軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編① あの子が作った流れ ~リオン父~

最近、少しだけ身体が軽い。

朝、目を開けた時の息苦しさが前より薄い。

階段を上がっただけで胸が焼けるように痛むことも減った。

侍医は、食事が良くなったことと、無理な気苦労が減ったことが大きいのだろうと言っていた。

それを聞いた時、私は思わず苦笑した。

気苦労が減った。

まったく、その原因を取り除いたのが十二歳の息子だというのだから、領主として情けないにもほどがある。

窓の外では、屋敷の中庭を風が抜けていく。

少し前までなら、その音を聞くだけで胃の奥が重くなった。

税は足りない。

倉は減る。

村は痩せる。

自分の身体はいうことを聞かない。

何かが狂っているとわかっていても、それがどこから崩れているのか見えなかった。

領主でありながら、自分の領地の綻びを掴めないでいたのだ。

だが今は違う。

北村には若い者が戻り、南村の倉から腐臭が薄れた。

石切り場は、前のような死んだ目の労働場ではなくなった。

帳面の数字も、わずかずつだが確かに変わり始めている。

それは私が作った流れではない。

あの子が作った流れだ。

リオンは、生まれた時から妙に静かな子だった。

よく泣かない子だった、という意味ではない。

赤子らしく泣きもしたし、熱を出せば苦しそうにもした。

だが、何というか――目が違った。

こちらを見る目が、赤子のそれではなかった。

じっと、何かを確かめるように見るのだ。

最初にそれを口にした時、エマは笑った。

「あなた、親ばかが早すぎるわ」

そう言われて、私も笑った。

笑ったが、心のどこかに違和感は残っていた。

一歳になるころには、本を触りたがるようになった。

もちろん読めるわけではない。

だが絵本ではなく、私が机に置いていた領地記録や古い家系書のほうへ手を伸ばす。

乳母が慌てて取り上げようとすると、ひどく不満そうな顔をしたものだった。

五歳になるころには、その違和感はもうはっきりしていた。

大人の会話を聞いている。

しかも、ただ音として聞いているのではない。意味を取っている。

ある日の夕食で、家臣の一人が「北倉庫の塩がまた減っておりますな」と軽くこぼしたことがあった。

その時、隣でスープを飲んでいたリオンが何でもない顔で言った。

「減ってるなら、誰が出したか見ればいいのに」

食卓が、一瞬止まった。

もちろん、子どもの口出しだ。

その場では皆、笑って流した。

だが私はその夜、妙に寝つけなかった。

子どもらしい無邪気さというより、話の芯を先に掴む物言いだったからだ。

庭師が手を抜いていること。

使用人同士のぎこちない空気。

家臣の一人が妙に父親らしい顔で私に近づいてくる時と、そうでない時の差。

リオンは、幼いころからそういうものによく気づいていた。

頼もしいと思った。

同時に、少しだけ怖くもあった。

子どもらしくない、というのは、親にとって必ずしも喜ばしいことばかりではない。

この子は何を見ているのだろう。

どこまでわかっているのだろう。

そう考えることが、一度や二度ではなかった。

私が自分の身体に不安を覚えるようになったのは、リオンがまだ小さい頃からだ。

元から丈夫な方ではなかった。

だが、年を追うごとに疲れが抜けにくくなり、冬を越えるたびに何かが削れていく感覚があった。

領主の仕事は待ってくれない。

村は季節ごとに問題を起こし、家臣は判断を求め、王都からの書状は遅れた分だけ面倒を連れてくる。

身体が思うように動かなくなるたび、私は一つの考えを振り払えなくなった。

――もしかしたら、リオンが若いうちにこの座を渡すことになるかもしれない。

それは本来、父として願うような未来ではなかった。

だが現実として、考えざるを得なかった。

だからこそ、私はあの子に期待していた。

賢い。

落ち着いている。

人を見る目もあるように見える。

領地を背負うには、剣の腕だけでは足りない。

頭が要る。

耐える力が要る。

見誤らない目が要る。

そういう意味で、リオンには確かな素質があると思っていた。

それだけに――スキル授与の日の落胆は大きかった。

《綻びの目》。

神官にその名を告げられた瞬間、私は胸の奥から冷たいものが落ちるのを感じた。

知っていたからだ。

そのスキルが、不遇とされてきたことを。

見えるだけ。

役に立たない。

