軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第225話 司法院調査官を迎える準備

自室を出ると、廊下には太陽の光が差し込んでいた。

王都から戻ってきたばかりだというのに、屋敷の空気はいつもと変わらない。

使用人たちが静かに動き、遠くから食器の触れ合う音が聞こえる。

その普通さが、少しだけ不思議だった。

王都では、黒い魔石片の件が司法院へ上がった。

ヴァレスト公爵が動き、調査官が早馬でこちらへ向かっている。

けれど、ハル領の屋敷では、まだその全員が事情を知っているわけではない。

まずは、動ける者に伝えなければならない。

俺は近くにいた使用人を呼び止めた。

「ノルとレナードを呼んで」

「かしこまりました」

使用人が頭を下げて去っていく。

俺はそのまま小さな応接室へ向かった。

父上に報告する前に、まず実務を動かす二人へ伝える。

ノルは騎士団の責任者。

レナードは記録を扱う文官。

司法院の調査官を迎えるなら、この二人が中心になる。

しばらくして、ノルが先に入ってきた。

「若様」

続いて、レナードが帳面を抱えて姿を見せる。

「お呼びでしょうか」

二人とも、俺が王都から戻ってきていることに驚いた顔をした。

ただ、ノルはすぐに表情を引き締める。

昨日、俺がどうやって王都へ行ったかを知っているからだろう。

「王都で報告してきた」

俺は椅子に座らず、そのまま二人へ向き直った。

「王都ギルドで黒い魔石片の記録を確認した。王都西南の森で出たものと、かなり特徴が近い」

レナードの手が、帳面の上で止まる。

「やはり、同じ系統のものですか」

「断定はまだ。でも、ギルド側はかなり重く見ている」

俺は続けた。

「それと、捕らえた男のこと。王都ギルドの記録でも、灰狼の牙という盗賊団の頭目にガザルという名前があった」

ノルの目が鋭くなる。

「灰狼の牙……」

「王都周辺や複数の領地で悪事を働いていた盗賊団らしい。薬草、魔石片、魔物素材の闇取引にも関わっていた可能性がある」

レナードが小さく息を呑んだ。

「では、あの男が本当にガザルであれば……」

「ハル領だけの事件では済まない」

俺がそう言うと、部屋の空気が少し重くなった。

ノルが低く言う。

「王都側はどう動きますか」

「司法院へ上がった。ヴァレスト公爵が直接判断して、調査官を二名、護衛付きでこちらへ向かわせている」

「司法院の調査官が……」

「早馬だから、到着はおそらく翌々日」

レナードはすぐに帳面を開いた。

「迎える準備が必要ですね」

「うん。調査官が見るのは、まず現物と現場だと思う」

俺は指を折りながら整理する。

「黒い魔石片。死骸魔物の残骸。森の奥の術式跡。捕らえた男の拘束状況。あとは、誰が何を見たかの証言」

「記録は整理してありますが、司法院向けに並べ直した方がよさそうです」

「お願い」

レナードは頷いた。

「第一陣、第二陣の発生位置も、図にした方がよいですね」

「そうだね。作業場をどう襲ったかが分かるようにしたい」

ノルが続ける。

「詰め所の警備も見直します。司法院の方々が来るまで、あの男を逃がすわけにはいきません」

「状況は?」

「名は名乗っておりません。食事も水も、こちらで確認してから与えています。見張りは常時二名。交代時には私か副官が確認しています」

「魔法は?」

「使わせておりません。手元、口元、足元を常に見ています。自害も警戒しております」

さすがに抜かりはない。

俺は小さく頷いた。

「司法院の調査官が来るまで、そのまま厳重にお願い」

「承知しました」

レナードが、帳面に必要な項目を書きつけていく。

「証言を取る候補も整理しておきます。ノル様、退避誘導に関わった護衛の名を後ほど確認させてください」

「分かった」

「西の森の現場責任者にも、当日の動きを確認しておきます」

「あと、軽傷者の記録も」

「はい。転倒した者、荷車にぶつかった者、枝で腕を切った者ですね」

話が、少しずつ実務に落ちていく。

王都で大きくなった話が、今度はハル領の帳面と現場へ戻ってくる。

それが、少しだけ不思議だった。

「次に父上へ報告する」

俺が言うと、ノルとレナードが揃って頷いた。

「我々は準備を進めます」

