軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

閑話 誰かの葬式

焼香の煙が、ゆらりと天井へ昇っていく。

白い菊の匂いが、やけに濃い。鼻の奥にまとわりついて、離れなかった。

私はただ、そこに座っていた。

会社の同僚――“紫園絵莉奈”の遺影が、やけに綺麗に笑っているのを、ぼんやりと眺めながら。

「何で死んじゃったんですかー!」

泣き声が隣りから聞こえてくる。静かな部屋にやけに響く。

普段は媚びるように笑ってばかりのくせに、こういうときだけ声が大きい。涙でぐしゃぐしゃの顔をして、けれどどこか芝居がかった仕草で、肩を震わせている。

前方の棺の横では、初めて見る絵莉奈の両親が、声を押し殺すように泣いていた。

年老いた背中が、小さく揺れている。

ああ、そりゃ、泣くよな。

頭の隅で、ひどく乾いた声がする。親より先に死ぬ子供なんて、どんな理由であれ、それだけで親不孝みたいなものだ。

「これから、あたし……誰に仕事、頼ればいいんですかぁ……」

嗚咽混じりのその言葉に、私は思わず眉をしかめる。

――知るかよ。こんな時にもそんな心配事かよ。

喉元まで出かかった言葉を飲み込む。こんな場所で吐き出すほど、私は馬鹿じゃなかった。

ねえ。明日から、誰が私の話を聞いてくれるの?

