作品タイトル不明
第181話 リオン対騎士団長
訓練場の中央へ向かう。
周囲の視線が、一斉に俺へ集まっていた。
二学期の期末試験で、俺は騎士団長から一本取った。
だが、あれは騎士団長の木剣の損耗を見抜き、同じ箇所へ負荷を重ねた結果だ。
今回、騎士団長の手には新しい木剣がある。
前回の勝ち筋は、最初から消えている。
騎士団長は俺を見て、低く言った。
「前と同じ手は使えんぞ」
「分かっています」
俺は木剣を構える。
ローヴェン先生の声が響く。
「始め」
◇
すぐには動かなかった。
まず、見る。
騎士団長の立ち方。
木剣の角度。
呼吸。
足の置き方。
綻びの目で見ようとしても何も出ない。
騎士団長の体にも、木剣にも、今この瞬間に拾える綻びがない。
思わず息が浅くなった。
騎士団長は、ゆっくりと間合いを詰めてくる。
不用意に入れば、その瞬間に終わるだろう。
俺は半歩だけ横へ動いた。
騎士団長も、それに合わせて角度を変える。
逃げ道が狭くなる。
そこで、騎士団長の右側にほんのわずかな隙が見えた。
踏み込める。
一瞬、そう思った。
次の瞬間、視界に文字が浮かぶ。
《綻び:偽装》
《誘導:踏み込み》
《危険:返し》
俺は踏み込まなかった。
木剣を構えたまま、足を止める。
騎士団長の目がわずかに細くなった。
「来ないか」
「行ったら終わるやつです」
騎士団長の口元が、ほんの少しだけ動いた。
「よく見ている」
褒め言葉なのかもしれない。
だが、俺の中に余裕はなかった。
見えている。
でも、それは勝ち筋じゃない。
罠を避けているだけだ。
◇
俺は一歩踏み込んだ。
木剣を低く走らせる。
騎士団長は受けるでもなく、半身をずらして外した。
すぐに返しが来る。
速い。
俺は木剣で受ける。
腕に重さが響いた。
続けて二撃目。
今度は受けずに下がる。
だが、下がった先にもう騎士団長の間合いがある。
詰め方がうまい。
こちらが逃げた場所を、先に潰している。
俺は角度を変えて、もう一度入った。
騎士団長の木剣が、こちらの軌道にぴたりと合う。
甲高い音が鳴る。
何度か打ち合っただけで分かった。
正面からでは無理だ。
力も、技も、間合いも、全部向こうが上だ。
綻びが出るのを待っているだけでは届かない。
なら、作るしかない。
ほんの一瞬でいい。
騎士団長の見え方をずらす。
俺は小さく息を吸った。
◇
火魔法で空気を温める。
俺と騎士団長の間にある空気を、局所的に熱する。
そこへ風を流した。
強い風ではない。
熱を散らさない程度の、薄い流れ。
冬の冷たい空気の中に、熱を持った層が生まれる。
騎士団長の輪郭が、一瞬だけ揺れた。
陽炎のように、距離がわずかに狂う。
騎士団長の目が変わった。
「…何をした」
俺は答えない。
答える余裕がない。
これだけでは足りない。
俺は水魔法を使った。
水をぶつけるのではない。
薄く広げる。
膜だ。
それを風で斜めに立てる。
午後の低い日差しが、その水膜に触れた。
光が跳ねる。
騎士団長の目元へ、一瞬だけ白い光が走った。
今だ。
俺は踏み込んだ。
陽炎で距離をずらし、光で視線を切る。
普通の相手なら、そこで止まる。
いや、普通の相手なら、その前に崩れている。
俺の木剣が、騎士団長の肩口へ向かう。
届く。
そう思った瞬間だった。
騎士団長の木剣が、そこにあった。
甲高い音が響く。
俺の一撃は止められた。
視界をずらしたはずなのに。
光を入れたはずなのに。
騎士団長は、こちらの踏み込みに反応していた。
「面白い」
低い声が聞こえた。
