軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第30話 グレンフィルトの兵士たち~ハンスの場合~

『ヴァルゼン公家暦11年 1月下旬 グレンフィルト 昼 晴れ』

【農家の三男上がりの兵士ハンス視点】

兵士になってから、十日ほどが過ぎた。

僕、ハンスの生活は、家を追い出された時とは比べ物にならないくらい、規則正しいものになっていた。

夜明けと共に叩き起こされ、まずは凍てつく広場での走り込みから一日が始まる。

「ほら、足が止まってるぞ、新入りども! そんな貧弱な体で、戦場で槍が振れるとでも思ってるのかい!」

銀髪を編み上げた女隊長――イリア様が、革鞭をしならせながら僕たち新兵を叱咤する。

息はとっくに上がり、肺は張り裂けそうで、足は鉛のように重い。

農家の仕事で体力には自信があったつもりだけど、それは「戦うための体力」とはまったく別物だった。

走り込みが終われば、次は槍の訓練だ。

僕たち新入りに支給されたのは、穂先を丸めた訓練用の槍。それでも、ずしりと重い。

「違う! 腰が入ってない! そんな突きじゃ、分厚い鎧どころか、冬物のコートだって貫けやしないよ!」

イリア隊長の指導は厳しかった。

クワやスキならともかく、人を突くための道具なんて、握ったことすらない。

何度も何度も突きを繰り出すうちに、豆が潰れた手のひらが、焼けるように痛んだ。

「ぐっ……!」

ついに足がもつれて、僕は訓練場のぬかるみに倒れ込んでしまった。

もう、指一本動かせない。

「……おい、大丈夫か? 立てよ」

差し出された手があった。

見上げると、僕と同じようなボロい服を着た、そばかす顔の青年が心配そうに僕を見ていた。

「あ、ありがとう……」

彼の手を借りて、なんとか立ち上がる。

「俺はヨセフ。お前と同じ、昨日入った新兵だ。きついけど、頑張ろうぜ」

ヨセフも、どこかの村で食い詰めて、この街に流れてきた一人らしかった。

僕にも、初めて「戦友」というものができた瞬間だった。

週に一度は、僕たち新兵の訓練を、領主であるグレン子爵様ご本人が見に来てくれることがあった。

あの日、広場で見た立派な礼服ではなく、動きやすい軽装の鎧を身につけたグレン様は、台の上から僕たちを見下ろしていた。

「いいか、お前たち。戦場で一番大事なのは、個人の武勇じゃない。隊列だ」

グレン様はそう言うと、訓練場にいた古参の兵士五人を呼び寄せた。

「あの赤髪の女隊長――ソフィア様の傭兵団は別だが、お前たちのような新兵は、五人で一人前だ。いいか、こう動け」

グレン様の号令一下、五人の兵士がまるで一つの生き物のように動く。

一人が前に出て槍を突き、すぐさま下がる。同時に、左右の二人が敵の側面を牽制し、残りの二人が上段と下段を守る。

たった五人なのに、まるで隙間のない「槍の壁」がそこにあるようだった。

「これが基本だ。これを千回、一万回と繰り返せ。体が覚えるまでだ。そうすれば、お前たちも戦場で生き残れる」

その言葉には、雑兵として本物の戦場を生き抜いてきた者だけが持つ、圧倒的な説得力があった。

僕たちは、ゴクリと唾を飲み込み、目の前の「英雄」の言葉に聞き入っていた。

そして、週末が来た。

訓練が終わると、僕たちは広間に集められ、商人レオ様……の部下だという帳簿を持った役人から、初めての賃金を手渡された。

ずしりとした銅貨の重み。銀貨も数枚混じっている。

「す、すげえ……本当に金がもらえたぞ、ハンス!」

ヨセフが、目を丸くして銅貨を握りしめている。

僕も、震える手で革袋を受け取った。

家を追い出されて、無一文だった僕が、自分の力で稼いだお金だ。

「……なあ、ハンス。行ってみないか? 酒場ってところに」

「酒場……」

大人の行く場所だ。

僕たちは、少し緊張しながらも、初めての賃金を握りしめ、夜の街へと繰り出した。

酒場は、僕が想像していたよりも、ずっと騒がしくて、活気に満ちていた。

埃っぽい木の床、こぼれた酒の匂い、肉の焼ける香ばしい煙。

イリア様の『銀狼傭兵団』の人たちもいれば、城壁工事の職人さんたちもいる。誰もが大きな杯をぶつけ合い、大声で笑っていた。

「い、いらっしゃい! 新兵さんだね? どこでも好きなとこ座ってよ!」

僕とヨセフは、おどおどしながらカウンターの隅に座った。

「あの、エール? っていうのを、二つください」

目の前に置かれた、木の杯。

恐る恐る口をつけると、冷たくて、苦い液体が喉を焼いた。

「……うわっ、にがっ!」

「はは、でも、なんか美味いかも……!」

僕たちは顔を見合わせて笑った。

これが、大人の味か。

「なあ、ハンス。俺たち、本当に兵士になれたんだな」

「うん……」

「給金もらえるし、飯も腹いっぱい食える。屋根のある場所で寝られるし……」

「ああ。騎士にだって、なれるかもしれない」

「だよな!」

僕たちは、この街に来てからのことを語り合い、未来のことを夢見た。

初めての酒は、すぐに僕たちの体を温めてくれた。

ほろ酔い気分で宿舎に戻る。

兵士たちに与えられた宿舎は、十人が一部屋の雑魚寝だったけど、干し草が敷かれたベッドは十分に暖かかった。

家を追い出されて、凍える雪の中で死ぬかもしれないと思っていた、ほんの十数日前のことが、まるで遠い昔のことのようだ。

(思ったより、ずっと良い生活だ)

食事も、寝床も、仲間も、そして金も手に入った。

明日からの訓練は、きっと今日より厳しいだろう。

でも、今の僕には、それを乗り越えられる気がした。

僕は、兵士としての確かな満足感に包まれながら、深い眠りに落ちていった。