軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第161話 流れるか

排水工事が始まってから、二週間が経った。

公衆浴場の入口にはまだ休業札が下がっている。

ただ、最初の頃とは領都の空気が少し違っていた。

「もうすぐ再開するらしいぞ」

「らしいな。水を試しに流すとか」

「風呂のためだけじゃないんだろ?」

「宿や食堂も、あとであの流れにつなげられるかもしれんって話だ」

浴場の前でそんな話をする男たちの声が聞こえる。

皆が理屈を正確に分かっているわけじゃない。

けれど、今回の工事がただ風呂を直すだけのものではなく、領都の暮らしそのものに関わるらしい、ということまでは広まっていた。

そして今日は、その工事が本当に形になっているかを確かめる日だった。

俺は朝から、父、ノル、土木役、浴場の管理役と一緒に現場を回っていた。

まずは浴場の裏。

受け枡はほぼ形になっている。石で囲われた浅い受けの底には、泥や重い汚れが沈みやすいよう少しだけ深さを持たせてある。その先は地下へ落とし、本線へつなぐ。

「ここは悪くないな」

俺が言うと、土木役が息をついた。

「なんとか形にはなりました」

「“なんとか”で済ませるなよ」

「済ませてませんよ。済ませてないから二週間かかったんです」

その言い返しに、思わず少し笑う。

実際、ここまでは早かった。

早かったが、簡単ではなかった。

浴場裏の受け枡。

街中の地下水路。

外れへ向かう排水路。

そして仮の沈殿池。

最低限、浴場から街外れの受け場まで一本通すことを最優先に進めてきた。

だから今日の試験で見るべきなのは、出来栄えの美しさじゃない。

本当に流れるか。

そこだけだ。

次に見たのは、街中の地下水路の入口だった。

道の端はまだ土が新しく、ところどころ仮の蓋石が置かれている。見た目は未完成だ。歩く者の邪魔にならないよう最小限の整理はしてあるが、工事が終わったと胸を張れる状態ではない。

ただ、線はつながっている。

「石の入りはどう?」

俺が聞くと、土木役がすぐ答えた。

「石切り場で用途別にきっちり分けてもらえるから、現場で余計な確認をする時間が減りました」

「それならよかった」

「ロブたちにも礼を言っておいてください」

「あとで伝える」

あっちで整えた流れが、こっちの工事を支えている。

そういうつながり方は悪くない。

さらに歩いて、曲がり角の点検枡も確認する。

ここは特に大事だった。まっすぐ流れる場所は多少のズレがあってもごまかせる。だが、曲がりと合流は誤魔化せない。

「詰まりやすいとしたらここですな」

ノルが低く言う。

「そうだね」

俺は枡の縁を指でなぞった。

「最初の試験で問題が出るなら、まずここだろう」

最後に、街外れの受け場へ向かう。

仮の沈殿池は、まだ“工事中の池”という顔をしていた。縁は固め切っていないし、周囲の整地も途中だ。けれど、水を受けるだけの形はできている。

父がその場所を見回して言った。

「ここまで来ると、もう風呂だけの工事には見えんな」

「うん」

俺は頷いた。

「最初は浴場のための一本だけど、この流れができれば、あとで宿屋の風呂も、洗濯場も、厨房も考えやすくなる」

「水を使う場所は全部、同じ問題にぶつかるというわけか」

「そういうこと」

ノルが腕を組む。

「夏の臭いも減るでしょうな」

「減るだろうね。少なくとも、人の住む真ん中に使い終わった水を長く置かないで済む」

「井戸の近くへ勝手に流される心配も減る」

父が言う。

その通りだ。

この排水路は、風呂を再開するための工事でもある。

だがそれだけじゃない。

領都の水の捨て先を定める、最初の幹線だ。

そこまで考えた時、俺の中でこの工事の意味は、最初よりずっと大きくなっていた。

「では、始めますか」

土木役が言った。

試験用の水は、営業時より少し多めに用意してある。

人が本当に入ってから問題が出るより、今ここで多少厳しめに流したほうがいい。

俺たちは浴場裏へ戻った。

管理役が合図を出し、溜めておいた水が落とされる。

ざっと流れ込んだ水は、まず受け枡へ落ちた。

そこで大きく跳ねることもなく、枡の底を叩いてから、予定通り本線の口へ吸い込まれていく。

「悪くない」

俺が言うと、土木役の肩がわずかに下がる。

「ここまでは、です」

そのまま俺たちは、点検枡へ走った。

流れている。

音も悪くない。

だが――

「……少し鈍いな」

俺が呟くと、ノルがすぐに枡の中を覗き込んだ。

「曲がりで溜まっていますな」

「泥か?」

「少し。それと、入口の角が立ちすぎてる」

土木役が顔をしかめる。

「流れ自体は死んでません」

「うん、死んではない」

俺は枡の縁に手を置いた。

「でも、このままだと営業を再開した時に毎回ここで引っかかる」

ここでごり押しして「通ったから良し」にするのは簡単だ。

でも、それをやるとあとで現場が困る。

「止めよう。ここを少し直す」

「はい」

土木役はすぐに職人を呼んだ。

枡の入口の石をほんの少し削る。泥が溜まりやすい部分をさらう。ついでに落ち口の角度も微調整する。大工事じゃない。だが、こういう最後の詰めを怠ると、通る流れも通らなくなる。

再度、通水。

今度はさっきより素直に水が入った。

曲がり角でも余計に溜まらない。

点検枡の中を流れた水は、そのまま外れ側へ向かって抜けていく。

俺たちはそのまま街外れへ走った。

仮の沈殿池へ、水が届く。

流入の勢いは予想通り。少し片寄りはあるが、池そのものはきちんと受けている。

重い泥も入口側に落ちやすい。

しばらく全員が黙ってそれを見ていた。

最初に息を吐いたのは、浴場の管理役だった。

「……通りましたな」

「ああ」

俺もようやく頷く。

「通った」

土木役が、ようやく口元を緩めた。

「完璧とは言いませんが、これなら」

「これなら再開の目処は立つ」

俺は言った。

「ただし条件つきだ」

管理役が姿勢を正す。

「条件、ですか」

「最初は湯量を少し絞る。営業時間も短めにする。毎日、受け枡と点検枡を確認する。泥上げもこまめに」

「承知しました」

「本工事そのものは続く。蓋石も、外れ側の整備も、沈殿池の縁固めもまだ終わってない。

今通ったからといって、全部終わった顔はするなよ」

「はい」

父がそこで静かに口を開いた。

「浴場の再開はできる。だが、事業そのものの完成はまだ先、ということだな」

「そう」

俺は頷いた。

「俺が王都へ戻ったあとも、工事は続く。今できたのは、浴場を安全に動かす最低限の一本だ」

「それでも十分大きい」

父はそう言った。

「止めるだけで終わらず、通すところまで来たのだからな」