「距離を狂わせ、水で光を返したか。魔法でこちらの視界をずらしたな」
読まれている。
いや、理解された。
俺はすぐに下がろうとした。
だが、騎士団長が一段深く踏み込んでくる。
空気が重くなった。
◇
ここからが、本当にきつかった。
騎士団長の攻めが変わる。
さっきまでより速い。
だが、ただ速いだけじゃない。
俺が下がりたい場所に、先に剣が置かれる。
受ければ次を潰される。
かわしても間合いが残る。
俺は防ぐ。
一撃。
腕が重くなる。
二撃。
足が少し流れる。
三撃目。
受けた瞬間、木剣が手の中で軋んだ。
綻びの目は、また一瞬だけ反応した。
騎士団長の左肩が開いたように見える。
だが、同時に表示が出る。
《綻び:偽装》
《誘導:防御崩し》
《危険:手元制圧》
乗れない。
分かっているのに、乗れないだけでは勝てない。
俺は歯を食いしばった。
一瞬の綻びは作れた。
でも、決め切れなかった。
陽炎も、光も、もう見られている。
同じ手は通じない。
なら、最後は踏み込むしかない。
俺は騎士団長の木剣を受け流し、半歩だけ内側へ入った。
小細工ではない。
純粋な踏み込み。
木剣を振る。
騎士団長は正面から受けた。
重い。
そこから角度を変えようとした瞬間、騎士団長の木剣が俺の木剣に絡んだ。
手元が浮く。
まずい。
そう思った時には、もう遅かった。
俺の木剣が外へ流される。
次の瞬間、騎士団長の木剣が俺の喉元で止まっていた。
「そこまで」
ローヴェン先生の声が響いた。
訓練場が静まる。
俺は荒く息を吐いた。
負けた。
届かなかった。
◇
木剣を下げる。
腕が重い。
息も乱れている。
騎士団長は、まだ余裕を残しているように見えた。
それが余計に差を感じさせた。
「前回より厄介になったな」
騎士団長が言った。
俺は顔を上げる。
「……はい」
その通りだった。
前回の勝ち筋は消されていた。
その上で、俺は別の手を作った。
だが、届かなかった。
騎士団長は続ける。
「うまく私の隙を作ろうとしていたが、一拍作った後の踏み込みがまだ浅い」
「はい」
「自分より上の人間を相手にするなら、隙を作るだけでは足りん。
作った一瞬の隙で決め切れ」
俺は深く頷いた。
「はい」
悔しい。
ただ負けたことが悔しいんじゃない。
一瞬、作れた。
たしかに作れた。
でも、そこから届かなかった。
それが悔しかった。
◇
戻ると、セレナがこちらを見ていた。
「惜しかったわね」
「惜しいようで、遠かったよ」
俺は息を整えながら答える。
「でも、届きかけていたわ」
「届きかけたところで止められた」
セレナは少しだけ黙った。
エドガーが短く言う。
「それが差だな」
「ああ」
俺は頷く。
ガイルは腕を組んだまま、騎士団長を見ていた。
「だが、俺より深く入っていた」
「たまたま作れた一瞬だよ。次は通らない」
ヴィクトルが肩をすくめる。
「でも、その一瞬を作れるのがリオンらしいけどね」
そう言われても、素直には喜べなかった。
作るだけでは足りない。
決め切れなければ、意味がない。
ローヴェン先生が前へ出た。
「以上で、三学期期末試験の実技を終了する」
その言葉に、訓練場の空気が少し緩む。
筆記。
応用課題。
実技。
これで、三学期期末試験のすべてが終わった。
結果はまだ分からない。
飛び級できるかどうかも、今は分からない。
だが、騎士団長の言葉だけは、はっきり残っていた。
-一瞬の隙で決め切れ―
見えるだけでは届かない相手がいる。
そのことを、俺は木剣一本で思い知らされた。