「うん。頼む」

父上の部屋へ向かうと、母上がそばにいた。

父上は寝台に上半身を起こしている。

昨日より顔色が少し疲れて見えた。

無理をさせたくない。

だから、長く話すつもりはなかった。

「戻ったか、リオン」

「うん。ただいま、父上」

母上が心配そうに俺を見る。

「王都で何かあったの?」

「報告はできた。司法院も動いてくれた」

父上の目が静かに細くなる。

「そうか」

俺は、できるだけ短く説明した。

王都ギルドで黒い魔石片の記録を確認したこと。

王都西南の森の件と特徴が近いと見られていること。

灰狼の牙という盗賊団の記録があり、その頭目がガザルとされていること。

捕らえた男がそのガザルである可能性が高まったこと。

司法院の長であるヴァレスト公爵が、調査官をハル領へ送る判断をしたこと。

調査官は早馬で向かっており、翌々日には到着する見込みであること。

父上は黙って聞いていた。

俺が話し終えると、ゆっくり息を吐く。

「ハル領だけの問題ではなくなったな」

「うん」

「いや、最初からそうだったのだろう」

父上の声には、悔しさが混じっていた。

病床にいる自分が動けないことも、きっと重いのだと思う。

俺は首を振った。

「父上が昨日、証拠と推測を分けろって言ってくれたから、王都でもそこは間違えずに話せたよ」

父上は少しだけ目を伏せる。

「そうか」

「ヴァレスト公爵にも、そこは評価された」

「なら、よかった」

母上が静かに口を開いた。

「調査官の方々を迎えるなら、屋敷としても準備が必要ね」

「うん。ただ、父上に長く対応してもらう必要はないと思う」

父上は俺を見る。

「私は領主だ。正式な挨拶はする」

「でも、無理はしないで」

「分かっている」

父上は少しだけ苦笑した。

「今の私は、長く座っているだけでも母上に叱られる」

母上が眉を上げる。

「分かっているなら、無茶はなさらないでください」

「分かっている」

父上はそう答えてから、俺へ視線を戻した。

「リオン」

「うん」

「調査官には、隠すな。飾るな。見たものを、そのまま出せ」

「分かった」

「ハル領の失態に見える部分があっても隠すな。

退避誘導が不十分だったことも、作業員が迷ったことも、すべて出せ」

「うん」

「その方が、次に守れる」

俺は頷いた。

父上は病床でも、やはり領主だった。

都合の悪いことを隠すのではなく、次のために出す。

その姿勢は、今のハル領に必要なものだ。

「実務は、ノルとレナードに任せます」

「それでよい」

「父上は、調査官が来た時に短く挨拶だけお願いします」

「任せろ」

母上が少しだけ心配そうに父上を見たが、何も言わなかった。

俺は頭を下げ、部屋を出た。

それから二日間、屋敷と西の森は静かに慌ただしくなった。

表向きは大騒ぎにしない。

だが、準備は着実に進んでいく。

レナードは帳面を何度も並べ直した。

それらが、調査官に見せられる形へ整えられていく。

ノルは詰め所の警備を強めた。

見張りの交代手順を見直し、捕らえた男に近づく者を制限する。

食事も水も、必ず確認してから出す。

縄や拘束具の点検も増やした。

黒い魔石片は、封をした箱に入れられた。

箱には、いつ、どの魔物から出たものかを記した札がつけられる。

レナードが封印の記録を取り、ノルが保管場所の警備を確認した。

西の森では、術式跡の周囲に縄が張られた。

誰かが踏み荒らさないよう、木札も立てる。

死骸魔物の残骸は、臭いと腐敗に気をつけながら、確認できる範囲で保管された。

現場責任者は、当日その場にいた作業員の名前を確認していた。

すべてを完璧にできたわけではない。

だが、少なくとも、司法院の調査官が来た時に何も分からないという状態ではない。

父上は、短い署名だけを行った。

母上はそのそばに付き添っていた。

俺は何度か西の森へ行きたいと思ったが、ノルに止められた。

「若様は、調査官の到着に備えて屋敷にいてください」

そう言われると、反論しづらい。

確かに、今は走り回るより、全体を見ておく方がいい。

そして、翌々日の昼前。

屋敷の正門に、早馬の一団が到着した。

先頭には、司法院の紋章を示す小さな旗。

調査官が二名。

その後ろに護衛の騎士が数名。

馬はかなり疲れている。

