軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第21話:信頼の破断強度

有限会社安長用品の薄暗い店内。

陳列棚の前で、私は小さく息を吐き出した。

ここに——定位置にあるべき商品がない。

株式会社 四道(しどう) デザイン社製、レスキュー用カラビナ。

高強度スチール製のそれは、私の業務において命綱を預ける唯一の規格品である。

店主の安長社長が、気まずそうにカウンターの向こうから謝ってきた。

「悪いね、静河さん。また品切れなんだ」

「……そうみたいですね」

「手袋の時もそうだったけど、最近、あんたと同じ装備をまとめて買っていく連中が多くて。メーカーに増産を頼んだんだが、どうも間に合ってないらしい」

代わりに、と安長社長が差し出してきたのは、見た目がよく似た別のカラビナだった。

「FMI製作所製の登山用だ。同じ工場で作られてるし、カタログ上のスペックは四道デザインのそれと同じだ。プロの愛用モデルと同等、ってのがウリでね」

私はそれを受け取った。

……確かに、手に取った感じは、

「よく似ている」

指先でゲートを押し込む。

放す。

バネの戻りに、僅かな、しかしはっきりとわかる遅延があった。

重心のバランスも、若干だが悪い。

私はポケットから自分の使い古したカラビナを取り出した。

それと、受け取った新しいカラビナを軽く打ち合わせる。

澄んだ音ではない。

少し濁った、鈍い音が響いた。

おそらく鋳造時に混入した微細な気泡が、反響音を殺していると考えられる。

外見やカタログスペックが同じでも、中身はまったくの別物だ。

「……同等、ですか」

「ああ」

安長社長はそう言うが、その言葉の裏にある実態を私は知っている。

急激な需要増に対する、品質管理の緩和。

私にとってこれは許容誤差の基準を緩めた、検品落ちの不適合品に他ならなかった。

「……遠慮しておきます」

私はFMI製作所製のカラビナをカウンターに静かに置いた。

「え? でも、これがないと困るだろ?」

「そうですね」

と頷きながらも、私は続ける。

「ですが、命を預けるものですから」

私は別の棚へ向かった。

選んだのは、旧式のねじ込み式カラビナ。

重く、価格も張る。

着脱に時間もかかる。

だが、物理的なネジ山が噛み合う構造は、バネの劣化による致命的なエラーを起こさない。

今日、生きて戻って来るための、確実な代替案だった。

私は会計を済ませて店を出た。

手提げ袋の重みが、今はかえって頼もしかった。

そのまま向かう先は探索者協会だ。

そのロビーを抜け、さらに足を進めるのはドーム状の準備広場である。

そこはダンジョンからのカビと湿気の臭いと、外気とが混ざり合って、独特の空気を醸し出していた。

その空気を肌に感じた瞬間、私の意識は日常から現場へ向かうそれへと切り替わる。

定位置と、そう呼んでいいだろう。

壁際のベンチに腰を下ろした。

靴紐を解く。

イアン・ノットで、左右のテンションが均一になるように締め直す。

ポーションの位置を指差し確認。

右腰、左胸。

ナイフに刃こぼれはないか、ライトが規格通り点灯するかどうか、バッテリーはあるか。

頭の中にある生存のためのチェックリストにチェックを入れていく。

そうして最後に取り出したのは、先ほど調達したばかりの旧式カラビナだった。

引っ掛かりのない滑らかな回転を指先で記憶させる。

「 全条件(コンディション) 、 規定値(オールグリーン) 」

ベンチから立ち上がり、ダンジョンへ向かおうとした時、風に乗って声が耳に届いた。

「これで俺たちも安全だな!」

「静河セット、本当に助かるわ!」

見れば、数メートル先。

真新しい装備で身を固めた若手探索者たちが、集まって笑い合っていた。

彼らの腰元で、FMI製作所製のカラビナが揺れている。

動作確認もせず、荷重テストも行っていない。

ただ同じ形をしているというだけで、彼らは安心しきっている。

だが、私がそれについて口出しすべきではない。

自己責任。

それが探索者の、ダンジョンの絶対のルールなのだから。

中層。

大竪穴(スパイラル・ピット) と呼ばれる、巨大なすり鉢状の空間を、螺旋状の道が下へと続いている場所がある。

一部のルートは完全に崩落し、ロープによる降下と登攀が必須となる難所だ。

湿った風が下から吹き上げてくる。

先行する探索者たちの列が見えた。

数十人が、壁面に打ち込まれた支点にカラビナを掛け、順番にロープを下りている。

その中に、広場で見かけた若手たちの姿もあった。

私は列の最後尾から距離を取り、岩肌の感触を確かめながら進む。

金属が擦れる音。

誰かの話し声。

それら環境音をあえて利用して、ダンジョンへと意識を集中していく。

いつものルーティン。

だが、今日は、それが唐突に断ち切られてしまった。

甲高い破断音と悲鳴によって。

素早く視線を向ければ、降下中だった中堅パーティーの一人が宙を舞っていた。

岩壁の支点に繋がっていたはずのカラビナが、ただ体重をかけただけで真っ二つに割れたのだ。

滑落する体が、命綱を通じて下の探索者を巻き込む。

連鎖的にカラビナが弾け飛んだ。

「うわあああッ!」

数名が宙吊りになって、壁に叩きつけられた。

「な、なに!? 何が起きたの!?」

「俺のカラビナも割れる! 動かないでくれ……!」

パニックが伝播する。

後続の探索者たちが、岩肌にしがみついたまま硬直。

自分の道具への信頼が崩落し、疑心暗鬼に囚われる。

流れが完全に停止し、退路が塞がれた。

私は即座に腰の旧式カラビナを手に取った。

手近な強固な岩角にロープを回し、確実にネジを締める。

そうして自分自身の安全を確保してから、私は状況を俯瞰した。

不慮の事故が発生した?

