軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第10話 働き手のいない村

翌朝、まだ空気の冷たい時間に、俺たちは屋敷を出た。

同行はノルとミア。

馬に乗るのは俺とノルだけで、ミアは小柄な栗毛の牝馬に帳面と筆記具を括りつけていた。

「緊張してる?」

並んで門をくぐる時にそう聞くと、ミアは少しだけ肩を揺らした。

「……少しだけです」

「少しだけ、ね」

「かなりです」

正直でよろしい。

ノルは何も言わず、手綱を軽く引いた。

朝靄の向こうに、痩せた畑と低い森が続いている。

北村まではそう遠くない。

だが、近いからといって楽な話とも限らない。

地図の上で見た《北村:労働不足》の文字が、頭の隅に残っていた。

北村に入って、最初に感じたのは静けさだった。

鳥の声はする。風も吹いている。

なのに、人の気配が妙に薄い。

畑へ目を向けると、その理由はすぐにわかった。

鍬を振るっているのは、腰の曲がった老人。

水桶を運んでいるのは、十にも満たない子ども。

畝の間を歩いている女たちの顔も疲れている。

働き盛りの男がほとんどいない。

視界の端に、薄青い文字が浮かぶ。

《慢性労働力不足》

《栄養状態:低下》

《人手流出:継続》

《七日以内に収穫遅延拡大》

帳簿の一言より、ずっと重い。

「……これは」

ミアも言葉を失っていた。

村の入口近くにいた老人が、こちらを見るなり目を細めた。

「領主様のところの……坊ちゃんか」

歓迎の色はない。

むしろ露骨に硬い。

他の村人たちも、手は動かしたままこっちを見ている。

近寄ってくる者はいない。

ノルが低く言った。

「北村の村長を呼ばせましょうか」

「ううん。先に歩いて見る」

馬を下りる。

土の上へ靴底を置くと、思ったより軽い。水気が足りない土だ。

畑の脇にしゃがみ込み、土を指でつまむ。細かい。乾いている。

ただ乾いているだけじゃない。痩せている。

《地力低下》

《有機肥料不足》

《取水量不足》

《西水路依存:高》

やっぱり水か。

「坊ちゃん、服が汚れますよ」

さっきの老人が、皮肉とも心配ともつかない声を投げてきた。

俺は立ち上がって笑った。

「汚れたら洗えばいいよ。それより、この土のほうが問題だ」

老人の眉が少しだけ動いた。

「……土がわかるんですか」

「まだ見始めたばかり」

本当のところ、土の専門家じゃない。

だが、《綻びの目》が出す情報と、前世で見てきた現場の感覚を合わせれば、わからないなりに当たりはつけられる。

「村長さんはいる?」

老人は少し黙ってから、顎で村の奥を示した。

「納屋の前に」

北村の村長は、五十を過ぎた痩せた男だった。

顔に深い皺がある。最初に俺を見た時の表情は、歓迎より警戒が強かった。

「ハル家の坊ちゃんが、わざわざ何の用で」

「見に来た」

「何をです」

「村を」

村長は鼻で笑うでもなく、困ったように黙った。

「見るだけなら、好きにどうぞ。今さら隠すものもありません」

かなりきつい返しだ。

でも無理もない。

バスクがいた間、この村はたぶん、見られるたびに何かを取られてきたのだろう。

視界に浮かぶ。

《不信:強》

《領主家への期待:低》

《徴税記憶:悪》

ミアが少し身を縮める。

ノルは無言のままだ。

「じゃあ好きに見るよ」

俺はそう言って、本当に好きに歩き始めた。

納屋の中。

干し草の量。

農具の傷み。

井戸の水位。

荷車の軋み。

家畜の骨ばった背。

見るたびに綻びが浮かぶ。

《飼料不足》

《井戸使用過多》

《納屋補修遅延》

《税負担偏り》

《若年労働過多》

途中、畑で桶を持った小さな男の子がふらついた。

運びきれず、膝をついて水をこぼす。

「こら、無駄にするな!」

少し離れた場所から女が声を飛ばした。

母親だろう。怒っているというより、余裕がない声だった。

俺はすぐにその子のところへ行った。

顔色が悪い。唇も乾いている。

《脱水傾向》

《疲労:高》

《空腹》

「ミア、水」

「は、はい」

受け取った革袋をその子へ渡す。

子どもは最初ためらったが、俺が頷くと恐る恐る口をつけた。

「少し座って」

「でも……」

「今倒れたらもっと働けない」

横から母親が駆け寄ってきて、慌てて頭を下げる。

「も、申し訳ありません! この子が役立たずで……」

