軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

12話 交渉

今日は、カミルが現地の医師たちの集う寄合へと出かけていった。私はサクラに案内され、再び城下町へと足を運ぶ。

町は今日も、穏やかな活気に満ちている。

往来を行き交う人々の軽やかな足取り。店先に整然と並べられた色とりどりの品々。威勢のいい呼び声や、どこか懐かしい匂いを運ぶ風。

「サクラ、あなたの通訳と解説のおかげで、私はヒノモトの良さを随分と知ることができたわ」

サクラは、ふるふると首を振った。

「いいえ、とんでもございません」

今度は私が首を横に振る番だった。

「そんな、謙遜しないで。ヒノモトの文化は本当に素晴らしいわ!」

言葉を選びながら、胸に溢れる思いを口にする。

「とりわけ、食文化にはすっかり虜になってしまったの。醤油や味噌――発酵に宿る悠久の知恵。素材の清らかな味わいを引き出す、引き算の美学。口にするたびに、この国が歩んできた歴史と、自然の恵みを感じるのよ」

思わず熱がこもると、私は小さく息を整え、さらに続けた。

「海藻から作られる寒天。あれは、我が国の菓子文化に革命をもたらすかもしれないわ。そして――“醤油”! あれは魔法の調味料よ。そして、大豆は、醤油、味噌、納豆、豆腐……様々なものに形を変える、まさに“魔法の食材”ね」

語るうちに、私は自然と声を弾ませていた。

この国で得た知恵は、旅の思い出に留まるものではない。頭の中ではすでに、未来の貿易図が鮮やかに広がっている。

「私は、これらの食品を自国へ輸入したいの。ただの珍品ではなく、リューベンハイト王国の食卓に新たな健康と美をもたらす必需品として、安定した供給ルートを築きたいのよ!」

サクラは感心したように相槌を打つも、どこか言葉を選んでいるようだった。

「大変、素晴らしい考えですね。……ただ、エリザベート様。申し訳ないですが、ヒノモトの伝統的な醸造元は――非常に、排他的です。彼らにとって醤油は、家伝の秘法。異国に売り渡すなど、想像もしていないでしょう……。ましてや、輸出という概念自体が存在しないかと……」

私は頷いた。その障壁の高さは、滞在の間にうかがい知れた。

「そうなのね。……この国の外への忌避感が、どれほど根深いかは分かってきたわ」

それでも、諦めるという言葉は私の辞書にない。

私はサクラの瞳をしっかりと見据えた。

「だからこそ、あなたに頼みたいの、サクラ。あなたの知識と、この国での立場、そして――何より、あなたの情熱があれば。彼らの閉じた心を、開けるんじゃないかしら?」

「え……」

「お願いよ。交渉の場に同行してくれないかしら」

サクラは言葉を失い、唇を固く結んだ。

思案するように視線を落とし、小さく息を吸い込んでから、凛とした声で言った。

「……分かりました、エリザベート様。私で良ければ、喜んで協力します!」

その声音にはためらいが混じっていた。それでも奥には、揺るがぬ決意が感じられる。

私は笑って、「ありがとう」と感謝の気持ちを告げた。

***

私とサクラはその足で、城下町の南端へ向かった。

その通りには木桶と味噌の香りが立ちのぼっていた。さらに醤油の深く芳醇な匂いが、あたりに漂っている。

「ここが、醤油の醸造元である“橘屋”です」

サクラが指差した先に、黒塀と白壁の蔵が重々しく佇んでいた。

門の上には、風雨に晒されて掠れた木の看板。“橘屋”の三文字が、古びながらも威厳を放っている。

その門を前に、私たちは思わず息を呑んだ。

この空気――外の人間を容易く拒む、厚い壁のような沈黙。

「ここはヒノモト有数の醤油蔵です。私の家では、こちらから醤油を下ろしていただいていて、馴染みはあるのですが……だからといって、その、エリザベート様の頼みを聞いていただけるかは、分かりません……」

サクラの声はかすかに震えていた。

私はそっと彼女の肩に手を置く。

「大丈夫。きっと、分かってもらわるわ!」

サクラは小さく頷き、両手で門を押し開けた。古い木の軋む音が響き、蔵の内から濃密な香りが溢れ出す。

橘屋の蔵は、数百年の歴史をそのまま閉じ込めたかのように、黒く太い梁が組まれ、時間そのものが染み込んでいるようだった。熟成された大豆と麹、どこか古めかしい匂い。ここに積み重ねられてきた歴史、そのものだった。

