軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第57話 引っ越し当日、揉めたこと(牛ちゃんかわいい)

『ヴァルゼン公家暦11年 7月下旬 グレンフィルト 朝 晴れ』

【公の右腕グレン伯爵視点】

真夏の朝日は、昨日までの狂乱の跡を、容赦なく照らし出していた。

広場には、宴会の残り香と、空になった酒樽、そして昨夜の騒ぎを物語るように、散乱した木片が転がっている。

俺たちオルデンブルク伯爵家の一行は、新しい出発を前に、グレンフィルトの城門前に集まっていた。俺の隣には、妻のエレーナ、そして二大傭兵団の隊長、イリアとソフィア。その後ろには、オルデンブルクへ向かう、俺の直属の護衛兵たちが控えている。

その光景を、城門のすぐ内側から、大商人ダリオ・ボラーニが、側近レオを伴って仁王立ちで見張っていた。まるで、関所の鬼役人のようだ。

「さあ、出発するぞ!」

俺がそう言って、最後に振り返ったとき、俺の視線は、城門の脇に繋がれていた、一頭の牝牛とその子牛に釘付けになった。あのレグナリア王から譲り受け、グレンフィルトの豊かさの象徴となった牛たちだ。

「よし、お前たちも行くぞ! さあ、おいで」

俺は、牛たちの手綱を取ろうと足を踏み出した。

「お待ちなさい! グレン伯爵!」

ダリオ殿の、金切り声のような鋭い制止が飛んだ。

「それは困りますな! あの牛は、この街の財産。乳製品を生み、堆肥を作り、この街の衛生と経済を支える『生産設備』です。つまり、今や契約通り、ダリオ商会の資産でございます!」

「何を言うか! あの牛は、レグナリア王から俺が直接贈られたものだ! 個人的な贈り物だぞ! 街の売買とは関係ない!」

「ほっほっほ。ですが、伯爵。あの牛のおかげで街の地価が上がったのです。セット販売に決まっておりましょう」

いきなり不仲である。

一夜にして雇い主が変わった城門の衛兵たちが、槍を持ったまま、どっちの味方をすべきかオロオロと視線を泳がせている。

「牛だ」「いや設備だ」と俺とダリオ殿が子供のような押し問答をしていると、城壁の上から、どこか楽しげな冷やかしの声が飛んできた。

「オイ! グレン様が自分の城を攻めるってよ!」

「城門開けてやるぜぇ! ダリオの旦那から街を取り返しちまえ!」

昨夜、ダリオ殿の金で腹いっぱい飲んだはずの住民たちが、面白がって俺を煽っているのだ。あいつら、俺を何だと思っていやがる。

「フン。雑兵上がりをナメるなよ! 無断で城門を開けようものなら、オルデンブルク伯爵として、容赦なく斬り捨てるぞ!」

俺が本気でそう怒鳴り返すと、住民たちは「ひゅー、こえー!」などと笑いながら散っていった。

(まったく、いい街なんたがな……愛着もある。しかし……)

俺はため息をつき、ダリオ殿との交渉を再開した。

結局、俺は「子牛一頭」だけを譲り受けることで妥協した。親牛はグレンフィルトに残り、これからもこの街の乳製品と繁殖を支えることになる。

「ンモ~」

連れていかれる子牛が、親を呼んで鳴く。

「やれやれ、ありがとうございます。子牛一頭で手を打ってくださるとは、さすがはグレン伯爵。話が分かる」

ダリオ殿は、心底安堵した顔で言った。だが、問題は牛だけではなかった。

「さて、グレン伯爵。その直属の兵士たちはいかがいたしますかな?」

ダリオ殿が扇子で指差したのは、俺の背後に控える、グレンフィルト本隊出身の兵士たちだ。新兵のハンスやヨセフを含む、俺が雑兵時代から鍛え上げ、共に戦ってきた仲間たちだ。

「彼らも、この街の金で募集し、この街の施設で訓練した兵士。この街固有の『軍事資産』と見なされて当然でしょう。契約書には『街の防衛機能一式』とあります」

「なんだと!?」

「公国の法によれば、領地の売買に際して、都市固有の常備軍は新領主に帰属するのが通例。彼らには、引き続きダリオ商会の警備兵として働いてもらいます」

俺は、思わず拳を握りしめた。

傭兵団は「契約」だから連れて行ける。だが、直属の兵は「街の備品」扱いか。法的にはダリオ殿の言い分に一理あるのが腹立たしい。

兵士たちが不安そうな顔で俺を見ている。

ハンスとヨセフが、泣きそうな顔で俺を見つめている。

(俺の兵を……備品扱いだと?)

その時、俺の頭に、昨夜ヴァルゼン公と飲んだ酒の席でのバカ話と、レグナリア王から授かった権威が、閃光のように結びついた。

「……そうか。『兵士』は街のもの、だな?」

「ええ、さようです」

「ならば! 馬鹿を申せ、ダリオ殿!」

俺は、後列にいたハンスとヨセフの首根っこを掴み、彼らを城門の最前列へと引っ張り出した。

「よく聞け! 本日ただ今をもって、ハンスとヨセフ! お前たち二人を、オルデンブルク伯爵家直属の騎士に任ずる!」

突然のことに、ハンスとヨセフは目を丸くして立ち尽くしている。

「え、ええっ!? き、騎士でありますか!? 俺たちが!?」

「そうだ! そしてダリオ殿、よーく聞け! 騎士は『兵士』ではない! 彼らは俺の家臣だ! 貴族の家臣は、街の備品にはならん!」

俺は、ダリオ殿の鼻先に指を突きつけた。

「よって、この二人はオルデンブルクへ連れて行く! こいつらは、ただの兵士じゃないからな!」

俺は、呆気にとられているハンスとヨセフの背中を、バシン!と強く叩いた。

「そ、そんな馬鹿な……! 詭弁ですぞ!」

ダリオ殿が口をパクパクさせている。だが、反論はできない。

騎士の任命権は領主にある。そして家臣の移動は、主君の自由だ。その地位を剥奪する権限は、一介の商人にはない。

「よし、行くぞ! 騎士ハンス! 騎士ヨセフ! それに他の者もだ! ついて来たいやつは、全員俺の家臣にしてやる!」

「「は、ははっ! 一生ついていきます、閣下!」」

こうして、俺は子牛一頭、急造の騎士二人(と愉快な仲間たち)、そして、妻エレーナ、イリア、ソフィア、護衛の傭兵隊を連れて、堂々とオルデンブルクへと出発したのであった。

俺たちが城門をくぐり、グレンフィルトの街から遠ざかっていくのを見届けたヴァルゼン公が、城壁の上から「やりおったわ!」と腹を抱えてずっと笑っていたのが、多少気になったくらいであった。

「グレンさま~ありがとう~」

「オルデンブルクにも商売にいきます!」

「牛の世話ちゃんとしますよ~!」

俺たちは、住民の暖かな声に送られて街を出た。

ちょっと泣きそうになったのはナイショである。

雲の無い空は、朝日がやけにまぶしかった。