「違うよ。無理をさせすぎだ」

女はびくりと肩を揺らした。

責められると思った顔だった。

俺は周囲を見る。

大人が足りない。足りなすぎる。

「この子、何歳?」

「九つです」

「九つでこの量を運ばせてるの?」

「……男手が、足りなくて」

そこで、村長がようやく口を挟んだ。

「足りないんじゃありません。いないんです」

その声は乾いていた。

俺は村長のほうを見る。

「若い男たちは?」

「出稼ぎです」

ミアが帳面を開く音がした。

村長は一度深く息を吐いてから続けた。

「税が重くなってからです。収穫が落ちても、取り分はあまり変わらなかった。払えない分は借りる。借りたら、今度は返すために人が出る。若いのから順にね」

なるほど。

帳簿上の《労働力不足》の中身は、ただ人口が少ないって話じゃない。

税と借り入れで働き手が外へ流出している。

《人手流出:構造化》

《徴税負担:過大》

《返済労働化》

最悪だな。

「それを村から訴えなかったの?」

村長は俺をまっすぐ見た。

「訴えましたよ」

少しだけ、笑った。自嘲に近い笑いだった。

「何度も。ですが、返ってきたのは“工夫が足りない”“怠けている”でした」

バスクの顔が頭に浮かぶ。

あいつなら言いそうだ。

俺は喉の奥に溜まるものを押し込めた。

「……ごめん」

村長は一瞬、意外そうな顔をした。

「坊ちゃんが謝ることじゃない」

「でも、ハル家の人間だから」

それは事実だ。

バスクがやったことであっても、看板はハル家だった。

村長は黙った。

それから、今度は少しだけましな顔で俺を見る。

「謝るだけの領主家の人間は、初めて見ました」

それは褒めていない。

でも、最初の拒絶よりはずっとましだ。

村の外れまで歩くと、水の流れる音が聞こえた。

西水路だ。

地図では一本の線だったが、実物は石組みの脆い、細い流路だった。ところどころ苔がつき、土手も崩れかけている。

近づいた瞬間、視界に文字が広がる。

《西水路:崩落予兆》

《取水量低下》

《応急補修の痕跡》

《七日以内に通水障害》

《放置時、北村収穫半減》

思わず足が止まった。

「どうしました、リオン様」

ミアの声も少し緊張している。

俺は石組みに手を触れた。

表面は冷たい。だが内側の土は緩んでいる。少し掘られれば、あるいは次にまとまった雨が来れば、崩れる。

村長が苦い顔で言った。

「そこも、ずっと直してほしいと言ってきました」

「誰に」

「もちろん屋敷ですよ」

父じゃない。

届いていたとしても、途中で握りつぶされていたのだろう。

「去年は軽く土を足しただけで終わりました。春までは持つと言われたが、このありさまです」

ノルがしゃがんで石組みを見た。

「……これは危ういですな」

初めて彼が自分から言った。

その声に、村人たちが少しだけざわつく。

「ノルさんまでそう言うなら……」

「やっぱりまずいのか」

「だから言っただろう」

声が漏れ始める。

村人たちは、この水路が危ないととっくにわかっていたのだ。

でもどうにもできなかった。

俺は流れの先を見た。

この水が止まれば、ただでさえ痩せた畑は終わる。

若い働き手もいない。復旧にも時間がかかる。

つまり北村の問題は、労働力不足だけじゃない。

今にも死にかけた血管を抱えている。

「……人手不足どころじゃないな」

思わず口に出た。

ミアがすぐに帳面へ書きつける。

村長は黙って俺を見ていた。

「坊ちゃん」

「うん」

「見ただけで終わりますか」

まっすぐな問いだった。

村人たちの視線も、痛いくらい集まる。

俺は少しだけ空を見た。

春の終わりの風が、水面を細かく揺らしている。

「終わらせない」

そう答えると、自分の声が思ったより静かだった。

「でも、まずは順番を決める。ここを直す。人手の流れも調べる。税も見直す」

村長はまだ半信半疑の顔だ。

当然だと思う。

だから今は、それでいい。

信用は言葉じゃなくて、直した水路と戻ってきた収穫で取るしかない。

俺はもう一度、西水路の石組みを見下ろした。

綻びは見えている。

なら、次は手を入れる番だ。

現場は、思った以上に深刻だった。

でも同時に、やるべきこともはっきりした。

北村。

西水路。

そして、その先にある徴税の流れ。

問題は繋がっている。

なら、切る場所も見えるはずだ。