が映った。
少し離れた柱の近くに、『蒼穹の翼』のリーダーである伊織くんが立っていた。
彼は先ほどの探索者たちの言葉を聞いていたようで、不満を隠そうともしない顔で、先程の彼らの顔を記憶に刻みつけるように見つめて、いや、睨みつけていた。
その事実に、私は深く呼吸をする。
確認は終えた。
全条件(コンディション) 、 規定値内(オールグリーン) 。
私はベンチから立ち上がり、ダンジョンの暗がりへと向かった。
今日の目的地は、中層の中でもとりわけ植生の侵食が激しい領域から分岐する、『 腐乱の木立(ロット・ウッド) 』と呼ばれるエリアである。
湿った空気に腐敗した植生の匂いが混ざり合った、このエリア独特の臭気がする。
私は過去のここでの業務経験を基に、現場の湿度や倒木の腐敗具合を照合しながら慎重に進んでいく。
道中、昆虫系モンスターが姿を現せば、確立した手順で処理し、魔石を回収する。
予定通りのペースだった。
何も問題はなく、私はさらに奥へと進んでいった。
枯死した巨大な樹木の根が、迷路のように床を覆い尽くす地帯に差し掛かった。
私は足を止め、足元に広がる無数の根を観察した。
一見すると、ただの枯れ根の足場にしか見えない。
だが、その一部に微かな変色が混じっていることに気がついた。
連鎖(チェイン・) 腐根(ロット・ルーツ) の群生地帯。
要するに、ダンジョンが生み出したトラップである。
一つでも踏み込めば強烈な腐敗ガスが噴出し、隣接する根も連鎖的に破裂する。
だが、その仕様はすでに熟知していた。
当然、トラップを強引に破壊して進む真似はしない。
それは体力と資材の浪費でしかないからだ。
変色パターンの違いから安全な踏み場を逆算するだけでいい。
慎重に、淀みなく、私はトラップを踏み越えていく。
そうしてトラップを抜けた先で、息を吐き出したところで、壁の向こう側の隣接ルートから、激しい交戦音と焦燥した怒声が響いてきた。
巻き込まれ事故を想定し、私は安全な位置に身を寄せると、音のする方に視線を向けた。
朝方、広場で私を揶揄していた探索者たちがいた。
彼らは複数のモンスターによって出入口を完全に塞がれ、後退すらできずに壁際へ追い詰められていた。
息遣いは激しく、剣筋も乱れている。
疲労とパニックによる損耗は明らかだ。
遠からず彼らは崩壊するだろう。
彼らが倒れれば、濃い血の匂いが周囲のモンスターをさらに誘発し、私の帰還ルートにまで悪影響を与えかねない。
そう考えた時、彼がいる空間の端に、別の探索者パーティーの影が現れた。
『蒼穹の翼』である。
目の前の状況を見た伊織くんは、一瞬の迷いもなく、仲間たちに向けて強い口調で指示を飛ばした。
「真正面からやり合うな! 師匠のやり方だ! まずは大きく距離を取って、逃げ道を作るんだ!」
伊織くんのその指示で、彼らは武器を構えて突進するのではなく、足元の石を拾い上げて壁の反対側へ向けて勢いよく投擲した。
岩壁に石がぶつかる硬い音が響く。
モンスターたちの注意が、一瞬だけ音の発生源へと逸れた。
伊織くんたちはその隙を見逃さず、モンスターの包囲に物理的な隙間を作り出すように動いた。
孤立していた探索者たちに向かって、伊織くんが怒鳴った。
「おら、道は空いたぞ! さっさと逃げろ!」
その声に探索者たちは弾かれたようになって、猛然とその場から走り去っていった。
彼らが離脱したことを確認すると、伊織くんたちはモンスターを深追いすることなく、大きく距離を取って戦闘から完全に離脱した。
「やっぱすげえな、師匠の戦法! まともにやり合わなくても切り抜けられるんだからな!」
遠ざかる彼らの興奮気味な声が、微かに私の耳に届く。
独自の解釈で生存能力を上げ、『蒼穹の翼』は確実に現場で結果を出している。
私はその事実を記憶し、深く呼吸をすると、自らの業務を再開した。
五感を働かせながら慎重に進んでいくと、薄暗い通路を塞ぐように横たわっている朽ち果てた巨大な倒木があった。
その表面の微細な違和感が私の足を止めさせた。
枯れ木の一部に、周囲の樹皮とは異なる不自然な光沢があった。
過去に処理した経験のあるモンスター、枯れ木に完全に擬態した大型の昆虫系モンスターの 腐樹甲虫(ロット・ビートル) だ。
対象はまだ私に気づいていないようだが、油断はできない。
このモンスターは、接近する獲物を感知すると、体内に蓄積した強酸性の体液を勢いよく噴出して捕食する特性を持っている。
つまり、対象が私を獲物として認識し、酸の噴出動作に入る前に、その射程外から一気に死角へ回り込み、処理する。
私は足音を完全に岩肌の反響に溶け込ませながら、倒木の斜め後方へと素早く滑り込んだ。
対象が微細な気流の変化に気づき、動き出そうとしたその瞬間。
私は死角となる背後を取り、酸を吐かれる隙を与えずに、甲殻の継ぎ目、脆い部分へ向けて、ナイフを突き立てた。
対象は光の粒となって霧散し、根の上に魔石が落ちた。
私はそれを拾い上げると、ハードケースに収めた。
手順さえ間違えなければ、無傷で確実に利益を得ることができる。
私はその後も計画通りに処理を続け、当初予定していた魔石を確保すると、定時でダンジョンから撤退した。
地上に戻り、探索者協会のロビーへ。
換金カウンターの列に並び、順番を待っていると、視線を感じた。
列の少し離れた場所に、朝、私を揶揄していた探索者たちだった。
彼らと視線がぶつかる。
彼らの顔には、朝の広場での揶揄に対する負い目と、私のやり方を実践する伊織くんたちに命を救われたという事実に対する、複雑な葛藤が浮かんでいるように見えた。
彼らは私に向かって何度か口を開きはしたが、何も言わないまま、
「いくぞ」
という、リーダー格の男の言葉に従って、無言のまま去っていった。
私はカウンターの脇にある掲示板を、そこに張り出されている本日の未帰還者リストを見た。
魔石を換金して、宿舎に戻ってきた。
今日の夕食はスーパーで買ってきた筍の水煮を使った、筍ごはんだ。
味付けは、水と塩と酒と昆布出汁というシンプルなものだ。
筍の純粋な風味を感じたかったからだ。
特有の歯ごたえも楽しく、
「……美味い」
今日一日も、色々あった。
だが、最後に春をしみじみと味わうことができた。
それで充分だった。