作品タイトル不明
何を知るべきかさえ
「まあ、夏でよかったですよ、本当に。今行ったら、寒さで体が動かねえもんな」
「だな。虚族は冬でも夏でも出るけどな。まあ、こっち側には入ってはこねえからな」
その虚族が入ってこないようにしているのが、お前たちの目の前にいるお父様だと言いたかったが、それを口に出すのはかっこ悪い気がして、結局やめた。
「夜に動くのはそんなに厳しいものか」
お父様が興味なさそうな顔で問いかけている。
「もちろんですよ。昼よりだいぶ気温が下がるし、草原の吹きっさらしの風なんて、何時間もいられるもんじゃねえです。お屋敷の警護だって夏より短い時間で交代になるんですよ」
「なるほどな。では、訓練したら長時間いられるか」
「無理でさあ。慣れってものがあるから、多少は時間は伸ばせるでしょうか、寒さの中の無理で無理したら、結局死んじまうからさ。訓練の意味がない」
「訓練の意味、か」
お父様と護衛の話に、私ははっとした。
そもそも、リアはなんのために虚族を見せたいと言っていただろうか。
私は一生懸命、思い出そうとした。
いや、リアは、虚族を見せたい理由を説明してはいない。
ただ、あの時皆すぐにそれはいい考えだと思った。
それはなぜか。
「自分たちが、何から守られているか自覚させるため」
思い出した。
「自分が守る対象が、何からキングダムを守っているか知るべきだから」
自分たちの家の護衛だけではない。護衛隊とそれが所属する監理局も、安全な場所にいすぎて、なぜ四侯を守らねばならないのかが、わかっていないのが問題なのだ。
だから、せめてオールバンスは自分にできることをしようと、そういうことだったはずだ。
「ぼっちゃん、小難しい顔してますねえ」
護衛の声は少し笑いを含んでいて、私はむっとしてしまう。
「思い出してくださいよ。最初に来た時も、その後嬢ちゃんと王子さんと一緒に来た時も、ネヴィルは楽しい場所だったでしょうが。嬢ちゃんが穴に落ちて大騒ぎしたのは、二年前かそこらじゃなかったですか?」
私の頭に、リアを探して結界を共鳴し合った時の情景が浮かぶ。
心配で大変だったけれど、助かった後、穴に落ちてしまうリアを想像するとおかしくて笑ってしまい、ずいぶんリアにすねられたものだ。
思わず、微笑んでいたのだと思う。
「ほらね、今回、坊ちゃんが何を難しい顔をしてるのかわからんが、屋敷の者はみんな、坊ちゃんと嬢ちゃんが誕生日のお祝いをしに来たと思ってますからね」
「厨房一同、腕を振るいますよ」
ルードがむんと力こぶを見せてくれた。女性なのに。
「さ、じゃ、あったまったことだし、俺らは上がります。今日の仕事はおしまいだ! ハンス、またな!」
見回りの者たちはカップを洗い場に下げると、ハンスに声をかけてさっさといなくなってしまった。ハンスはリアにこそ多少はしゃべるが、私たちといるときは静かで理想の護衛である。
「やれやれ、冬の洗い物はつらいねえ」
置いて行かれたカップを洗い終わったルードが、手を真っ赤にしている。
「ネヴィルの冬は、寒いか?」
お父様がポツリと尋ねた。
「ネヴィルしか知りませんからねえ。他と比べようがないですが、はい、寒くて、冬を乗り越えるのは大変です。ここらへんは辺境が近くて、魔石が手に入りやすいから、まだましですけどね」
「背中を温めるものがあったら、ほしいだろうか」
どうやら、あったかポシェットに市場調査のようだ。
「ほしいですねえ。買える値段だったらですけどね。後は交換の頻度がどのくらいかによります」
現実的な回答をくれてから、パタパタと仕込みの続きに戻ったルードを横目に、お父様は立ち上がって、暖房の端に置かれたヤカンを手に戻ってきた。
「こう、か」
「ああ、私がやります! って、大丈夫でしたね」
なんと、お父様にお茶を入れてもらってしまった。
ヤカンを戻して再び座ったお父様は、なんだか満足そうである。
「ルーク」
「はい」
私は、リアが言ったように、私の考えの甘さを叱られるのではないかと、少し身構えた。