蔵の中には、一人の青年がいた。

灯明の下で木桶をかき混ぜるその姿は、真剣だった。髪は煤けた黒、袖をまくった腕には鍛えられた筋が浮かび上がっている。

「ん? お客さんかい」

私達に気が付いて、梯子を下りてくる。

「こんにちは。私、サクラと申します――。藩主の娘の……」

「藩主様の娘!? ああ……確かに、その顔は見かけたことがあるな。悪い、少し待っていてくれ」

そう言って、人を使って、誰かを呼びに行った。

やがて、年老いた職人が姿を現した。白髪交じりの髪、煤けた前掛け、節くれだった手。いかにも気難しそうで、その眼差しは険しい。

「橘屋の当主、橘源蔵と申します。……姫様が、どのようなご用件でお越しに?」

「お初にお目にかかります。私、春日桜と申します。こちらはリューベンハイト王国のエリザベート・グラシエル様。ヒノモトの文化を、世界へ伝えたいと願っておられます」

「……リューベンハイト、だと?」

源蔵の眉がぴくりと動く。

「はい! 私はリューベンハイトにヒノモトの食文化を伝えたいと思っておりますの。それゆえ、和食に欠かせない調味料である醤油を是非とも輸入させていただきたいと存じまして……」

私の言葉を受けて、彼は蔵の奥をゆっくりと視線をやった。

「女の口から、商いの話を聞く日が来るとはな……」

ふう、と重いため息が落ちる。その声には、隠しもしない冷たい嘲りが混じっていた。

続けざまに、唇の端をわずかに歪める。

「姫様、悪いことは言わねえ。女が商いに口を出すものじゃない。家を守り、火を絶やさぬ。それが女の務めだ。ましてや、異国の者と商売など……そんな話、聞く筋合いはないな」

場の空気が、一瞬にして凍りつく。

木桶の奥から聞こえていた作業の音も止み、ただ静寂だけが支配した。私は必死に声を保とうとしたが、その声には痛みと悔しさが滲んでいた。

「……それでも、申し上げます。私は、あなた方の技と誇りを、決して軽んじるつもりはございません。ただ――この味を、我が国へと。いいえ、“未来”へと繋ぎたいのです」

「未来、だと? この味は、守るもんであって、やたらめったらに広げるもんやない」

「いえ、私はこの味を守る為にも……」

「余計なお世話だ!」

私は、彼の頑なな眼差しを見つめながら、心の中で溜息をついた。この国の閉ざされた扉を開くには、まだ長い時間がかかりそうだ。

けれど――それでも、この壁を越えねばならない。それが、私の使命だと感じていた。

「……分かりました。今日のところは、これ以上は申しません」

私はそう告げて、ほんの一拍、間を置く。

「ですが――あなた方が守ってきたこの味が、いつかここだけに留まらず、世界へと伝わっていくことを。私も、心から願っております」

源蔵の眉が、わずかに動いた。

隣りにいたサクラが、深々と、礼を尽くすように頭を下げる。

「……本日は、貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」

踵を返しながら、痛感していた。この国が外へ向ける警戒と拒絶は、想像していた以上に、分厚い。

帰り道は、二人ともしばらく無言だった。

「サクラ、改めて今日はありがとう」

「いいえ、大してお力になれず……」

「そんなことはないわ」

即座にそう返すと、サクラは一瞬言葉を詰まらせ、視線を伏せた。

「……やはり、この国では、女は軽んじられていますね」

掠れた声に、苦い思いが滲んでいた。

「女が外に出て働くことも、学ぶことも、いまだに多くの者には認められていません。今日、改めて痛感しました」

「……そうね」

私が外国の者だから警戒されているのも感じた。けれど、それだけではない。サクラの言う通り、女の身であることも、理由のひとつなのだろう。

しばらく、足音だけが続いた。それでも私は、下を向いたままで終わらせる気はない。

「……サクラ」

「はい」

「それでも私は、諦めないわ。また交渉しにいくわ!」

その目に、一瞬の驚きと、じわりと滲むような嬉しさが浮かんでいた。その表情を、私は見逃さなかった。

「はい! 私もお供します」