軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第55話 旅路の一閃

公爵領を発ってから、三日ほどが過ぎていた。

道中はおおむね順調だった。

公爵家の馬車は頑丈で揺れも少なく、街道沿いの宿場町も、さすが王都へ通じる道だけあってそれなりに整っている。

ただ、旅は旅だ。

朝早くに発ち、昼に短く休み、日が傾く前には次の宿場か休憩地を目指す。

城の中にいた時みたいな気楽さはない。

馬車の中では、向かいにセレナ、その隣に彼女付きの侍女。

俺の隣にはミアが座っている。

外には、公爵家の護衛二人が騎乗で並走し、少し後ろには三人組の冒険者が乗る別馬車が続いていた。

公爵家の用意した隊列だけあって、見た目にもかなりしっかりしている。

これなら、よほどのことがない限りは問題ない――本来なら、そう思ってよかったはずだった。

その日の昼過ぎ、馬車は少しずつ人気の薄い地帯へ入っていた。

左右の景色は、背の低い林と起伏のある草地が続いている。

街道そのものは整備されているが、周囲には人の気配が少ない。

護衛の一人が馬を寄せて、御者へ短く声をかけるのが聞こえた。

「この先は少し警戒を」

それだけで、馬車の中の空気がほんの少し変わる。

「魔物が出やすい場所なんですか?」

ミアが小声で聞くと、セレナ付きの侍女が外の気配をうかがいながら答えた。

「街道沿いなので滅多なことはありませんが、周囲に林が多い地帯は、どうしても出る時があります」

セレナは窓の外へ目を向けたまま言う。

「公爵領の中でも、ここは少し厄介な場所よ。群れが流れてくることがあるって聞いたことがある」

「群れ?」

「縄張りが崩れた時とか、餌場が変わった時とか。普段なら街道まで寄ってこない魔物が、たまに押し出されるみたいに出てくるの」

なるほど。

ただ一匹、二匹じゃない可能性がある、ということか。

そう思った矢先だった。

前方で、馬が短くいななく。

次の瞬間、馬車が急に止まった。

「きゃっ」

ミアが小さく声を上げ、俺はとっさに手をついて身体を支える。

外から、護衛の鋭い声が飛んだ。

「止まれ! 前方、魔物!」

馬車の扉が開かれるより早く、外ではもう動きが始まっていた。

俺たちを乗せた馬車の前方、街道脇の林から、四足の魔物が次々に飛び出してくる。

犬に似ているが、身体は一回り大きく、肩のあたりに硬そうな毛が逆立っている。

目が赤い。

数は――多い。

六。

いや、奥にもう二匹。

「街道沿いでこれは……!」

護衛の一人が低く舌打ちする。

もう一人はすでに剣を抜いていた。

後ろの冒険者馬車も止まり、三人組が飛び降りてくる。

一人は大剣。

一人は短槍。

そしてもう一人は双剣だ。

「数が多いな!」

「馬車から離すぞ!」

判断が早い。

護衛二人が前へ出て、冒険者たちが左右へ散る。

道を塞がせず、馬車へ近づけさせないように動いているのがすぐにわかった。

訓練されている。

連携も悪くない。

最初の一匹が飛びかかる。

護衛の剣が斜めに閃き、肩口を深く裂いた。

すぐ横では槍の冒険者が二匹の進路をずらし、双剣の男が懐へ潜って喉元を裂く。

速い。

さすがに場数が違う。

けれど、数が多い。

しかも街道脇の林が近いせいで、視界の外からもう一匹、もう一匹と出てくる感じがあった。

俺は馬車の扉の陰から外を見ながら、魔物の動きを追う。

視界の端に、薄青い文字が浮かぶ。

《個体数:八》

《脅威:中》

《包囲傾向:あり》

《綻び:一体、右後方より接近》

右後方。

瞬間、背筋が冷えた。

冒険者の双剣使いが前の一匹を仕留めた、そのすぐ後ろ。

林の影から、もう一匹が低く身を沈めていた。

気づいていない。

護衛は前方に押し出されている。

槍の男も別の個体を受けている。

双剣の男の背中だけが、ほんの一瞬空いた。

「後ろ――!」

叫ぶより早く、身体が動いていた。

右手を出す。

火を集める。

そこへ風を細く、鋭く、逃がさないように重ねる。

大きくはいらない。

散らせば間に合わない。

点だ。

細く、真っ直ぐ。

次の瞬間、指先から赤白い線が走った。

火球じゃない。

炎の塊でもない。

細い。

だが、一直線に伸びたそれは、空気を焼きながら魔物の眉間へ吸い込まれた。

ぱし、と乾いた音がした。

飛びかかった魔物の頭が後ろへ跳ね、そのまま地面へ叩きつけられる。

一瞬だけ、戦場が止まった。

「……は?」

冒険者の男が、振り返りながら間の抜けた声を漏らす。

護衛も、槍の冒険者も、一瞬だけこちらを見た。

その隙を作るほどではない。

だが、明らかに動揺は走った。

今の一撃で流れが崩れたのは、むしろ魔物の側だった。

「今だ、押し返せ!」

護衛の一人がすぐに叫ぶ。

そこから先は早かった。