仕事の愚痴も、どうでもいい上司の話も、

……ねえ。乙女ゲーム、どうするのよ。

新作、もうすぐ発売だって、あんなに楽しみにしてたじゃない。

「絶対一緒にやろうね!」って、あんた、あんな顔して約束したくせに。

――嘘つき。

遺影の中の笑顔は、やっぱり穏やかで。

あのときと同じように、何も言い返してこない。

「……一人でやるの、つまんないじゃん」

こぼれた声は、自分でも驚くほど弱くて。

誰にも聞かれないように、唇を噛む。

煙の向こうにいるあんたは、もう、どこにもいないのに。

ねえ、絵莉奈。

***

式場の外に出た瞬間、張りつめていた空気がふっと緩んだ。

けれど、その分だけ現実が剥き出しになる。

冷たい風が頬を撫でる。

さっきまでまとわりついていた線香の匂いが、少しずつ薄れていった。

私と後輩は、無言のまま並んで歩く。

「……っ、うぅ……」

隣では、まだぐずぐずと泣いている。

鼻をすする音が、やけに耳についた。

「……先輩、知ってます? 絵莉奈……先輩、駅で人、助けたんだって。落ちた人を庇って、それで死んじゃったんだって」

静かに言い切ると、風が一瞬だけ強く吹いた。

「知ってるよ。ニュースにもなったじゃない」

馬鹿みたいに、お人よしで。何事にも、まっすぐで――不器用なくらい一生懸命だった、あんた。

だからって。まさか、駅のホームから落ちた誰かを庇って、自分が死ぬなんて――そんな結末、誰が想像するのよ。

「……本当に、馬鹿だよね」

胸の奥で吐き捨てたはずの言葉は、驚くほど軽くて。

そのくせ、どこかに引っかかって、消えてくれなかった。

「絵莉奈先輩らしいですけどねえ」

「でも、もしかしたら乙女ゲームに転生してるかもよ」

ぽつりと零した私の言葉に、後輩はぴたりと足を止めた。

涙で濡れたままの顔が、今度は呆れたように歪む。

「……先輩こそ、何言ってるんですか。頭、壊れました?」

「えーあんたに言われたくないね」

軽く肩をすくめてみせると、後輩は盛大にため息をついた。

「なんかさ、携帯の最後の画面、さ。“王宮聖女”のアプリ開いたままだったらしくて」

風が、髪をかすめていく。

どこか遠くで電車の走る音がした。

「……まあ、人を庇って死んだら転生、とか。よくあるじゃん」

「トラックじゃなくて電車だから、無理じゃないですか?」

即座に返ってくるツッコミに、思わず笑いそうになる。

「かねぇ」

「現実的じゃないですよ、絶対」

「夢くらい見させてよ」

軽く返したはずなのに、声は思ったよりも掠れていた。

少しの沈黙。

「でもさ。だったらいいなって、思うじゃん」

後輩は何も言わない。

「もしそうならさ。あの子のこと――」

そこで言葉が詰まる。

……そんな都合のいいこと、あるわけないのに。

「……ちょっと、羨ましいなって」

やっと絞り出した声は、やけに小さかった。

後輩の視線が刺さる。

「先輩、絵莉奈さん死んじゃったのに、よくそんなこと考えられますね」

まっすぐで、少し責めるような声。

私は、少しだけ空を仰いだ。

「……まだ、現実感ないんだよね。つい先週まで一緒にいた人が、急にいなくなるとかさ」

青すぎる空が、やけに遠い。目を開けてられないほど、眩しくて。

「理解が追いつかない」

後輩は黙っている。

私は、少しだけ笑った。

「……私にとっては、たった一人の友人だったし」

その言葉に、後輩は一瞬だけ目を見開いて――

「先輩、オタクでぼっちでしすもんね」

容赦のない一言が返ってくる。

「うるさい」

即答すると、後輩は小さく鼻をすすりながら、少しだけ口元を緩めた。

さっきまでの泣き顔が、ほんの少しだけ崩れる。

その空気に、ほんのわずかだけ救われる。

「……あーでも」

わざと軽い調子で、言葉を継ぐ。

「王宮聖女の次の新作、発表してたのにさ。遊べなかったの、残念だったよね。絵莉奈」

「……新作、あたしが一緒に遊んであげますよ。代わりに仕事手伝ってくださいね。」

不意に投げられた言葉に、私は一瞬だけ足を止めた。

……ああ、こいつ。さっきまで泣いてたくせに、もうそんなこと言えるんだ。

「……あんた、まだ“王宮聖女”も序盤までしかやってないじゃん」

「ゲームって飽きちゃって。あーでも先輩のおすすめの転生もの乙女ゲームの漫画なら読みましたよ」

「原作やれ」

「面倒です」

即答。ここまで清々しいと、逆に腹も立たない。

ふっと、息が抜けた。

「……転生かぁ」

後輩が、空を見上げながらぽつりと呟く。

「転生したら、先輩はなにしたい?」

唐突な問いに、私は少しだけ考えるふりをしてから、肩をすくめた。

「そりゃ、前世チートでどっかん金儲けよ」

「うわ、夢が現実的」

「うるさい」

けれど、口元は自然と緩んでいた。

「前世チートって何ですか?」

「知識無双。未来知ってるとか、現代知識で成り上がりとか。そういうやつ」

「へぇー、なるほど……そういうのがあるんですね」

後輩は、妙に真面目な顔で頷く。そして、すぐににやっと笑った。

「あたしは普通にモテたいです」

「普通とは」

「王女になって、贅沢しながらイケメンに囲まれて、逆ハーレム作りたい」

「欲望に忠実すぎるでしょ」

思わず笑う。後輩も、つられるように笑った。

その笑い声が、やけに軽くて。やけに現実的で。

――ああ、生きてるんだなって思う。

「……でもぉ」

笑いが少し落ち着いたところで、後輩がぽつりと続ける。

「絵莉奈さんなら、どっちですかね」

その名前に、空気がほんの少しだけ静まる。

私は、少しだけ視線を落とした。

「……あの子はさ」

考えるまでもない。

「どっちも選ばないでしょ」

「え?」

「たぶん、また誰かのために動いてるよ」

王女でも、聖女でも、平民でも。なんなら、悪役令嬢でも。どんな立場でも、きっとあの子は変わらない。

「お人よしで頑張り屋なあの子のことだからね」

「……確かに、そうかもしれませんね」

きっと、どこにいても一生懸命に生きてる。そんな姿が、容易に思い浮かぶ。

本当にそうだったら良いのに。そして、もう一度会えたら――。

ただそれだけの願いが、胸の奥でじわりと滲む。

――まさか、その願いが思いもよらない形で叶うとは。このときの私は、まだ知らなかった。