軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第52話 公爵領での日々

公爵領に滞在することが決まってから、俺は一つ、はっきり感じていたことがある。

ここは、学ぶことが多すぎる。

人の数。

物の流れ。

金の動き。

報告の上がり方。

領主家と現場の距離。

ハル領を立て直したいと思っている今の俺にとって、公爵領はただ大きいだけの場所じゃなかった。

現場を見るにも、運営を見るにも、何もかもが一段階上にある。

同じ「領地」でも、ここまで規模が違うと、抱える問題の形まで変わるのだと実感する。

だからこそ、この滞在はありがたかった。

合格の報告と礼を伝えるだけで終わるには、あまりにも惜しい。

そんなことを考えていた朝だった。

「リオン!」

中庭へ出る前に声をかけてきたのは、ルークだった。

朝の空気はまだ少し冷たい。

その中で、ルークはすでに動きやすい服に着替えていて、木剣を肩に担いでいる。

「おはよう」

「おはようじゃないよ。ちょうど良かった。今から修行なんだ」

「修行?」

「うん。領軍の人に剣を見てもらう日なんだ。リオンも来ない?」

いかにも年相応の明るい誘い方だった。

けれど、ただ遊び半分で言っているわけでもないのはわかる。

ルークはまだ少年だ。

でも、自分がいずれこの大きな領を率いる立場にあることは、きちんと自覚している。

だから勉強もするし、こうして剣の修行にも出る。

俺は少しだけ考えた。

ハル領も、西の森をひらけば、いずれ護衛や軍備のことをちゃんと考えないといけない。

魔物だっている。

全部を人任せにしていい話でもない。

「……いい機会かも」

「じゃあ来る?」

「うん。行く」

そう答えると、ルークはぱっと顔を明るくした。

「よし!」

領軍の訓練場は、城の外れに近い広い場所にあった。

朝の光の中で、兵たちがすでに身体を動かしている。

槍を振る者。

走る者。

盾を持って組む者。

ハル領で見る兵よりも人数が多い。

動きも揃っている。

公爵領の厚みは、こういうところにも出るのだとすぐにわかった。

ルークに剣を教えているのは、三十代半ばくらいの男だった。

無駄のない体つきで、声がよく通る。

「おや、今日はお連れがいる」

「はい。リオンです。ハル領の」

「噂は聞いておりますよ」

男はそう言ってから、俺の方を見た。

「剣は?」

「……ほとんど初めてです」

「ほう」

笑いもしない。

ただ、その返事をそのまま受け取っただけだった。

「では、まず構えから参りましょう」

素直に従う。

木剣を握る。

足を開く。

重心を意識する。

――難しい。

いや、難しいどころじゃない。

ぎこちない。

自分でも驚くくらい、身体が言うことを聞かない。

「力が入りすぎです」

「はい」

「肩を上げない」

「はい」

「腰が浮いています」

「……はい」

隣ではルークが、年齢のわりにずいぶんまともに動いている。

もちろん完璧ではないが、少なくとも俺みたいに全部がちぐはぐ、という感じではない。

木剣を打ち込む動きも、それなりに形になっていた。

「リオン、もっとこうだよ」

「見ればわかるんだけど、できないんだよ」

「なんで?」

「こっちが知りたい」

思わずそう返すと、ルークが笑った。

だが、笑い事ではない。

身体強化や魔法の制御とは、また別の難しさがある。

むしろ変に頭で考えすぎるぶん、余計に身体が固まる気すらした。

こんなことになるなら、前世で学校の剣道をもう少し真面目に受けておけばよかった。

いや、あれは竹刀だし、今は木剣だし、そもそも全然別物かもしれないけど。

それでも「こういう時に少しは役立ったのかもな」と思わずにはいられなかった。

「……これはひどいな」

気づけば、小さくそんな声が漏れていたらしい。

訓練を見ていた男が、口元だけ少し動かした。

「初めてにしては、そこまで悪くありません」

「慰めが下手ですね」

「剣は、すぐ上手くなるものではありませんので」

その言い方は案外嫌いじゃなかった。

できないことを、できないまま言ってくれる人の方が信用できる。

一通り身体を動かしたあと、訓練場の端で息を整えていると、ユリウスがこちらへ歩いてきた。

「おや。朝から頑張っているね」

「見てましたか」

「少しだけ」

少しだけ、という顔ではない。

たぶん最初から結構見ていた。

ユリウスは俺の手元の木剣を見て、やわらかく笑った。

「どうだったかな」

「剣術が得意じゃないことは、よくわかりました」

「それも大事な発見だ」

からかう感じではなく、本気でそう言っているのがこの人らしい。