前に出ていた護衛が残りを切り崩し、槍の男が足を止め、双剣の冒険者が今度こそ確実に首筋へ刃を入れる。

二匹が逃げようと林へ身をひるがえしたが、その一匹は護衛の投げた短槍で止まり、もう一匹も冒険者の大剣で叩き伏せられた。

静かになった時には、街道の上に魔物の死体がいくつか転がっていた。

血の匂い。

焼けた匂い。

土の匂い。

心臓が、少し遅れて強く鳴る。

「今のは何だ……?」

最初にそう言ったのは、背後を救われた双剣の冒険者だった。

息を整えながら、こっちを見ている。

俺はまだ馬車のそばに立ったままだった。

手の先に、じわりと熱が残っている。

護衛の一人が、倒れた魔物と俺を見比べる。

「火魔法……いや、違うな。あんな魔法は見たことがない」

もう一人も眉を寄せた。

「風を重ねたのか?」

そこまで見えるのか。

さすがに経験がある。

セレナが馬車から半身を乗り出し、少し目を見開いていた。

「今の、あなたが?」

「……うん」

自分で撃っておいて何だが、あまり長く説明する気にはなれなかった。

双剣の冒険者が近づいてきて、真面目な顔で頭を下げる。

「助かった。あのままだったら、やられていたぞ」

「間に合ってよかったです」

「よくあの一瞬で撃てたな」

それには答えに少し困る。

見えたからだ。

綻びの目で。

でも、それをそのまま言うわけにもいかない。

「たまたまですよ」

そう言うと、冒険者の男は一瞬だけ黙って、それから苦笑した。

「たまたまで済ませる威力じゃなかったぞ」

護衛の一人が周囲を警戒しながら言う。

「まだ寄ってくる可能性があります。ここで長く止まるのは危険です」

「死体の確認だけして動こう」

隊列はすぐに立て直された。

そこもさすがだった。

その日の夕方、俺たちは予定していた宿場町へ入った。

街道沿いのやや大きめの町で、宿や飲食なども整っている。

宿の近くの厩に馬を預け、荷を運び込み、ようやく本当に一息ついた時には、

身体の奥に残っていた緊張がどっと抜けた。

食堂の隅で遅い食事を取っていると、槍の冒険者がこちらへ来た。

三人組の中では一番年長に見える男だ。

「昼の件、礼を言っておく」

「全員無事にここまでたどり着けてよかったです」

「普通の火魔法なら、火球で吹き飛ばす。だが、お前さんのは違ったな」

彼はそこで少しだけ間を置いた。

「細いのに、妙に速い」

「……そうかも」

「学院へ入る前の子どもが使う魔法には見えん」

率直だな、と思う。

でも、嫌な感じはしなかった。

セレナが横から静かに口を挟む。

「もともと、少し変わっているのよ」

「どこが変なんだよ」

思わずそう返すと、セレナは肩をすくめた。

「少しじゃなくて、かなり、かもしれないわね」

ミアはというと、まだ少し青い顔のまま湯気の立つ茶を両手で持っている。

「こ、怖かったです……」

「うん」

「でも、リオン様が撃った時、もっと怖かったです」

「え?」

「細かったのに、こう……一瞬で、すっと……」

言いたいことはわかる。

ルークがここにいれば絶対に騒いでいただろうな、と少しだけ思った。

そこから先の旅は、最初の数日よりも慎重になった。

宿場町をいくつか経由しながら、隊列は街道を進む。

大きな襲撃はもうなかったが、護衛も冒険者も以前より周囲をよく見ていた。

あの地帯で、あれだけまとまった魔物が街道へ出てきたのは珍しい。

馬車の中で、セレナがぽつりと言った。

「護衛が厚くて正解だったわね」

「うん」

「父上、やっぱり用心深いのよ」

「公爵家だしね」

「それだけじゃないわ」

そう言ってから、彼女は少しだけ目を伏せた。

「たぶん、あなたがいるからでもあると思う」

それがどういう意味なのか、少しだけ考える。

でも今は、そこを言葉にする必要もなかった。

さらに二日ほど進んだ昼過ぎだった。

街道が緩やかな丘を越えた、その先で、御者が小さく声を上げた。

「見えてきました」

窓の外へ目を向ける。

遠い。

だが、確かに見えた。

地平の向こうに、長く伸びる灰白色の線。

その内側に、いくつもの塔。

陽を受けて鈍く光る巨大な城壁。

「……王都」

小さく呟くと、ミアが息を呑んだ。

「大きい……」

セレナも、窓の外を見たまま言う。

「ええ。何度か来ていても、やっぱりそう思うわ」

たしかに大きい。

公爵領の城下町ともまた違う、国の中心の大きさだ。

旅路の中で、危険もあった。

魔物も出た。

思っていたより早く、自分の魔法を命に関わる場面で使うことにもなった。

でも、その全部を越えた先に、ようやく王都が見えている。

馬車はそのまま街道を進んでいく。

巨大な城壁が、少しずつ大きくなる。

学院。

新しい生活。

新しい人間関係。

胸の奥で、何かが静かに切り替わるのがわかった。