「リアの言ったことは、私には難しかった。リアはかわいいからすべて受け入れたいと思うが、ときどき理解できないことを言う」
「はい?」
私はぐるりとお父様に顔を向けた。
お父様は確かにリアを全面肯定する。それは私も一緒だが、肯定はするが、理解しているわけではないということだろうか。
「私たちは、護衛を限界まで訓練するために来たのではなかったか?」
お父様も私と同じ疑問を持っていたことがわかり、少しほっとする。
「私もそう思っていました。ですが、さっきよく考えてみたら、リアは虚族を見せるとしか言っていなかった気がします」
「だが、護衛には高い給金を払っているはずだ。護衛隊から引き抜くためにも必要なことだった。それに見合う能力を求めるのはおかしいだろうか」
「いえ、おかしくないです。私もそう思うんです」
「だが、リアはおかしいと言う。なぜ厳しい訓練をすると、心が駄目になる? それに耐えてこその護衛ではないのか。体を壊すというのは理解できる気もするが」
さっきまで私もお父様と同じことを考えていた。
口に出してぶつぶつ文句を言っていたくらいだ。
だが、お父様に改めて問われると、自分もそう思うという返事が、なぜだがのどに詰まったようで出て来ない。
私は本当に、十分に考えただろうか。
「虚族は私も見たことはある。だが、あれは物言わぬ亡霊、ただの影にすぎぬ。なぜそんなもので心が壊れる?」
「ええと、それは」
お父様は大変冷静な人であって、リアのこと以外にはほとんど心が動かない。
だから虚族も怖くないと思うのだろうが、他の人は違う。
私だって虚族は怖い。いきなり目の前に現れたら、恐ろしくて走って逃げてしまうかもしれない。
私ははっと顔をあげた。
あるいは、虚族を見て、稼ぎ時と思う人もいる。それがハンターだし、そのおかげで、光や熱の魔道具が使える。
だが、欲をかきすぎて冷静さを欠くと、ハンターであっても判断を誤ることがある。
私はギルと共にその実例を見たではないか。
あの時は助かったが、場合によっては命を落とす者もいるし、亡霊の姿に恐ろしくて耐えられないものもいるだろう。
「亡霊は、怖いです。始めて見た時は、怖いよりも好奇心が勝ったのは否めませんが、それは結界箱と護衛に守られていたためです。リアとウェスターで過ごした時は、虚族は大事な者を奪いかねない、恐ろしいものと感じました」
実際に、リアと私は、サイラスと対決したあの時、虚族に命が奪われるところも見てしまった。
そこでもう一度はっとした。
「心が壊れるとは、あの時のリアのことでしょうか。リアの幽霊騒動の時の!」
「そうか。目には見えなくても、生活を脅かす、あれか」
「リアは言っていました。護衛の仕事は、お金を稼いで、自分と家族と幸せに暮らすためのもの。それは奥さんや娘や、もしかしたら、妹のため、と」
私はリアの言葉をゆっくりと繰り返した。
「娘」
「妹」
護衛にも、私にとってのリアのような、クレアお母様のような存在がいる。
だが、人を雇うというのは、施しではない。
考えすぎて頭が沸騰しそうだ。
隣を見ると、お父様も難しい顔をしている。
「ルーク、もしかして」
「はい」
「私たちは、意外と物を知らないな?」
「……はい。そのようです」
お父様も学院では問題児だが天才と呼ばれ、私もそうあるべく努力してきた。
同世代では誰にも負けないという自負もある。
だが、リアのような考え方はできない。
沈黙を破ったのは、なぜだか笑い出しそうなルードの声だった。
「知らないなら、見に行けばいいさ。何を知らないのかわかんないけどさ」
オールバンスなら、使用人が主人の話に聞き耳を立てるのも、その話に反応するのもご法度である。だが、もの知らずと気づいた今は、使用人の話も素直に入ってくるような気がした。
お父様のほうを見ると、お父様も私を見ていた。
「さて、ルーク」
「はい」
「私たちは、どこを見に行けばいい?」
そう、私たちは、何を知らなければいけないのかさえわからないのだった。