軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

マリアの教育

エマは目をくるりと回し、おどけた調子で言う。

ベルに聞かれて、会話の様子を伝えているが、遺贈の話には触れない。

「エマ、あのお茶会のメンバーは王太后様と親しげにみえたけど、あなたもそう思う?」

「はい。気心の知れた近しい者たちだと思います。でも、女性も男性も、注意が必要なタイプだと思いました」

そしてエマがグッと私に近付く。

「お気付きではなかったようですが、あの中の男性が、マリア様に気持ちの悪い興味を抱いておりました。ご注意ください」

「エッ! だって婚約の話題だったのよ。何の興味なの?」

「人のものなら余計に欲しくなる、ねじ曲がった人物はいます。たぶんそういった類いでしょう。今度近付いてきたら耳打ちいたします。ダンスなどは、気分が優れない、もしくは疲れたと言って、お断りください」

ベルは憤慨している。

「婚約が決まったばかりの若い令嬢に、興味ですって! 碌なものじゃないわ。エマ、絶対にマリア様から離れないでくださいね」

私は戸惑っていた。今までの数回の夜会では、私にそういった興味を抱くものはいなかったと思う。

「令嬢方は通常、近付いてくる男性たちを、好み、爵位、将来性、恋人か結婚相手か友人か、そして相手の思惑などなどで秤にかけて、お付き合いの仕方を決めます」

エマの目は真剣だ。

しかも言っている内容のレベルが高い。それが普通?

「それは上級編ではないの?」

「一般常識レベルです」

ショックだった。そういう駆け引きなど、考えたことがなかった。

兄に叱られたのも、つまりこういうことなのだろう。

私はつい先ほど兄に言ったことを思い出し、それをそのまま自分に向けた。

『時々頭の内容を確認した方がいいようね。何も知らなすぎるのよ』

自分で言って、グサッと傷付いた。

おたおたする私に、エマが厳かともいえる調子で告げる。

「この先、そういうアプローチは幾つもあるでしょう。ちゃんと対処法を覚えましょう。リース国ではブライアン様が睨みを利かせているので、めったにないでしょうけど、全く知識も免疫もないのは非常に危険です」

エマの言葉にベルが、「ブライアン様の過保護を諌めなければ」とつぶやく。

ベルの言葉なら、ブライアン様も聞き入れそうだ。

私は前向きにとらえることにした。

「このタイミングで外国に来て、社交を経験できたのは良かったのね」

「ちょっとした興味、あわよくば恋仲に、もしくは火遊びの相手、めったにないけど本気。どのあたりなのかを探るわけですが、婚約者のいるマリア様にちょっかいをかけてくるのは、不埒な輩だけです」

「私はダンスをした相手も少ししかいないし…...ジョエル様や王太子殿下は興味、他のダンスの相手も……興味。兄は義務感?」

私が言うと、ベルがそれを言い直した。

「王子方は従兄弟の恋人への興味と好意、エリック様はダンスのおさらい、ブライアン様はめったにないという本気ですよ」

はあ。

そうですか。

「わかったわ。それ以外の恋仲から火遊びの人たちに注意したらいいのね」

エマとベルは心配そうだ。

「危険そうなら、私がご忠告申し上げますが、信用できる者を、常に身近に置いてください。素性の知れない侍女などに、付いて行かないよう。どこに案内されるか分かりませんから」

エマの忠告に、ベルがハッとしたようにこちらを見る。

「お嬢様、以前お話した結婚後のご生活についてですが、まだご存知ないままでしょうか」

……何でしたっけ。

指を顎につけて考えている私をじっと見て、ベルがエマに耳打ちする。

エマが、「ああっ、そうでした」と声を上げ、考え込む。

「そこは、私では心もとないです。やはり、適任者は母親の伯爵夫人では」

「そうですね。私からお話をしておきます。奥様は社交に関しては勘の良い方なので、そのふらちな男にも気がついているかもしれませんし」

ベルがスタスタと部屋を出る。多分上の階の両親の部屋に向かったのだろう。

しばらくして、母を連れてベルが戻った。

母はすぐにこちらへやってくる。

「まあ、私のミスね。すぐに結婚するのだから、何も知らなくても大丈夫だと思っていたのよ。エマの見立て通り、あの席には危ない様子の男がいたわね」

母は私をまじまじと見る。

「キスまでは経験があるのよね」

ぼっと顔に熱が上がる。

ものすごく恥ずかしいけど、あの時エマが一緒にいたので、嘘も言えない。

黙って頷く。

「ブライアン様だけ? ジェイソン様は?」

何ですって! 衝撃だった。

「まさか、そんなことするはずがないでしょう」

思わず、そう言って母に突っかかってしまった。

「比べるとわかりやすいから聞いたのよ。好きな人とするのとは、気分が違うのよ。その先に進みたくなるかどうかもね」

「進む?」

「じゃあ、もう一つのサロンに移動しましょうか。ちゃんと説明してあげる」

ベルがサッと私たちの前に立ち、「慎重にお願いします」と言う。

私は母の後について、別室に移動した。

母はちゃんと説明してくれた。全く知らなかった

部屋に戻ると、ベルとエマは心配そうに私を見ている。

「大丈夫よ。ちょっとだけ驚いたけど。でも男性を見る目が変わってしまったわ。怖いような気がする」

母が笑う。

「いやあね。誰彼かまわずというわけではないのよ。お互いに相手を選ぶの。ただ、たまにそれだけが目的で、基本ルールを守らない人がいるのよね。男も女もそうよ。そういう人には、気を付けないといけないわ」

「......はい」

そう答えたものの、落ち着かない。

ブライアン様とのキスは素敵で、もっとして欲しくなった。その延長がそれだということだけど、結局よくわからないままだ。

「フフフ、ブライアン様にそのうち教えてもらえるわよ。楽しみね」

母はあからさまだ。

婚約したのだからそうなのだけど、どんな顔をしていたらいいのやら、わからない。

前の人生で、結婚式の次の朝、皆そんなことがあったと思っていたのだろう。あの生暖かい、いたわりのまなざしを思い出すと、身もだえしてしまいそう。

『何もなかったんです』と思った後、申し訳ない気分にもなる。何もなければ、子供もできないのだ。

きっと侯爵家の人々は、後継ぎができるかもと思って、喜んでいたのだろうに。

「あの、疲れたのでもう寝ます。キャロルへ首輪を渡しておいてもらえる?」

そう言うと、皆ササッと動き、ササッと準備が整い、私はベッドにもぐりこんだ。

思いやりがありがたかった。

その夜、私の部屋に戻ってきたチャックは、いつの間にか私のベッドに潜り込んでいた。

癖になってしまうと困るから、いつも、それは厳しく禁じているのに。

でも目覚めた時、隣に生き物の温もりがあるのは、 思いがけないほど嬉しかった。

チャックの小さな前足を指でさする。

チャックはスピスピと鼻を鳴らし、気持ちよさそうに眠っている。

見守っていると、幸せな気分になれた。

結婚してブライアン様と一緒に寝るようになったら、毎朝こんなふうなのかしら。

起きると隣に彼が寝ている。そしてこんなふうに寝顔を見つめるのかも。

すごくいいかもしれない。

あ、でもたまには一緒に寝ること、と前の人生で教わったのだった。

では、それはたまにということなのだと、何となくがっかりする。

そんなことを考えていたら、チャックが目覚めた。

いきなり飛びつくように私の顔にへばりつき、鼻先から顔中を舐め回す。

「おはよう、チャック。落ち着いて。いい子だから」

あまりかまってあげられなかったので、寂しかったのだろう。