それからユリウスは少しだけ真顔になった。

「でも、学んでおいて損はないと思うよ」

「西の森、ですか」

「そうだ」

やっぱりそこに繋がる。

「ハル領の西をひらいていけば、いずれ魔物と向き合う機会も増えるだろう。

常に自分で戦う必要はない。だが、わかっているのとまったく知らないのでは違う」

「……はい」

「ルークと一緒に、朝だけでも見てもらってはどうかな」

それは、かなりありがたい提案だった。

ありがたい、というより、またここでも世話になってしまうな、という気持ちの方が先に来る。

王都での家庭教師。

学院への準備。

公爵領への招待。

そして今度は剣術まで。

「本当に、お世話になってばかりですね」

思わずそう言うと、ユリウスは軽く首を振った。

「なに、礼はいらないよ」

「でも」

「昨日、君にはうちの領のことを色々と見てもらった」

そう言って、いつもの穏やかな目でこちらを見る。

「その返礼だと思ってくれればいい」

その言い方が、この人らしかった。

助けてやっている、ではない。

貸し借りを重くするでもない。

ちゃんと釣り合うように言葉を置いてくれる。

だから、こちらも素直に受け取りやすい。

「……ありがとうございます」

「うん」

ユリウスは一つ頷くと、少しだけ困ったように笑った。

「それと、ついでと言ってはなんだけど」

「はい?」

「ルークばかりに付き合っていると、セレナが少し機嫌を悪くするかもしれない」

「え?」

その言葉に、ちょうど水を飲んでいたルークが吹き出しかけた。

「姉上、そんなにわかりやすいかな」

「君が思うよりは、ね」

ユリウスはまったく悪びれずに続ける。

「だから、朝の剣のあと、昼まではセレナの勉強にも付き合ってやってほしい」

「勉強、ですか」

「学院へ入る前に、あの子も仕上げておきたいところがあるらしい」

それは要するに、勉強を見てほしいということだろう。

そしてたぶん、セレナの方もそれを完全には嫌がらない。

むしろ嫌なら、ユリウスはこんな言い方をしないはずだ。

「わかりました」

そう答えると、ユリウスは満足そうに頷いた。

「助かるよ」

その日の昼前、言われた通り俺は書庫へ向かった。

窓際の席には、すでにセレナが座っていた。

開かれた本。

横に積まれたノート。

きっちりしている。

でも、俺の顔を見た瞬間、ほんの少しだけ眉が動いた。

「来たのね」

「来てって言われたから」

「父上に?」

「うん」

「……そう」

その返事が妙に短い。

席に着くと、俺は軽く肩を回した。

剣術で変なところに力が入っていたらしく、少しだけ腕が重い。

その様子を見て、セレナが言った。

「朝からルークと剣の修行だったんですって?」

「そう」

「どうだったの?」

聞き方は平静だった。

でも、少しだけ気になっているのがわかる。

「全然だめだった」

素直にそう答えると、セレナは一瞬黙って、それからふっと笑った。

「そう」

「嬉しそうだね」

「少し安心しただけよ」

「何に?」

「あなたにも、ちゃんと苦手なものがあるんだと思って」

その言い方が妙に正直で、こっちも少し笑ってしまった。

「あるよ。かなりね」

「それなら良かったわ」

彼女はそう言って本を閉じる。

「今日は歴史と制度、それから少し計算を確認したいの」

「了解」

「それと、もし余裕があれば、学院の上級課程で扱うらしい経済の基礎も」

「ずいぶん欲張るね」

「あなたに言われたくないわ」

それもそうだった。

午後はユリウスか筆頭執事のどちらかが時間を取ってくれて、公爵領の運営について見せてもらうことになった。

城内の執務区画。

報告の上がり方。

領内の主要な街道。

どこに人と物が集中しているか。

どこに金が落ちるか。

小領地では見えにくいものが、ここでは形になって見える。

人。

もの。

金。

それらがどう動くかを、現場側と運営側の両方から学べる。

これがどれだけありがたいことか、今の俺にはよくわかった。

剣術では全然敵わない。

勉強ではセレナに付き合う形になっているけれど、結局こっちも学ぶことが多い。

そして午後は、大領地の仕組みそのものを見せてもらえる。

忙しい。

でも、嫌じゃない。

むしろ、こういう時間が欲しかったのだと思う。

朝はルークと剣。

昼まではセレナと勉強。

午後は公爵領の運営を学ぶ。

そういう日課が、その日から自然に決まった。

夕方、客室へ戻る廊下を歩きながら、俺は小さく息を吐いた。

公爵領に来てから、ただ圧倒されるだけの時間はもう終わった気がする。

ここからは、ちゃんと吸収して持ち帰る時間だ。

学べることが多い場所に身を置ける。

それだけで、十分ありがたかった。