果たしてそうだろうか。

私は宙吊りになった探索者たちの元へ、慎重に近づいた。

そこに残っている割れたカラビナの断面を視認する。

微細な気泡の跡。

粗悪な鋳造のせいだろう。

これは製造ロット不良による、クラスターの発生と考えるべきだ。

「聞いてください!」

私にしては珍しく声を張った。

それまでパニックに陥っていた集団が、一瞬だけ静まり返る。

その隙を逃さず、私は続けた。

先程断面を確認したカラビナ、その表面に刻印されていたのは、

「ロットナンバー末尾がK! その製品は、直ちに使用を中止してください! 定格荷重を満たしていません! 補助ロープへ切り替えてください!」

「な、なんだと……!」

「あ、あたしのもKなんだけど! 嘘でしょ!?」

絶望からか、彼らの動きは目に見えて鈍くなる。

これ以上、言葉は届かない。

だからといって、放っておくこともできない。

私の退路も失われるからだ。

私はバックパックから、別の機材を取り出した。

滑車。それに、予備のロープ。

「動ける者は、正規ルートをそのまま進んでください!」

私は岩壁の亀裂に鉄の楔を打ち込み、新たな支点を構築する。

「不良品を使用している人は、その場で待機!」

滑車をセットし、ロープを通す。

カラビナのネジを限界まで締め込む。

「今、迂回路を通します!」

私はロープの端を、最も近くで宙吊りになっている探索者へ投げた。

「腰のハーネスに結びつけてください! 引き上げます!」

「あ、ああ……!」

震える手でロープが結ばれる。

私は滑車を使い、自らの体重をカウンターウェイトにして彼を引き上げた。

一人、また一人。

安全な足場へと、滞留していた人員を移動させていく。

そうして、最後の探索者を引き上げ終える。

安全圏には、疲労と恐怖でへたり込む者たちの姿があった。

私は壁に残っていた破断したカラビナの破片を集めた。

回収袋へ収める。

メーカーへのリコール要求。

そのための、確実なエビデンスだ。

「あの……ありがとう……」

誰かの掠れた声。

私は振り返らずに、ロープを回収した。

「……業務の一環です」

私は確保された迂回路を通って、地上へ戻る。

今日の業務はまだ始まっていなかったが、それよりもすべきことがあった。

探索者協会を出た私は、安長用品のカウンターに立っていた。

「静河さん、どうしたんだ。戻って来るにはまだ時間が——」

私は無言で、カラビナの破片をカウンターに置いた。

「これ、は……」

「FMI製作所製のカラビナです。大竪穴で、荷重負荷により連鎖破断しました。当該ロットの全品回収を推奨します」

「……わ、わかった。すぐにメーカーに連絡して、販売を止める! あの、……本当に、すまなかった!」

安長社長が謝る必要はない。

探索者自身がこれでいいと選んだのだから。

では、なぜ私がこんなことをしたのか。

正義感からでは決してない。

現場にこれ以上、退路を塞ぐような障害物を増やさないためである。

リスク管理の一環。

ただそれだけだ。

安長用品を出た私は、その足で探索者協会のカウンターに向かった。

他の職員でも問題はなかったが、そこにはちょうど権藤さんがいた。

「権藤さん」

私の呼びかけに、彼が振り返る。

私は安長社長に見せたものと同じ、カラビナの破片をトレイに置いた。

権藤さんが眉をひそめた。

「……これは?」

「大竪穴で発生した連鎖滑落事故の、原因部品の破片です」

私は記憶している内容を淡々と述べる。

「FMI製作所製、ロットナンバー末尾K。荷重負荷による破断を確認しました。現在、市場に多数流通している不適合品です。安長社長を通じて、メーカーには連絡済みです」

権藤さんの目が鋭くなる。

「……人的被害は」

「数名が負傷しましたが、致命傷はありません」

彼は破片を手に取り、断面を観察した。

「……微細な気泡が見える。粗悪品だな」

「ええ。協会として、当該ロットの持ち込み制限、あるいは掲示板での注意喚起を推奨します」

「ただちに対応する。入場時の装備チェック項目に、当該ロット番号の確認を追加しよう」

彼は破片を丁寧に袋へ収めた。

「君の迅速な報告に感謝する。君の徹底したリスク管理は、結果として協会全体の安全基準をアップデートしている」

「業務の一環です。私の退路が塞がれるのは困りますから」

私が答えると、権藤さんは小さく笑った。

必要な報告を終え、私は改めて自分の装備を確認した。

どれも問題なく、想定通りに動作する。

「 全条件(コンディション) 、 規定値内(オールグリーン) 」

まだ日は高い。

当初予定していたとおりにはいかないだろう。

それでも私が生きていくための今日の業務を始めよう。