王都から急いで来たのが、一目で分かった。

俺とノル、レナードは屋敷前で迎えた。

調査官たちは馬を降りると、すぐに姿勢を正した。

「ハル領領主、ガルド・ハル殿へ。王都司法院より参りました」

その声は硬い。

だが、高圧的ではなかった。

あくまで正式な手続きとして来ている。

「遠路ご苦労さまです」

俺がそう言うと、調査官の一人が俺を見る。

「リオン・ハル殿ですね。王都での報告、確認しております」

「はい」

「まずは領主殿へご挨拶を」

「ご案内します」

父上の体調を考え、長くは話せないことを先に伝える。

調査官たちはすぐに頷いた。

「承知しております。ヴァレスト公爵閣下より、領主殿のご病状についても伺っております」

俺は少しだけ安心した。

ユリウス公爵は、そのあたりもちゃんと伝えてくれている。

父上の部屋では、母上がそばに立っていた。

父上は寝台の上で上半身を起こしている。

普段よりも背筋を伸ばしていた。

病人ではある。

だが、領主として迎えるつもりなのが分かった。

調査官たちは深く礼を取る。

「王都司法院の命により、ハル領西の森襲撃事件、ならびに捕縛者ガザルと思われる男について調査に参りました」

父上はゆっくり頷いた。

「遠路、ご苦労であった。ハル領として、調査に全面的に協力する」

「ありがとうございます」

「ただし、私はこの通り病床にある。

実務については、息子リオン、騎士団のノル、文官レナードを中心に対応させる」

「承知いたしました」

父上は、少しだけ息を整えた。

「ハル領で起きたことは、隠さず出す。

必要な証言、証拠、現場の確認には協力する」

調査官の表情がわずかに和らいだ。

「そのお言葉、確かに承りました」

長い挨拶ではなかった。

だが、それで十分だった。

父上は領主として、司法院の調査を正式に受け入れた。

それだけで、話の段階が変わった。

別室へ移ると、調査官はすぐに今後の流れを説明した。

「まず、捕縛者の確認を行います」

調査官の一人が言う。

「次に、黒い魔石片の現物と保管状況を確認します。

その後、西の森の現場を見せていただきます」

レナードが帳面を開いた。

「証言については、どの範囲まで必要でしょうか」

「騎士団のノル殿、文官であるあなた、現場責任者。

それから、第一陣と第二陣を直接見た者、退避誘導に関わった者から調書を取ります」

「承知しました」

ノルが続ける。

「捕縛者は騎士団詰め所で拘束しております。

魔法使用の可能性を警戒し、常時見張りを置いています」

「すぐ確認しましょう」

俺は調査官に聞いた。

「もし、捕らえた男が本当に灰狼の牙のガザルだと確認された場合、身柄はどうなりますか」

調査官は、少しだけ表情を引き締めた。

「王都司法院へ移送することになるでしょう」

「ハル領で裁くことにはならないのですか」

「ハル領で起きた事件であることは間違いありません。

ですが、灰狼の牙が関わるなら、被害は複数の領地にまたがります」

調査官は静かに続ける。

「さらに、王都西南の森の件との関連、黒い魔石片を使った危険術式、そして貴族関与の可能性もあります。王都で扱うべき案件です」

分かりやすい説明だった。

ハル領の事件ではある。

だが、ハル領だけで終わらせる話ではない。

父上が言っていたことと同じだ。

「貴族関与については?」

俺が聞くと、調査官はすぐに答えた。

「現時点では、調書には“可能性”として記します。

貴族名は、証拠が出るまで表に出しません」

「お願いします」

「ヴァレスト公爵閣下からも、その点は厳重に命じられています」

その言葉で、少し安心した。

ユリウス公爵は、ちゃんと線を引いている。

疑いと証拠を混ぜない。

それは王都でも、ハル領でも同じだった。

調査官は立ち上がった。

「では、まず捕縛者を確認させていただきたい」

ノルが頷く。

「詰め所へご案内します」

俺も立ち上がった。

レナードは帳面を抱える。

屋敷を出ると、昼の光がまぶしかった。

騎士団の詰め所へ向かう道を歩きながら、俺は息を整える。

その先には、まだ一言も名乗らない男がいる。

灰狼の牙の頭目、ガザル。

本当にそうなのか。

それを確かめるため、俺たちは騎士団の詰め所へ向かった。