人に疎まれる。

そういう話ばかりを聞いてきた。

領地は傾き、私の身体は弱り、ようやく見出した希望の先で、息子が「ハズレ」を引いた。

あの時の私は、父親である前に、弱った領主だったのだと思う。

だから、口にしてしまった。

これでハル家も終わりか、と。

今でも、あの一言は胸に刺さっている。

息子は何も悪くない。

むしろ、自分の力で立つ前の子どもに対して、私は先に膝を折ったのだ。

あの時のリオンの顔を、私はよく覚えている。

悲しみも、怒りも、驚きもなかった。

ただ静かに、何かを決めたような顔をしていた。

それが後になって思えば、あの子が動き始めた瞬間だったのだろう。

毒のことを聞かされた時、最初は信じられなかった。

自分は病で弱っているのだと思っていた。

食が細くなり、身体が重くなり、息が切れる。

全部、自分の弱さと年齢のせいだと思っていた。

それを、息子が見抜いた。

しかも、ただ「おかしい」と言うだけではなかった。

倉の横流し。

帳簿の綻び。

家臣バスクの不正。

それらが一本につながっているところまで見ていた。

私が長年そばに置き、頼りにしていた男の裏を、十二歳の息子が先に見抜いたのだ。

情けなかった。

悔しかった。

同時に、救われた。

あの時、私は初めてはっきり理解した。

《綻びの目》はハズレではなかった。

ハズレだったのは、その目の意味を理解できなかった大人たちの方だ。

リオンは、スキルを授かってから一度も悲観しなかった。

それどころか、まるで前からそう決めていたかのように、次々と動き始めた。

北倉庫。

石切り場。

北村。

南村。

青葉草。

初荷。

王都。

あの子は、一つ綻びを見つけるたび、その先へ進んだ。

ただ悪を暴くだけではなく、暴いた後にどう立て直すかまで考えていた。

私はその背中を見ながら、何度も思った。

私は、本当にこの子の父親なのか、と。

血筋としてではない。

器としてだ。

だが、だからこそ立ち止まるわけにはいかなかった。

息子が作った流れを、父である自分が絶やすわけにはいかない。

最近は、食卓に並ぶものも少しずつ変わった。

以前より、まともな肉と野菜が出る。

南村から届く豆の質も良くなった。

青葉草で香りをつけた肉料理が出た日には、思わず食が進んだ。

侍医は「栄養が戻れば体も応えます」と言った。

たしかにその通りなのだろう。

だが私は知っている。

食生活だけではない。

領地の流れそのものが少しずつ良くなっているから、私の身体も前よりましになっているのだ。

人は、食うもので生きる。

だが、何を背負っているかでも生きる。

終わる領地の領主でいるのと、立て直し始めた領地の領主でいるのとでは、同じ身体でも重さが違う。

私は今、ようやくもう一度立てるところまで戻ってきた。

リオンが、そこまで引き上げた。

だとしたら次は、私の番だ。

あの子はいずれ王立学院へ行くかもしれない。

王都で学び、もっと大きな理を知ることになるだろう。

それはハル領にとって必要なことだ。

だが同時に、あの子が領を離れる時間でもある。

だからこそ、その間に流れを止めないだけの土台を、私が作らなければならない。

あの子が作ったこの勢いを、絶やさない。

領主として。

そして父として。

窓の外では、北村から届いた青葉草が中庭の一角で干されている。

風が吹くたび、青い香りが少しだけ執務室まで届いた。

あの草も。

石切り場の青輝石も。

南村の倉も。

全部、息子が動かした流れの中にある。

私は椅子からゆっくり立ち上がる。

まだ、少し足は重い。

だが以前のように、立つこと自体が億劫ではなかった。

「ガルド様?」

入ってきた使用人が、少し驚いた顔をする。

「どうされましたか」

「いや」

私は中庭の方を見たまま答えた。

「今日の帳面をもう一度持ってきてくれ」

使用人がうなずき、すぐに下がる。

私にはもう、ただ息子を眺めているだけの時間はない。

あの子が作った流れを、領地の川に変える。

細い糸のような変化で終わらせず、誰にも簡単には止められない流れにする。

それが、今の私の役目だ。

リオンは確かに、子どもらしくない。

だが、それでいい。

あの子が子どもらしくなく立ったのなら、父である私は、父親らしく甘えるのではなく、領主らしく立たなければならない。

私は小さく息を吐き、胸の奥で一つだけ言葉を固めた。

――あの子が作った流れを、絶対に絶やさない。